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ゲームは「時間の無駄」?

どうも、気がつけば2週間以上更新が止まっていました。

noteを更新しなかった理由は、めちゃくちゃ単純です。

ドラゴンクエストⅪ(イレブン)をプレイしてました。ずっと。

話題がないとか元気がない(ここ最近の台風にはさすがに参りましたが)とかそういうんじゃなくて、本当にただひたすらドラクエをやっていました。びっくりするほどやってました。

プレイ時間140時間越え。

で、昨日クリアしました。

そして、虚無感に襲われました。

「めちゃくちゃ時間を無駄にした気がする」と思って。

なので今、noteを書いています。

「ゲームで何を得られるの?」

ゲーム。ひとくちに言っても、そのジャンルは多岐にわたります。

1人用のRPG、アクションゲーム。
小説のような、シナリオゲーム、推理ゲーム。
対人戦が基本の格闘ゲーム。
複数人で協力するのが前提のオンラインゲーム。

他にもまだまだリズムゲーム(音ゲー)、パズルゲーム、ボードゲームなど、それこそ探せば探すだけ存在するでしょう。

私が小学生の頃に流行していたのは「たまごっち」や「ポケットモンスター」、そして「大乱闘スマッシュブラザーズ」。

そんな流行の真っ只中、私は「ゲームは時間の無駄」と言われて育ちました

ゲームするくらいなら、本を読むなり勉強するなりした方が良い、と。
なぜなら、ゲームをやっても、何も得られないから

とはいえ、おねだりすれば買ってもらえる程度には、甘やかしてもらっていました。親としては「流行についていけてないとイジメにあうかも」という心配があったのかもしれません。

なので、私は任天堂のゲームボーイを買い与えられ、初代ポケモンを楽しむことができました。たまごっちもやりました。

しかし、それらで何が得られたか?と言われると、私はうまく答えられる自信がありません。

たまごっちで命の尊さを知ったわけでもないですし、ポケモンで数あるタイプの相性を考えて戦略を練り、脳を鍛えたわけでもないです。

たまごっちは何度お世話に失敗したかわかりませんし、ポケモンはレベルをあげて物理で殴るタイプだったので相性はそこまで考えていませんでした。

なので「得られるものは特になかった」と言ってしまえば、それまでなのです。つまりは、「時間の無駄」

ですが、確実に言えることがひとつ。

「やっている間は、すごく楽しかった」ということ。

これは、本当に時間の無駄だったのでしょうか。

小学生の私は答えが出せないまま、クリア済みのゲームをしまいこみました。

初めて「楽しめた」ゲームとの出会い 

中学に進学した頃、私はだいぶゲームに冷めていました

プレイしているときはすごく楽しい。でも、クリアすると何も残らない。

それが「時間を無駄にした」という虚無感につながってしまい、なんだかゲームをやる気がなくなってしまったのです。

しかし、そんな私に「これすごくおもしろいからやってみなよ」と友人が貸してくれたゲームが、私にまたゲームの面白さを思い出させてくれました。

それが『MOTHER』シリーズです。

糸井重里氏の独特のセリフまわし、愉快な敵、程よいブラックユーモア。

クリアした後、私は「やってよかった」と思えたのです。

それはおそらく、初めての感覚でした。
よくできた小説を読み終えたような、冒険を本当にしたような気持ち。

その後、私は再びゲームに手を出していくようになりました。

『すばらしきこのせかい』、『クロノトリガー』などなど。

私は、「シナリオゲーム/物語のあるゲーム」の面白さに目覚めました
(※初代ポケモンに物語性がなかったと言いたいわけではないです。ただ少なくとも小学生の自分は、あまりシナリオを意識できなかったようです)

シナリオゲームの素晴らしいところは、終わったあとで「良い物語だった」と、小説を振り返るように、反芻できるところです。

クリア後に何も残らないなんてことはない。
小説を読んだのと同じようなものだ。だから、時間の無駄じゃない。

そして、シナリオゲームをやっていくうちに、段々とキャラクターに対する愛着を感じられるようになりました

すると、今度は、シナリオがそこまで大きく存在しなくても、「このキャラクター好きだな」という存在がいれば十分にゲームを楽しめるようになり、『大乱闘スマッシュブラザーズX』、『ポップンミュージック』など、格闘ゲー(?)、音ゲーにも手を出すようになりました。

