他人が解るのか分からないのか判らない

コミュニケーションについて、自分自身難しく考えすぎなんじゃないかとは思うけど、

人間同士で心を開き合えない以上は自分も他人も本音で話せないというわけで、

自然と心を開き合えるような関係を目指すには、自分がまず隠してる偽ってることがあるならまずはそれを是正すべきだなって考えは正しいかもしれないけど、

その考えが増大して相手に「隠してる秘密を晒せ!」みたいな圧の強い態度になるのは対等を求めすぎてあまりにも横暴。

とはいえ自分のパーソナルな部分は隠し通して、相手に対しては「全て解ります」みたいな態度で臨むと結局心の距離は埋まっていかないし、何より自分にとって負担になる。


継続的に長く人との関係を続けていくとしたら、結局深く考えないのが大事なのかなって。

日々の当たり障りのない交流の中で、お互いの共通点を見つけあって、なんでもいいことでも気持ちを共有しあえたらそれは多幸感に繋がるし、

それらを繰り返していくことでやがてはお互いに素直に話せるようになるのかなって。

平凡な考えだけど、以外とそれが難しいんですよね。

そう考えると他人の気持ちが解るか解らないことに戸惑うのは些細な悩みと言えるんじゃなかろうか?

その疑問を持った時点で少なくとも「自分は相手に寄り添えていたい」っていう穏やかな感情が育まれてるはず。


実はお互いのことよく知らないけど、フィーリングが合うからなんとなくずっと一緒にいる人だっている。

そんなお互い無理のない関係性に憧れるし、他人にとって心地の良いオーラを醸し出せるような人が本当に魅力的な人なんだなーって、最近ようやく分かってきた。


肩の力を抜いたコミュニケーションを目指したいです。

自分が思うより他人ってきっと怖くはないんだと思う、というか思いたい。

人間関係、避けてしまいがちだけど、色んな人と色んな話がしたいです。人が怖くて人間関係サボってた人間の本音です。

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