書留書溜#3

2017年も今日が最後。
ポロポロとSNSやメールなんかで挨拶が来る。
先に書いたとおり、日本人の友人は激減したので、もっぱら日本文化を少し知ってる、結構知ってる、バリバリに勉強して身につけた外国人からの挨拶だったりする。

ほんとに、日本人以上に日本の良さと言われるものを、外国人から感じ取れたりするんだよな。

でもって、知り合いが少ないからもあるけど、日本人からは微塵も感じないわけですから

これ何?

先日出張で知り合った子も「今度大連に来るときは、もう少しゆっくり楽しめるようにしますね。今回はあれこれ見せたくて忙してしまってごめんなさい」とか言われるわけです。

まぁ、以前三年ほど住んでたのでそんなに頑張らなくてもいいんだけどね。
とはいえ、こういう心遣いは掛け値なしで嬉しいものです。

出張だったので、今回はクライアントと一緒だったんですが、初中国だったようで、かなりショックを受けていた様子。
ポロッとこぼした言葉に

「中国に来てるのに、言葉に不自由を感じない。そういうところを選んでくれてるのはわかってるけど。でも。。。外国人が人に来てるときって、こういう感覚は得られているんでしょうかね?」

すごくミニマムな感想だと思うけど、これって結構大事なんだよな。
どこぞの女性が「お・も・て・な・し」なんてやってたけど、実際無いよね。
「ガイジン!ガイジン!」って反応はあるけど。みんな遠巻き。

昔から小型化が得意な島国の人は、細やかな気遣いと繊細な対応を美徳として来たと思うんですが、今や自分自身の心と世界を小さい画面の世界に押し込めて、視線は下斜め45度に落とし、視線の交わりを避け、コミュニケーションを断絶する術を手に入れた国の人になってしまった気がする。

そのくせ全体主義。

意味がわかんないよね。
なんか、常に日本人なのに日本バッシングになってしまうけど、それだけ僕の小さい世界には、ツッコミどころ満載な訳です。

正常な世界で普通のコミュニケーションを行い、やたら叫んだり、殺し合ったり、するようなドラマや作品がもてはやされない、ゆっくりしながらも色鮮やかな世界が一日でも早く来ないかと思った次第。

来てほしいのってディストピアよりユートピアだよね?

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