見出し画像

エッセイ:大ちゃんは○○である⑯

ガスコンロのつまみに手をかけた。
火をつけるため、つまみを左に回す。
カチッっと音がしたが、火はつかなかった。
『あれ?』と思ったが、まあまあよくあることだ。
「すみません、失礼しました。」と伝え、
気を取り直し、もう一度つまみを左に回して点火を試みる。
しかし…またも火はつかなかった。
『なんでだ?なんで点かないんだ?』
焦りからか、脂汗が頬を伝い脇が湿りだす。
「おいおいおい、大丈夫かよ。しっかりしてくれよ。」
上下ジャージ姿の男が少しイライラした様子で言葉を撃ち込んできた。
その言葉を被弾した僕は、致命傷は負ってないもののなかなかのダメージを負ったんだと思う。
カチッ。シュー。カチッ。カチッ。
回しても、溜めてから回してみても、もう一度回してみても駄目だった。
試しに『点け~~~~~っ』とありったけの念を込めて回してみたが、やはり駄目だった。
しびれを切らしたのか、これまで一言も言葉を発しなかった紳士が、網に手をかけ何やらいじり始めたかと思うと
「おい、お兄ちゃん、もう一回点火してみな。」と言った。
僕は「え?あっ、は、はいっ。」と言ってガンコンロのつまみに手をかけた。
すると、どうだろう。カチッとつまみを回すと火がついたではないか。
いや、ついただけではない。火は登り竜のごとく勢いよく立ち上ぼったのだ。
あろうことか、その火は前屈みになり網を覗きこんでいた紳士の前髪に直撃してしまった。
「あっっつぅーーー!」
反射的に大きな声を出した紳士に目を向けると、紳士の前髪はチリチリになり、煙が出ていた。
叫ぶ紳士。
目を丸くする上下ジャージ姿の男。
声を失ったように両手を口に当てる夜の蝶。
目の前の光景に青ざめて立ち尽くす僕。
まるで一瞬、時が止まったかのようだった。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?