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仕事の話をさせてくれ

2017年6月。大学の研究室で内定を受けた。第一志望ではなかったものの、興味のある会社だった。ちなみに第一志望の会社は普通に一次試験で落ちた。ちゃんと勉強しようね。

ということで入社したのは某関西の鉄道会社の技術系子会社。めちゃくちゃ理系職なのに、Fラン私立文系卒のオタクが入社してしまった。ちなみに理系で工学部卒とかだと入社時点で1000円くらい給料が上だった。なんやねん。

1ヶ月半にわたる新入社員研修が終わって、大阪に配属された。まあ実家近いし?ええやん!と思ったが、普通に実家から通うには遠かった。仕方なく会社の金で一人暮らしを始めた。

最初の営業所は「新人潰し」と評判の営業所だった。新卒1年目が終わる頃には同期の半数が消えているという心霊現象が毎年起こるらしい。こわい。

当時の僕はかなり血気盛んだったので、「辞めらせられるもんならやってみろやむしろ病ますぞがんばるぞ!」と息込んでいた。そこでの僕の最初の仕事は、その道40年になるベテランの補佐だった。というか、業務が夜間メインだったから、昼間の営業所では暇すぎて活躍することがなかった。

だがしかし、ベテランと一緒の夜は凄かった。

昼間遠くを眺めてぼんやりしてるだけかと思えば、夜になると目は爛々と輝き、現場を一足跳びに駆け回りながら作業遂行するその姿、羅刹の如し。100kgくらいある機械を1人で持ち上げ、僕に作業内容を説明しつつ次々作業を終わらせる。新入社員の僕はついていくだけで精一杯だった。昼間にその凄さを見せてくれよ。

そんなところで地震とか台風とかパワハラとか新入社員が飛んだりでわちゃわちゃしながらも2年を過ごした。

こんなこともありましたね

3年目に京都にある親会社の事務所へ出向することになった。

ここでは昼も夜も現場に出て忙しく動き回った。引越しをさせてもらえなかったので、始発で出勤して終電で帰宅、なんてこともザラだった。

現場は、昼は上からも下からも太陽の光と熱を受けて骨の薄皮まで脱いでも暑く、夜は上も下も冷気を放ち脂肪を通常の3倍溜め込んでも寒い環境。それでも、若く体力に満ち溢れていた当時の僕は、割と余裕だった。

やることがあるというのはいい。あまりにも暇だと眠くなってどうしようもない。むしろここはやることあり過ぎで、それはそれとして疲弊するから良くなかった。5時出社の24時過ぎ帰宅が週3回はあったのなんやねん。毎朝4時に起きるて、老人か?おかげさまで休日は昼過ぎまで寝ていた。

むしろ、問題だったのは社内の会話内容についていけないこと。同僚がみんな有名難関大や大学院を卒業した化け物しかいないので頭が良すぎるのだ。争いたくてもレベルが違いすぎる。スライムとバラモス、村人と勇者くらい違う。

マジで争いようがなかった

同じ入社年次なのにみんな少なくとも2歳上なんだもの。みんないい人なんだけど話の内容が頭良すぎてもはやわからんでアレ。アホな話させてくれや。マイノリティのFラン文系に配慮して歴史の話でもしてくれ。

出向手当はありがたいけど辛いから帰りたい!と叫んでいたら、当初予定の3年よりも短い期間で戻れることになった。試験に落ちたのもあって、頭悪すぎて使えないと判断されたのかもしれない。

また大阪に帰ってきてしまった。どうせなら北陸に行きたかったなぁ。

ただ、それまでの事務所と違い、新しい配属先は良いところだった。昼夜共に程よくやることがあって、暇ということもなく忙しすぎることもない。あのちょうど良さは部署間の人間関係終わってる以外は最高だったと思う。

2回の異動を経て、のんびり大阪ライフを満喫していたが、ここで人生の転機、そう、結婚イベントが発生したのだ。これについては以前のnoteで書いてるからそれ読んでもろて。

しかし会社は西日本にしか営業所がない。つまり引っ越したら異動先がない。

よし、転職しよう。

先輩には「鉄道業経験者は鉄道以外で働くと失敗しがち」って言われたけど、せっかくだし別業種でいいとこ見つけるぞ〜。

周囲に祝福されながら、ちょっと寂しさを感じつつも退職して長野県に移住し、同じタイミングで外資系メーカーの技術屋に転職した。全く未知の分野だし、面白そうじゃんと思っていたのだが、普通にそんなことはなかった。全然面白くない。日に日に帰りたさが募る。新婚なのに新入社員研修で埼玉と大阪に飛ばされるし。帰れないし。嫁の飯が食べた過ぎて泣いてた。

