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ドイツ語に導かれて「葬送のフリーレン」を学習教材にした話 ーアニメで語学の可能性

ドイツ語で「逃げる」という意味の、"fliehen" という語の活用を暗記してるときにふと思った。

fliehen-floh-geflohen… fliehen… フリーエン… って確かそんなアニメがあったような…

調べて出てきたのが、「葬送のフリーン」だった。fliehenとは関係なかった。

漫画が原作のこのアニメは、魔王を討伐した勇者一行のエルフの魔法使いが主人公で、魔王を倒した後から物語が始まる。人間とは時間感覚が異なる長寿のエルフ(フリーレン)が、かつての冒険仲間との別離をきっかけに人間を知る旅に再び出る。彼女にとっては特に感慨もなく過ぎていった昔の冒険がゆく先々で思い出され、再構成されて蘇る。視聴者はこの旅に同行することで、時を経て再発見される当時の記憶を追体験する。

RPGでよくある剣と魔法の中世の世界観だけれども、人間ドラマに力点を置いた作品ということで、たぶんハマるなと思い、丸一日かけてアニメ全28話を視聴した。その結果、とてつもなく充実したアニメだということが分かった。ハード面(作画とか音楽とか演出とか)がとてもよい上に、一気に見たあとに「ああ、見ちまったよ」と時間を費やしてしまった後悔がまったくなく、ずっとこの世界に浸っていたいような、心が洗われる作品に仕上がっている。特に最終話を見た後に第1話を見返すと、圧倒的にエモくて「泣くつもりで見たわけじゃないし、無理に泣かされてる感じもしないけど、純粋に泣けてしまう」というこちらの理想の感情的欲求を完璧に満たしてくれて、もう何回でも見れるな、と確信した。

この作品の魅力を自分なりに考えてみる。筋としてはよくあるプロットだ。「非人間的な存在が人間との交流を通して、人間性を獲得していく」ここでの「非人間的な存在」は、戦場で殺戮兵器となった兵士とかマッドサイエンティストによって作られた感情を持たないロボットとかいろいろなパターンがあるが、こういう存在が人間性を獲得していく過程は、少年漫画なら「成長」、キリスト教的な世界観なら「復活」と解釈できる。「葬送のフリーレン」においては、主人公が長寿のエルフという時間感覚の点で人間離れした存在だが、その人間性を獲得していく過程がノスタルジーを重ねて演出されているところが肝なんじゃないかと思う。「昔はよかった」という言い方があるけれども、じゃあその「昔」を体験しているその瞬間は「よかった」と思って過ごしていたかというとそうとは限らない。嬉しいことも悲しいこともたくさんあって、その瞬間は大変な思いをすることもあったに違いない。それでもその過去をひっくるめて想起するときには「よかった」ものになっていることが多い。そこにはノスタルジーによる価値がのせられる。この作品では、その「昔」(魔王討伐の旅)を時系列で描くのではなく、記憶として各話の随所に忍ばせておいて、視聴する側に「いろいろなことがあったんだろうなあ」と無意識的に想像させる仕掛けが施されている。そしてエルフという種族ゆえにその価値を認識しなかったフリーレンが「人間を知る」というコンセプトでかつての旅を振りかえりながら物語が進むからこそ、その旅路は圧倒的にエモい。

アニメを年に1本見るか見ないかの私は、アニメのリテラシーに欠けているので、この作品の特徴を十分に説明しきれてないが、葬送のフリーレンの魅力やアニメならではの演出を上手く言語化してくれる人がyoutubeにいて、大いに参考になった。

この動画のミシマ.さんは、作品に対する卓越した観察力と分析力で、なにげなく見てしまうシーンからくみ取るべき情報を言葉にしてくれるので、葬送のフリーレンを何倍も深く味わうことができる。言葉ではなく映像で見せる演出が積み上がっていくと、登場人物のセリフの質量が増す。これは非常に重要なポイントだ。だから、場面場面に込められた情報を分かりやすく語ってくれるミシマ.さんの動画は古典文学の解説書みたいな価値があって、作品理解に大きな役割を果たしてくれる。


そんなわけで、葬送のフリーレンがすっかり気に入ってしまったわけだが、これは自分のなかで意図的にコミットした面もあって、この作品を見る前から「ひょっとしたら語学の勉強教材になりえるかもな」と考えていたからだ。語学にもっとも大事なことは継続であり、その継続をしていくために必要なのは「自分の好きなもので勉強すること」である。だから自分が好きなものに関連付けて語学を勉強するのが大事になってくるし、そういった遊びの要素を入れておかないとただの苦行になってしまう。ここからは、現在生活の9割を語学に捧げている人間が、好きなアニメを発見して語学学習にどう応用しているかを書こうと思う。フリーレン関連だけでこのページにたどり着いた方には、申し訳ないがここから先はおもしろくないかもしれない。まあ、英語の勉強の参考にはなる…かは分からないが。

