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ミッドサマーで癒やされた側の話

「明るい地獄」「目でキメる薬物」と話題の『ミッドサマー』。

私は「ジャパニーズホラーは無理だけどスプラッタは大好き」という部類の人間なのですが、『ミッドサマー』に関してはどちら寄りなのか判別がつかず、それでもポスターから感じられる禍々しさに惹かれて、公開初日に見に行きました。

結果として、私は号泣することになりました。良い意味で。

「観て良かった」「これはセラピー映画だ」「私の心は浄化された」・・・
そういったポジティブな感想で心が満たされました。

そしてTwitterでも「ミッドサマー最高だった!」とつぶやいたのですが。

私の周囲では「見なきゃ良かった」と嫌悪感剥き出しにする人が少なからず存在し、また「無理だった」という意見の方のnoteもバズって回ってきました。

この方の記事を読んで、ようやく「無理」側の気持ちが理解できました。

『ミッドサマー』は主人公の女性”ダニー”の視点に、見れば見るほど無理矢理に感情移入させられるような、没入感がすごい作りになっています。
そして、ダニーは双極性障害の妹の言動に振り回された結果、パニック障害持ち+抑うつ状態。抗不安剤を飲むシーンも作中で描かれています。

そんなダニーの鬱病の症状があまりにもリアルに再現されていること、彼女の不安や恐怖が様々な音や映像を通してこちらに伝わってくること、人間関係のリアルな崩壊ぶり・・・と、観ていて不快にならない方がおかしい要素てんこ盛りなので、『ミッドサマー』無理ですという人がいるのは非常に自然なことだなと思いました。

しかし、私はこの方の記事で書かれている

・現在鬱または抑うつを伴う何かの疾患である、過去にそうだったことがある
・抗うつ剤、抗不安剤を服用している、または断薬後そんなに経っていない
・何かとても悲しくてつらいことがあった
・家族および友人知人の別離に対して不安を抱く気質である
・グロテスクまたは個人的に生理的嫌悪を抱く描写が、寝る前にフラッシュバックして眠れなくなったことがある
・生殖としての性に対して多少なりともネガティブ、または興味がない、あるいはそれについて苦痛を抱くことがある
・自分は「自分という自我」を持つことを大切に思っている

全部当てはまっているんです。残念ながら伊藤計劃氏の小説は読んでいないので、該当するのかがわからないんですけれども。

ほとんどすべてに該当するにも関わらず、何故私はセラピーを受けたみたいに「いい気持ち」になったんだろうか?と疑問になったので、確認のために2度目のミッドサマーを観てきました。

それをふまえて出した感想は「自分にとっては、やはりこの映画は癒やしである」ということ。

別にミッドサマー無理な方に喧嘩を売りたいわけでも、ミッドサマー信者になろうぜ!と勧誘したいわけでもありません。ただ、この映画に「癒やされた」側の一人の例として、自分の考えをメモしておこう、という試みです。

あくまで個人の意見ですので、そういうやつもいるんだな程度に読んでいただければと思います。癒やされた側の代表とか、そういうつもりはないよ!

※ネタバレが含まれますので、鑑賞後にお読みください。

死は救済になり得るか?

まず初手で意見が分かれるところだと思うんですが、みなさんは死についてどうお考えでしょうか? 私は死は救済であると思っています。

こう書くとだいぶ語弊がありそうなので一応言っておきますが、私自身は別に「死にたい」と現在思っているわけではありませんし、基本的に全人類が幸せに生きていられるならそれにこしたことはないと思っています。

しかし、例えば病気で苦しみながら生きるとか、精神を蝕まれて生きているのが苦痛で仕方がないという人にとっては、死はひとつの救いになり得ると思っているのも事実です。

死んだあとどうなるのかは知りませんが、少なくとも私の中では死とは人類すべてに等しく訪れる”終わり”で”無”です。究極の平等とも言える。

そんな私にとって、ホルガ村の”72歳で命のサイクルを終える”という考え方は非常にしっくりと来ました。アッテストゥパン、良いじゃない。

もちろん、実際に崖を前にしたら平静でいられるとは思ってません。おそらく作中の人物のように、恐怖を感じるだろうと思います。それでも、老いや病に苦しむよりはマシかもしれないと、考えてしまう自分がいます。

身近な人物をそこそこ最近失った身として、死に対する喪失感は身にしみてわかっています。長く健やかに生きて欲しい。それは純粋な願いです。
でも、苦しむくらいなら終わりにするのもひとつの手だと、私は頭のどこかで常に考えています。これはもう、おそらく性分のようなものです。

というわけで、この映画は「死は救済になり得る」と考えている人にとっては、比較的受け入れやすい構成になっているのかもしれない、というのが、まずひとつ。

個人を捨てた”思考放棄”

『ミッドサマー』では、小さなコミューンの中で主人公ダニーを含めたアメリカ人の学生たちが、儀式に巻き込まれることで文化に従わざるをえなくなっていき、意見を言いづらくなり、個人が黙殺されていく描写があります。

