ロシア語一日一善(283)

レフ・トルストイ編著  八島雅彦訳注  東洋書店から

Мы лишь тогда истинно живём для себя, когда живём для других. Это кажется странным, но испытай, и ты на опыте убедишься.

試訳
私たちが本当に自分のために生きている時は他人のために生きている時のみである。これは奇妙に思えるが、試しにやってみよ、そうすれば経験でもって納得するであろう。

Мы лишь тогда истинно живём для себя, когда живём для других:лишь тогда 「その時だけ」それが具体的にいつなのかは、когда 以下で述べられる。「私たちは、他人のために生きているときだけ、真に自分のために生きている」Это кажется странным, но испытай, и ты на опыте убедишься.:испытай は命令形で「経験しなさい、味わってみなさい」のような日本語になるが、完了体の意味合いを考えると「経験してしまいなさい」という単にその行為をすることを命じているだけではなく、そうした結果までを念頭に置いていると考えられる。и ты на опыте убедишься:и は「そうすれば」という条件が満たされた後のことをいう。на опыте 「経験のなかで」ということだが、つまり「経験を通して」「経験から」のように訳せるか。ただし「経験から」というのは「いろいろ場数を踏んだ一つ一つの体験から」というニュアンスを感じてしまう。日本語で「経験」というと一個一個の体験を重ねたものという感じだが、опыт はこの意味で複数形にならないことからも察せられるように、「一個一個の体験の集まり」ではなく、「その体験の集まりから得られた知見の総体」という意味合いなので、「経験から」というのは厳密にいうと誤りかもしれない。убедишься 「確信する」現在形完了体なので未来のことを指す。ここでは、「経験すれば」という条件を満たしたら、の話をしている。これを「未来」とは純粋に呼べないかもしれないが「別の世界線の未来」とでもいえようか。こういう条件節の後に来る動詞は完了体のことが多い。

八島雅彦訳を参照すると、но испытай, и ты на опыте убедишься は「試してみれば、実地に納得できることである」となっていた。この場合の命令形はほとんど「〜すれば」という意味でいいのかもしれない。

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