最初に書いた通り、「葬送のフリーレン」を見ることになったきっかけはドイツ語だった。この作品の登場人物や地名はほとんどがドイツ語由来で、主人公のフリーレン (frieren) は「凍る」という意味だ。ちなみに、フリーレンの師匠であるフランメ (Flamme)  というキャラクターがいるのだが、これは「炎」という意味で、師弟で対称的な意味にもたせているのはなぜか、といった分析がドイツ語を知っているからこそできたりする。アニメの登場人物を覚えるだけで語彙の勉強になるアニメもなかなかない。
中世世界の雰囲気漂うこの作品は、ヨーロッパの言語のイメージが強く、絶対にドイツ語で見たかったので、Crunchyroll という配信サイトに登録して見た。日本でこのサイトを利用する場合、VPNを経由する必要があるが、このサイトでは、葬送のフリーレンなら「日本語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ヒンドゥー語」などで見れる。吹き替えと字幕どちらでも見れるが、CC字幕ではないので、例えば英語の吹き替えとその字幕は一致しない。また、字幕を外国語にすると音声は日本語のみとなる。つまり「英語吹き替え+英語字幕」は利用できない。
最初は見るのはドイツ語だけと思っていたが、結局現在私が注力しているフランス語でも見ている。ドイツ語もフランス語も勉強を開始して数カ月しか経っていないので、音声のみでいきなり聞いても内容はほとんど理解できないが、2回、3回と繰り返し見ているうちに理解できるところが増えていく。聞き取りたいがどうしても聞き取れない音声が出てきたら、そこだけ音声を日本語にして、字幕をドイツ語(フランス語)にするという手もある。

全28話を一気に見た状態で、2周目以降を語学教材にしようとしたので、どのように日々の学習に組み込むかを少し考えた。今の私のフランス語やドイツ語のレベルでは、日本語と同じように視聴してもほとんど勉強にはならないので、私は「毎日ドイツ語とフランス語で同じ話を視聴し、7回見たら次の話に行く」という方針にした。現在はフランス語とドイツ語を毎日交互に勉強している状態なので、一日の学習の始めと終わりに葬送のフリーレンを見ることにした。7という回数は、ちょうどそのくらいで聞き取れる量が飽和するのかなという見積もりと、週を単位にできるマネージメントのしやすさからそうした。具体的には、次のようなスケジュールになる。

月曜 仏語第一話 → 日々の学習(仏語メイン) → 独語第一話
火曜 独語第一話 → 日々の学習(独語メイン) → 仏語第一話
水曜 仏語第一話 → 日々の学習(仏語メイン) → 独語第一話

月曜 独語第二話 → 日々の学習(独語メイン) → 仏語第二話

学習の最初にアニメを見ることで、やり始める前に重くなってる腰を軽くする効果がある。「やる気」を出すよりも「やり始める気」を出す方が勉強では難しい。文法書に取り組むより動画の再生ボタンを押す方がはるかに楽なので、一日の学習の軌道に乗せやすい。また、脳が疲れてきた一日の学習の終わりには、その日のメインではない言語で見ることで、気分転換の効果も狙っている。アニメで勉強といっても、「その言語に関係あることをする」というあくまでゆるい活動くらいに考えている。
一週間に一話というのは、現実の放送と同じ頻度(ただし回数は14回)なので、28話を完走するまでに半年以上かかる計算だ。まあ飽きたらそこでやめてもいいのだが、見れば見るほど深みが出てくる作品だし、ひとつひとつのセリフに質量があるので、翻訳された言葉といっても、原語のセリフと比較分析することで、そこから得られるものは多くなって非常によいのではないかと思う。
私はこのサイクルを4月中旬から始め、現在は第3話に入っている。やる気があれば、フランス語版やドイツ語版の「葬送のフリーレン」のセリフを文法的に解説するnoteなんか書いてもいいかもしれないと思っているがはたしてどうだろうか。

日本アニメの拡散力についても少し書きたい。
海外旅行や留学をした人なら、日本のアニメがどのくらいの熱量で海外で受容されているのかを肌で感じた経験があると思う。時代や地域での差異はあるが、海外の人たちは日本のアニメを芸術のように捉えている感があり、その人気ぶりは国内にいるとちょっと想像できないレベルだ。もちろん、そこには異国趣味という付加価値もあるのだろうが、日本で作られたアニメが外国語でも見れるというのがまさにそのことを物語っている。これだけ影響力があると、日本のアニメによって生まれる外国語での情報量も大きくなる。そしてこれを語学学習に用立てない手はない。「葬送のフリーレンを解説した動画」だけでも、いろいろな言葉での動画が youtube で山ほど見つかる。自分が好きな作品というだけで取り組みやすいし、海外の人の意見は新鮮な視点を提供してくれるかもしれない。

英語圏の動画がやはり最大手

こちらはフランス語。自分の実力ではまだ理解できないのでそのうち学習教材として見ようと思ってる。

https://www.youtube.com/watch?v=Z15B-CcKd8Y&list=LL&index=8

Crunchyroll ではロシア語はないのだが、内容を解説した動画はyoutubeに数多く存在する。トールキンを思い出す人が多いようだ。

また、主題歌を外国語でカバーしたものを聞くという親しみ方もできる。

Yoasobi さんの「勇者」のフランス語カバー 母音の比率が多いフランス語の軽快なリズムと原曲の雰囲気のマリアージュが素晴らしい。

ヨルシカさんの「晴る」のロシア語カバー サビのフレーズ、Погожий день, распустились цветы, Это чудо весны. がなかなか決まってて思わず口にする。