ホルガ村の祝祭では「感情はみんなで共有するもの」です。
そこに個人の意志はあるのか?と言ったら、ないんですよね。仮に本人が「私の意思だ」と思っていたとしても、それは閉鎖空間で薬や儀式によって狂わされた結果であって、本当の意思かどうかはもはや誰にもわからない。

メイクイーンとなったダニーは最終的に生贄の2択として、恋人のクリスチャンか、見知らぬホルガ村の男性かを選ばされるわけですが、まあ予想通りというか当然のオチとして、ダニーは浮気を(ある意味強制的にさせられた)したクリスチャンを生贄に選び、ラストで恋人や友人が燃えさかる建物を見つめ、ニッコリ微笑みます。何わろてんねん。

これは第三者視点からすると、ダニーがホルガ村に文字通り”取り込まれた”と言えると思います。つまり個をなくした。彼女がこれからどうなるのかはわかりませんが、映画内の描写ではダニーはホルガ村の”家族”になったんだな、と自分は受け取りました。

この「個人が失われる」のがホルガ村の怖いところなんですよね。私はそう感じました。

自分が仮に、ホルガ村に放り込まれたとしましょう。生きていけるか?考えてみれば簡単、答えはNOです。だって私メチャクチャに個人主義だもの。集団行動が苦痛すぎて鬱病になって会社やめた人間ですよ。ホルガ村行ったら秒で倒れますよ。一緒に肉のパイなんか焼けるわけない。

でも、鬱病が最もひどかったあの時の自分なら?
「もう何もかもがわからなくて、ただただ苦しい」の頃の私だったら?

恋人が必死に腰を振っているのを鍵穴ごしに覗いたダニーは、おそらく完全に支えを失った状態、つまり「何もかもをなくした」状態でしょう。
両親は妹の自殺に巻き込まれて死に、頼りにしていた彼氏も絶賛浮気中。そりゃゲロも吐くわな。

過呼吸を起こすダニーを女性たちが取り囲み、呼吸が落ち着いてからは絶望の泣き声(もはや鳴き声)をあげるダニーに、女性たちは寄り添い、同じような声を出してダニーと同調していきます。

私が号泣したのは、このシーンでした。(ちなみに2回目に見たときは泣きませんでした。冷静になって見れるようになったんだと思います、多分)

私が鬱病で苦しんでいたあのとき、こんなふうに共有してくれる場所があったならば、どれだけ救われただろう、と想像してしまったのです。

感情を共有するなんて、形だけでしかないかもしれません。ダニーの苦しみなんて誰にもわからない。というかそもそもクリスチャンを浮気に駆り立てたのはホルガ村の策のひとつですし・・・

それでも、ああやって”一人ではない”と感じることができ、「泣くまい」などと自分の感情の世話など一切せずに、思考放棄が許される場は、何もかもを失った人間にとってどれだけ心地よい空間だろうかと、どうしても考えてしまう・・・。私にとっては、そんなシーンでした。

ダニーがホルガ村でニッコリして終わるのを、ハッピーエンドと捉えるかどうかは人それぞれだと思います。私は、客観的に見たらバッドエンド、でもダニー視点ならハッピーエンドだろうな、という感じです。

いち映画ファンとして

とまあ、思いつくままに書かせていただきました。
ざっくりまとめると
・死は救済になり得る
・何もかもが駄目なときはいっそ思考放棄したい

という人間が見ると、わりとセラピー映画になっちゃうのかもしれない、という感じです。

あと、感情移入の度合いも大きいと思います。

私はダニーに完全に没入していたので(パニック障害+不安障害持ちなのでダニーの症状の全てにものすごく覚えがある)、他のキャラクターの苦しみに対してはあまり敏感にならなかったのですが、ジョシュが脳震盪を起こして唸っているシーンや、サイモンが背中パッカーされて肺が外にドーン!してるシーンとかは、キツイ人にはキツイだろうなと思いました。とある知人は食べ物への異物混入に怒ってました。不快ポイントは人それぞれだよね。

なのでまあ、自分も「身体的な不調はもちろんのこと、精神的な不調がある人にはオススメすべき映画ではない」というのは、ミッドサマー無理側の方と同意見ではあります。安易にセラピー映画とか言って勧めて良いものではない。

ただ、私のような人間には、ひとつの「救済」として、カタルシスが得られる作品だったよ〜というお話でした。

あと2回見て思い知ったのは、アリアスター監督が伏線の鬼ということ。
冒頭でダニーとクリスチャンが一緒に過ごしている部屋、冠をかぶった女性と熊の絵があるんですよ・・・。もうこの時点でオチが示唆されてる。
他にも、うわっこんなところにすでに末路が示されている・・・というポイントがたくさんあって、非常に面白かったです。

個人的に一番怖かったのは、背景の森がダニーの妹の死体の形になってたとこでした。サブリミナル死体ほんと怖いんで勘弁してほしい。

ところで、どうやら未公開シーンを含む170分のディレクターズカット版ミッドサマー(R18+)が明日から公開らしいので、良いタイミングがあったら見に行きたいと思います。地獄の予感がひしひしするぜ!!

登場人物内ではペレが一番好き。泥水でした。

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