お盆の神義

お盆の神義。
元々お盆は仏教が入って来る以前の日本の神と祖霊がこの時期にというのと仏教の盂蘭盆会が習合したもの。
日本の神道的考え方は「人は祖に基づき祖は神に基づく」と。

ここで言う神とは氏神で、氏神とは元々は氏族の神。
源氏なら八幡さんとか。
昔は同じ氏族は同じ土地に住んで、そこに氏族の神を奉ったから、氏神と住む土地の産土神は同じになったので、産土神も氏神と。
本来は住んでる土地の神は産土神。

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で、氏神が基の基なのだが、お盆の時には氏神と人が直に通じて、その上で父母の祖霊にその氏神からの神の通りが自ら自身を通して通って行く。
だから自ら自身が、お祭りの中心の様になって祖先が来て、そして氏神の神の通りの力で浄化と整理と修めが成される。
多分盆踊りって、元々は人が盆踊りの中心のヤグラの様になって、祖霊がクルクル。
それを習俗的に表したのが盆踊り。
祖霊がクルクルというのは祖霊の基の氏神の神力を受けてその力を受けて力漲り喜び溢れるから。
だからお寺さんでお墓参りとかする前に本来は氏神さん、でも本当の氏神って中々分からないから、地元の産土神さんに氏神さんに繋がる様にお願いして繋いで頂いてから、お寺さんとかに行くとより良い思う。
多分その方がより祖霊達も喜ぶ。
元々人間の今世の身体は父母の祖から受け継いで来たもので形成されている。
だから今世の身体を使い切るには、父母の祖達をキレイに浄化して、あるべき所に修まる様に。
その一番の機会がお盆。
というのが私的に神から捉えたお盆の神義。

この前提の補足

神社で向かうというのは、神からの神力の通りを自らの身に受けて通す事によって、神の力が自ら自身を通して出て来て自己と周りに成って行くという事。
だから、神の通りを身に受けて身のコトとしてある者をミコトと言う。
コトの葉の言葉を、ミに受けて。
ミは身であり御であり観であり見でもある。
だから真ん中に神の通りをイメージして感じて。
その上で全て話して、おみくじで言葉を受ける。
そして向かって神の通りを身で受けて、おみくじの歌をよんで身体にしみ込ませて更に受ける。

と前提


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