昭和10年代の台湾-米粉〈ビーフン〉と蓬莱米

宜蘭の名物は、或る者は家鴨と云い、有る者は肉羹と云い(※肉のすり身を使ったスープ。淡水の魚丸湯、新竹の貢丸など台湾各地にみられる料理である)、或る者は寿司と云う。蘭陽は稲作盛んで内地よりも安くて旨い米があると云う。内地では精動(※国民精神総動員の略語)ヒステリーが跋扈し、ヤレぜいたく禁止だヤレ白飯禁止だヤレ日の丸弁当だと云う為に、米搗棒や南部岩代の梅干やらが矢鱈流行っていると云う。阪急百貨店では寿司の提供を辞めたとも云い、内地では最早白飯は鱈腹に食べられないぜいたく品なのである。リクリクカイカイカントー軍の輩は支那との戦争に碌に勝てもせぬ癖に東亜秩序を遠吠える体たらく、そして自ら贅沢三昧の癖に自分らに節約を強要するのだ。精動の輩もかくのごとし。このやつばらこそまさに勦滅すべき兇悪の病巣である。忌々々々糞喰らってしね。米が食べたくなったので近所の洋食屋でオムライスとライトを頼むが、オムライスの中味はビーフンであった。夜遊びせず。

(『昭和庚寅(1940)台湾後山之旅』より)

わたくしごとでなんですが、ここのところ本来の仕事が佳境に入っていて、何かを綴ろうとしても頭のなかが全くもってまとまりのない状況が続いていたため、ひさかたぶりの更新となってしまいました。
当面はこのような生活が続きそうですが、折を見ていろいろ書いていきたいと思います。

ビーフンを口にする日本人

ところでわたくしは自宅では米よりもビーフンを食べることのほうが多く、「新竹米粉」や「ケンミンの焼きビーフン」は台所のどこかに必ず置いてあって、数年前の緊急事態宣言で商店が閉まっていたときは大いに役立った記憶があります。

ビーフンのメリットは調理時間の短さで、ファストフードとしてとても便利であることです。

台湾を含め、当時アジア各地ではビーフンは当たり前のように食べられていました。筆者が宜蘭で食べたオムライスの中身はビーフンだったようですが、それはケチャップで味つけしていたのか、それとも五目ビーフンのようだったのか、それとも人造米のように細かく切っていたのか(ただし人造米が流行したのは戦後のことで、四コマ漫画「サザエさん」にも人造米の記事が出てきます)、判然としません。ちなみに文中の「ライト」というのは台湾ビールのことで、こちらは現在も売られています。

しかし、筆者は「米が食べたかった」と言っています。なのにビーフンが出てきたので、期待外れだったことをにおわせる文章です。

愛された「からくり」

さて、当時のビーフンについて『台湾風俗誌』にはこのように記載されています。

内地人渡台するや好んで米粉を試食す、しかれどもいまだその製造方法を知らざるもの多し。米粉はその製造はなはだ簡単なるものなり。すなわち白米を洗いて石臼に掛け、水を混じつつ米を磨き白泥状となす、これを布袋に入れて搾り水分を去り、一握りばかりの団子となし、蒸籠に掛けてこれを蒸す、その蒸す程度は半熟となすこのとき取り上げ、臼に入れて舂き交ぜ、あと鉄製の筒の下部に数十の小穴ある中に入れ上部より圧すときは、その小穴より細条となりて下る。そのとき直下に大釜に湯を沸かし置き、そのなかに落下するごとく仕掛け、煮沸したる後取り出して竹簀に並べて乾かすものなり。
米粉の製造は米粉そのものはなんらの得利なきも(すなわち一升の米の製品は同じ。一升の米の価をもって売る)これより得たる米糠および米洗汁・煮汁等をもって豚を養うをもって、かえって間接の利益甚だ多きものありという。

(『台湾風俗誌』より)

内地人渡台するや好んで米粉を試食す、という記載についてはからくりがあります。『台湾風俗誌』の刊行は1921年で、蓬莱米(ジャポニカ種)の本格的な登場は1926年以降であり、ここに書かれているビーフンは長粒のインデカ種を砕いて作ったものと思われます。

つまり、長粒米をいやがった日本人がビーフンに手を出した、ということでしょうか。

なお、ケンミン食品のホームページによると、「日本でビーフンが食べられるようになったのは、第二次世界大戦後。東南アジア各国から引き揚げた日本人が、現地で親しんだ「ビーフン」の味を忘れられず、食べ始めたのがきっかけだと言われています。」とあります。

1993年、日本では冷夏のためおそろしいほどのコメ不足でした。政府によって中国米・カリフォルニア米(ジャポニカ種)とタイ米(インデカ種)が輸入されましたが、後者のインデカ種はとても安かったにも関わらず、好んで食べる人は少なかったというのがぼくの記憶です。
20世紀後半でもこのような意識なので、百年前の日本人がインデカ種に対してどのような認識だったかは想像にかたくありません。

もしこのとき、インデカ種を使って大量にビーフンを売り出していたら平成の食文化はどうなっていたでしょうか。もしかすると、ティラミスと同様に平成という時代を象徴する食べ物になっていたかもしれません。

「さほど」な食べ物

21世紀に入り、学校では食育が行われるようになり、また世界のさまざまな食べ物を口にする機会が増えてきました。それでも、日本におけるビーフンの消費量はごくごくわずかで、量としては1年に1回食べる程度とのことです。最近の「台湾迷」とよばれる人たちにおいてもビーフンはさほど受けているとは言えず、グルテンフリーという観点からもう少しオーガニックな人たちに受けてもいいはずなのですが、こちらでもさほど脚光は浴びていません。でも、それくらいのほうが今後のポテンシャルのこともあっていいのかもしれないですね。

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