結構頑張ったつもりだが、入社2ヶ月で戦力外通告を受け、3ヶ月で退職しました。

給料も良かったし、良い会社ではあったと思う。それでも会社風土に僕がついていけなかった。みんな自主的に早出してきて仕事して、退勤時間過ぎても普通に仕事して、休みの日も給料出ないのに自主的に出社している。したくないの俺だけ。それが当然みたいな顔されても困っちゃうよ。たかが仕事だ。金稼げりゃいいじゃネェか。そんなマジになんなって。

マジでこれの逆

その社風が受け入れられなかったことと、普通に仕事できなかったことが心身に悪影響を及ぼしていた。アレ完全に終わってたね。嫁曰く「日に日に生気がなくなっていった。まったく笑わなくなって、連れ戻さないとヤバいと思った」らしい。

鉄道業経験者は他の業界で失敗しがちという話、アレはマジだったのか。しらんけど。

嫁にも心配かけたし、反省している。義両親からも安心してもらえなかったみたいだし。けど茶化さないと辛くなるくらいには追い詰められてたんだよ。マジで。

そんなこんなで瀕死になりながら2度目の転職活動をしていたら、今の会社に技術屋として拾ってもらえた。長野県民なら誰もが知っている会社で、ようやく義両親にも安心してもらうことができた。

入社当時は最年少かつ即戦力だったこともあり(年齢はすでに更新された。早い)、チヤホヤされている厳しくしごかれている。国家資格取得の養成に入れてもらえたり、他社との顔合わせに呼んでもらったり、県内外の出張にも既に行かせてもらっている。会社からの逃さねえぞという圧期待がすごい。福利厚生もちゃんとあるし、人間関係もすばらしく、給与以外はパーフェクトな待遇を施されている。

福利厚生の一例(契約社員さんのお裾分け)

技術屋経験者の若手はなかなかいないらしく、あらゆる上司からおだてられているので、最近の僕は調子に乗っている。おかげさまで居心地がとてもいいのだ。給料少なくてもやってやりますか。という気分になっちゃう。でも本当に給料が少ない。お世辞が言えないくらい少ない。

今までは技術屋がなかなか来てくれなかったようで、一つ一つ手探りでやってきたらしい。なので、現場でわからない事は上司がまず僕に聞いてくれるし、わかっていても念のため聞いてくれる。頼りにしてもらえるのがすごく嬉しくて、応えるために頑張っちゃう。チョロいので。

僕にわからない事があれば、直属の上司は自分で調べながら外部にも頭を下げて確認してくれる。どんな事でも協力を惜しまないというのは本当に上司の鑑だと思う。間違いなく今までで一番良い上司だ。定時で帰らせてくれるし。

他の上司もみんな、ダメなことはダメと指導してくれるが、その3倍くらいとにかく褒めてくれる。おかげでモチベが凄い勢いで高まる。毎朝バイブスブチ上げで出勤することができる。

給料が少ない以外はめちゃくちゃ良いなこの会社。

以前の僕は仕事に対するモチベーションが「嫌々ながらも仕方なく、ダラダラ時間かけて最低限のことだけやっておこう」程度しかなかった。
それが今では「ま、いっちょ一仕事やってやりますか......」くらいのモチベがある。すごい。給料さえ上がればもっとモチベが上がって仕事が捗り、E◯S◯Nも顔負けの大企業になってしまうんじゃないだろうか。

僕にとって給料と福利厚生はめちゃくちゃ大切なのである。モチベーションが違うので。なので言いたいことは色々あるけれどしかし周囲の人間が褒めて伸ばしてくれる環境、これが一番大切なのではないかと思い始めた。必ずしも競い合うことは重要ではないのかもしれない。

競争に疲れたら褒めて伸ばしてくれる人を見つけよう。めちゃくちゃ伸びる。ソースは僕。だから一緒に頑張ろうな、弊社志望の君たち。特に僕より若い人、頼むもっと来てくれ。

いつでも君の応募、待ってるぜ(人事部が)。

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