また「葬送のフリーレン」でミームと化してしまった「アウラ、自害しろ」の場面を各国語で検証した動画もある。

「自害しろ」という表現をヨーロッパの言語に翻訳すると、命令形と再帰動詞という重要な文法が出てきて、それが各言語で異なる形式で出て来るので、構文として文法的にもおもしろい。勉強としてガチで検証に値するセリフだと個人的に思っていたりする。

自分が気に入ったアニメを外国語で見ることのメリットと限界について

まず、自分の気に入ったものを語学の教材にすることは、モチベーションの観点から有効である。「アニメで勉強すべき」と言っているのではなく、「自分が好きなアニメなら勉強する価値がある」ということだ。作品はなんでもいい。少々逆説的だが「語学以外の要素で楽しめるか」という視点でもアニメをセレクトするべきだと思う。セリフが少ないとか、使われている語彙に実用性がないとか、そういった問題は発生するかもしれないが、あくまでモチベーション管理としてアニメを学習に取り入れるべきで、必ずしも実用性に拘る必要はない。

また、自分が気に入った作品であるということは、その作品によって自分の感情が大きく動かされやすいということでもある。「葬送のフリーレン」においては作品における言葉の質量が高いため、セリフが印象に残りやすい(と主観的に感じる)。個人的な名言が頻出する、と言い換えられるが、そこから紡がれた言葉は記憶に残りやすい。単語の暗記が大きなウエイトを占める語学において合理的でもある。例を出すと、第一話でフリーレンが「頭なでんなよぉ」と言うセリフがあるのだが、ドイツ語では、"Streichel mich nicht" となっている。streichln 「なでる、愛撫する」という言葉を単語帳のなかで覚えるのと、アニメという大きな文脈のなかでこのセリフに込められたニュアンスを味わいながら覚えるのとでは、どちらが記憶しやすいかは明白だろう。ちなみにこのセリフは第一話でフリーレンの口から二度発せられ、一度目と二度目では文脈が異なるため、かなり微妙なニュアンスが付加される。さらに、この「頭をなでる」という行為はこの作品なかで象徴的な意味を持って継承されていく。「同一の形式に異なる文脈で繰り返し出会う」 これが単語の暗記における鉄則であり、言葉に大きな質量を置いてそれを繰り返し展開させるようなアニメは、シンプルに語彙力の強化にも適していると言える。

次に注意点だが、日本のアニメの外国語での視聴は、翻訳の観賞であることに留意しなければならない。翻訳はどこまでいっても解釈の域を出ず、オリジナルを超えることは稀である。日本のアニメの場合、原語は日本語だから、自分の母語で表現された作品を他人が翻訳した別言語でわざわざ見るというひどく不合理なことをやっていることになる。当たり前だが、日本語が一番深く味わえるし、翻訳された外国語が実際の外国語とどの程度乖離しているかは現地で暮らしてでもみない限り分からない。そのためにも、アニメ「だけ」で語学をするのは、摂取するターゲット言語の質が偏ってしまうので避けた方がいい。また、翻訳の質の問題もある。私は「葬送のフリーレン」の第一話をポルトガル語でも見たのだが、いまひとつ受け付けなかった。ドイツ語やフランス語よりも学習歴は長いし、聞き取れる量も多いが、初歩的な翻訳のミスを見つけてしまい、意欲が減退してしまったのだ。単純な数字のミスだったのだが、他にも誤訳があるかもしれないという意識に囚われてしまうため、あまり推敲されていない(と思われる)翻訳をわざわざ勉強に使おうとは思わなかった。学習を始めて一年目以内ならば、文法的に細かいミスが分かるほど理解できないので、出てくる語彙を吸収するくらいの気持ちで見るのが賢明で、テキストを深追いをするべきではない。このようにテキストが洗練されていない可能性は常につきまとうので、気晴らし程度に親しむのがどうしても限界になり、補助教材にしかなり得ないのがアニメのつらいところではある。

今回は、いささか戦略的に「葬送のフリーレン」を語学教材にしてみたが、考えてみれば、これまでにもアニメを語学の教材にしたことはあった。というか、同じ作品をひたすら繰り返し語学学習として見るので、一年で見るアニメが一本以下に抑えられ、それらも「語学の勉強と思っていなければ見ていなかっただろうな」と思える程度の関心だった。だが作品そのものが素晴らしくて語学学習に使うようになったというのはフリーレンが初めてだ。この作品の洗練された言葉を外国語で観察することは、本来の意味に解釈の幅を与えることにつながる。「フリーレンはもはや純文学だよね」という意見を先日見つけたが、確かにそのレベルで言葉に重みがあり、言葉以外の表現手法にも同様に厚みがあり、どこまでも深く深く味わえる、そんな作品だ。もし「葬送フリーレン」の設定がドイツ語から名前を拝借してなかったら決して見ようとはしなかった、そう考えると不思議な偶然もあるものだなと思う。

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