ロシア語一日一善(299)

レフ・トルストイ編著  八島雅彦訳注  東洋書店から

ロシア語一日一善(299)

С тех пор, как люди стали думать, они признали, что ничто столь не содействует нравственной жизни людей, как памятование о смерти. Ложно же направленное врачебное искусство вместо того, чтобы заботиться об облегчении страданий, ставит себе целью избавлять людей от смерти и научает их надеяться на избавление от смерти, на удаление от себя мысли о смерти и тем лишает людей главного побуждения к нравственой жизни.


試訳
人々が考えるようになって以来、死を忘れないことほど人々の道徳的な生活を促進するものはないと人々は分かっていた。だから苦しみを和らげることに気を遣うのではなく、方向づけられた医者の技能が、死の回避という目的と定め、人々に死は免れる、死についての考えを取り除けると期待を抱くようにそそのかし、それによって人々から道徳的な生活への大事な目覚めを奪うというのは間違っている。

С тех пор, как люди стали думать, они признали:「人々が考えるようになってから、彼ら(人々)は認めた」なにを認めたかが、что 以下で述べられる。ничто столь не содействует нравственной жизни людей, как памятование о смерти:столь… как で「〜と同程度に〜である」で、нечто…не が「何も〜ない」だから、「как 以下のことほど〜なものはなにもない」という最上級を意味する表現だというのを押さえて意味をとる。содействовать чему で「〜を促進する」「死を心に留めておくことほど、人々の道徳的な生活を促進するものはない」нравственная жизнь は「道義に適った生活」と研究社の辞書にはあったが、個人的には「まっとうな生活」とやりたいところ。Ложно же направленное врачебное искусство вместо того, чтобы заботиться об облегчении страданий:ложно は副詞で「虚偽に、間違って」で、же が直前の語を強調する役割を持つことを考えると「だって間違っているのだから」といったニュアンスを伝えている。направленное врачебное искусство 「指導された医者の技法」と中性名詞がきているので、ложно は単語尾中性形なのか、と思ってしまうが、そうすると続く文の説明に困る。ひとまず保留。вместо того, чтобы заботиться об облегчении страданий:苦痛の緩和の面倒を見る代わりに(заботиться はここでは「処理する」がいいかも)全体では「苦痛を和らげることを配慮する代わりに、指導された医者の技能が〜することは間違っているのだから」というふうになると見込まれる。ложно は述語副詞ではないか、と考えてみる。「終わりよければすべてよし」をロシア語にすると、Всё хорошо, что хорошо кончается で хорошо の後に文が来ていて、それを接続詞 что が導くというふうになっているのだが、ложно の場合も同じようにその後に文が来て「文ということはうそだ」のように解釈できるのではないか。しかし、文中には что がないので、この読みは強引な気が否めない。что が省略されることはあるのか? ставит себе целью избавлять людей от смерти:「人間が死から逃れるという目的を自身に定める」次の и は ставит と научает を結ぶ。научает их надеяться на избавление от смерти, на удаление от себя мысли о смерти:их は「人々」を指す。「人々に надеяться することを教え込む」ここで、надеяться (期待する)ものが二つあって、それぞれ на 以下で述べたれる。途中にあるコンマは同位成分の間に接続詞なしで置くコンマ。「死を回避し、死という考えを取り去ることを期待するように教え込む」и тем лишает людей главного побуждения к нравственой жизни.:тем лишает 「それによって失う」лишить кого чего で「(人から)(何かを)奪う」だから「それによって人々から道徳的な人生への主要な目覚めを奪う」

八島雅彦訳
人々が考えることを始めて以来、死を心に留め置くことほど人びとの道徳的な生活に役立つものはないと人びとは認めてきた。だが、方向を誤った医術が、苦痛の軽減に対する配慮のかわりに、人びとを死から救い出すことをその目的と定め、人びとに死からの救済を期待させ、死の考えから遠ざかることを期待させ、そうすることによって、人びとから道徳的な生活への動機を奪っているのである。


私の ложно の解釈は間違っていて、направленное にかかる副詞と取らなければならなかった。же が挟まれていたからそのつながりを想定しにくかったけど、そんなのまやかしに過ぎないよね。побуждение は「動機」と訳せるのか。これは勝手に「覚醒」とか「目覚めさせること」のようにぼんやりと解していた。辞書はやはりもっと引かなければならない。述語副詞と解釈するのは無理があるよなあと思った時点で、引き返さなければならなかった。ложно という о で終わる語を見たら、三通り考えなければならない。述語副詞、副詞、形容詞単語尾、これは手持ちのオプションに加えておこう。содействовать 「役に立つ」というのも硬くなりすぎない選択で参考になる。научить を単に「〜させる」と使役の助動詞で訳出するのも簡単には思いつかないな。「〜することを仕込む」だから「〜させる」と訳せるケースは他にもありそう。главного が訳出されていないのはちょっと気になるが、そういうものなのだろうか。

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