カラオケの話

先日noteの記事としても投稿したのだが、先週の休日に私は久しぶりに友達を遊びに出かけた。心がすさんでいた私にとってはよい息抜きにも感じられたし、自分がまだ社会に接続しているのだという感覚が得られた。

ボウリングに行ったり、ゲームセンターに行ったり、サイゼリアに行ったりと正に「大学生らしい」遊び場の数々を訪れ、有意義な時間に興じたわけなのだが、その中でも一番盛り上がったのが正に「カラオケ」だ。


カラオケは私にとって一番なじみ深い遊び場だ。

突然の自分語りになるが、私はあまり歌がうまい方ではない。むしろ綺麗に歌おうとすること自体に拒否反応を示しているのか、サビやビブラートの部分を勢いや荒々しい声で無理やり歌い切ろうとしてしまう。

おそらく自分の心の中に「歌が下手」という劣等感があるため、頑張って上手に歌おうとするよりも、いっそのこと下手なまま全身全霊で歌い切ってやろうという心理が奥深くで働いているのが原因だろう。

歌は「気持ちが大事」とも言うからね。

だったら地獄の底みてえな声で、地獄に引きずり込む勢いで歌ってやろうというわけだ。

高校生時代は学校帰りに一人カラオケに向かっては、喉が枯れるまで(大抵30分もしないうちにいつも枯れているのだが)歌いまくるというのが習慣になっていた時期があった。

歌を歌っていれば、その瞬間は「生きてる」って感じがする。生の実感ってやつだ。


そんな調子なので私はあまり大勢でカラオケに行くことを好まない。誰かが綺麗なバラードや切ない恋愛曲を歌い上げていると、変な反骨精神が働いてしまいロックロックした曲やシャウト系の曲を歌いたくなってしまう。その余韻や雰囲気をぶち壊したくなってしまう。


改めて言語化して自分の気持ちを書いてみると、めんどくさいな、自分。そりゃ友達少ないわ。

悲しい自覚。気づきは成長への鍵だって誰かが言っていた気がする。

まあ、そんな自分も自分ってことで勘弁してほしい。誰に勘弁してほしいのか自分でもわかっていないけれど…


そんなわけで馴染み深い遊び場であるカラオケに、今度また友達と行ってみることになった。今度は前回の時とは違い少し人数が増えるらしいのだが…

私のひねくれた反骨精神に寛容な人たちであることを祈るばかりである。


皆さんは一人カラオケ派?大勢派?

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