これらのゲームは、いわゆる「クリア後に何も残らない」ものです。
物語はないので、反芻などはできない。思い返して楽しむものではない。

ですが、私は「このキャラが好きだからやっているんだ」と、自分がゲームを楽しんでいることを明確に感じられるようになっていました。

私は、楽しんでいる。だから、これは「時間の無駄」なんかじゃない。
クリア後に何が得られるか?そんなのは問題じゃない。

楽しいからやっている、ただそれだけだ!

高校生になってようやく私は、ゲームを純粋に楽しむことを覚えました

自分で価値をつかみとれ!

ゲームを楽しめるようにはなった私ですが、やはりそこにはどうしてもはずせない要素がありました。

・魅力的なキャラクターがいること
・興味深いシナリオ、物語性があること

このどちらかを少なくともひとつは満たしていないと、やはり「時間の無駄」と感じてしまうのです。

実際、大学のサークルで知人がモンスターハンターをやっているのを見ては、「ものすごく時間を無駄にしてんなあ」と感じていました。自分にとっては別に魅力的なキャラも、シナリオも存在しなかったからです。

ですが、プレイしている本人はおそらく「楽しいからやっている」わけで、私がどう感じようが、そこは関係ないのです。
私にとっては時間の無駄に感じられても、彼らにとっては無駄じゃない時間。

ゲームをどう楽しむか、というのは人それぞれです。

対人戦でトップに上り詰めるくらいの腕前を目指すとか。
RTA(リアルタイムアタック)で誰より早いクリアをしてみせるとか。
全てのアイテムやモンスターを記録して図鑑を完成させるとか。

要は、本人がどう楽しむか。そこが一番大事なんだろうと思います。

結局のところ、「人生において役立つ」ことを目的としたゲーム(例えば「脳を鍛える」「身体を鍛える」系のゲームや「英単語」「漢字」を覚える知育系のゲームなど)以外は、極論、「時間の無駄」なのでしょう。

ですが、それを「無駄じゃない時間」にするのは自分自身なわけです。

楽しかった、と言えればそれで良い。
他人にどう言われようと、自分にとっては無駄じゃなかったと言えれば、無駄じゃないんです。

・・・で、昨日クリアしたドラクエⅪについてですが。

時間、無駄にしてないと思います

クリア後、プレイ時間を見てさすがに「うわっ」と思いました。
それで虚無感に襲われました。

でも、めちゃくちゃ楽しかったんです。

モンスターはかわいいし、仲間はみんな魅力的だし、何より人生で初めてのドラクエだったので、ぱふぱふ初体験できたし。
「ぱふぱふ」って色んな意味があるんですね。深いなあ・・・。

「終えたあとで得られるものがないなら、その行為は時間の無駄だ」と教えられて育ったために、私はついついゲームを「時間の無駄」と捉えてしまうようになりましたが、ちゃんと「楽しかった」のなら、それは無駄じゃない。
そんな当たり前のことを改めて思い出しました。

ただちょっとさすがにやりすぎた気はするね!140時間て!
でもまだやりこみ要素あるし正直やりたいんだよね!2周目とか!

ドラクエⅪ、本当に面白かったです。シルビアが最高。

とりあえず無事にクリアできてよかった。泥水でした。


----追記というかおまけというか----

今ちょうどSteamで私の大好きなゲームがセールで安くなっているので宣伝しておきます。

『Hotline Miami』
スタイリッシュ殺戮死に覚えゲー。グロ注意です。
あまりに好きすぎて記事にしてあるので詳しくはそちらを御覧ください。
万人受けはしないとは思いますがこれは本当に神ゲーだと思ってます

『LISA』
女が絶滅しておっさんしかいなくなった世界で、女の子の赤ん坊を拾ってしまった主人公がおっさんの大冒険。敵もおっさん、味方もおっさん。世紀末。
グロ注意かつ、鬱注意です。「汚いMOTHER」という感じ。
胸くそ系が好きな人には是非おすすめしたいゲームです。

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