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涼み風。あるいは銭湯のサウナとか。

私は銭湯が好きだ。

 自宅に風呂はあるが、流石にサウナは無い。
 私は日々の疲れが溜まってくると季節問わず銭湯へおもむき、ストレスと汗を水に流すことにしている。かの油屋的な名作アニメーション映画に思いを馳せながら言うのであれば、”よきかな”と風呂屋を褒め称えるぐらいの贅沢をするのだ。

 時候はアブラゼミが鳴き始める頃。
 銭湯へと向かう道中、すでに気持ちは熱いサウナにある。

「(今日はいていると良いな)」

 そう思いながら歩く足取りは、自然と早歩きになっている。

 やがて銭湯へ着き、鍵付きの下駄箱へ靴を入れ、受付で入浴料を払い、自動販売機で水を買い、赤い暖簾を潜り抜け、脱衣所で裸になる。
 さて、いよいよだ。

 銭湯タオルと水と砂時計を持って風呂場に入った私は、まずシャワーで身体を清める。そして、早速向かうのはサウナだ。
 私のはやる気持ちのように熱くなっている木製の扉を解き放ち、ヒノキ香る秘密基地に足を踏み入れ、隅の方で腰を掛ける。

「(ふい~……、浄化される……)」

 なお、本当にサウナの材質がヒノキなのかどうかは不問とする。
 私は木材について詳しく無いし、ヒノキっぽいと思える自分がここにいるだけで十分なのだから。

 冬場であればこのまま静かに12分間のサ活を楽しむのだが、夏至過ぎともなると身体がすぐ熱くなる。この時期の私は8分間に調整した夏バージョンのサ活に切り替え、汗を流しては、手桶でさっぱりし、水風呂に浸かり、外気浴で清新な空気を吸い込むを繰り返す。
 まるで熱々に茹でられた後、水で締められて、風鈴のの近くで皿に盛り付けられるそうめんのようである。

 3セットほどサ活を楽しんだのち、洗い場へ行って頭と身体を洗い始める。

 私は行きつけの銭湯でサウナを使う際、いつも備え付けの時計について思うことがあるのだが、この気持ちは誰かの共感を得られるだろうか。

 サウナの室内には壁に掛かっている12分計と、各々が手元に置いて使っていい貸出の砂時計があり、その砂時計には3分用と5分用の2種類がある。

 冬場の12分であっても夏場の8分であっても、壁に掛かっている12分計を使えば不便はない。
 しかし、「使い勝手」だけが時計を選ぶ際の決め手にならないのが銭湯という空間の妙味。私はどうしても砂時計を選びたいのだ。

 人は銭湯に来る時「日々のストレスを解き放ちたくて訪れている」という側面が少なからずある。それならば大人の秘密基地とも言えるこの空間で、砂時計を見つめる時間を選ぶ価値は十分にあると言えよう。
 なぜなら汗と共に流れ落ちる砂の一粒一粒が、自分の心身が溜め込んでいたストレスに見えてくるのだから。

 私がこの銭湯を見つけた当初。
 12分を計る時は3分用の砂時計を4セット、8分を計る時は3分用と5分用の砂時計を1回ずつ使っていたのだが、いかんせん一人で複数の砂時計を使う事に気まずさを感じていた。
 無論、2つの砂時計を同時に使うわけではなく、片方を貸出置き場に戻してからもう片方の砂時計を使うのだが、そもそもサウナの中ではできるだけジッとしていたいのだ。

 そうして今では、マイ砂時計サンドを携えて行く境地に辿り着いた。
 自分に合った時間配分を調べようとして色々な分数を買い集めていたら、いつの間にか自宅の棚に自前の砂時計セットが鎮座していたのである。

 そんなことに思いを馳せながら頭と身体を洗い終え、申し訳程度に湯船を楽しんだら再びサウナに戻る。
 サ活の後半戦の2セットだ。

「(ふい~……、浄化される……)」

 サウナに入ると、つい思ってしまう「浄化される」とは何なのだろう。
 そうか、私の日常は濁っていたのか。そんな事にサウナで気づく。

 やがて、累計5セット目が終了に近づくと、私は外気浴をしながら目を瞑って考え始める。

「(……よし。あと、30回呼吸したらあがろう)」

 昔は外気浴を切り上げるタイミングを小学生のように「あと30秒経ったら」と、時間で区切っていた。

 しかし、今は違う。

 大人な銭湯は、呼吸で締め括るのだ。
 わずかに残っているストレスの残滓を口から溜息のように吐き出し、目を閉じて、ひとつ、またひとつと、丁寧に呼吸をする。
 これは瞑想にも近い。外気と肌の境界線を意識しながら、丁寧に吸う、息を吐く。

 そうして銭湯を満喫したのち、私は洗い場に戻ってシャワーで身体を流し、脱衣所へ戻る。
 給水したのち、バスタオルで身体を拭き、袖へ腕を通していく。

 さて、風呂場を後にし、今は休憩スペースにある自動販売機の前。
 清涼飲料水を買っている同年代ぐらいの男の人がいた。

「(あ。このすっきりとした顔の人、最近よく見かけるな……)」
 
 そのすっきりとした顔は、まるでサウナを堪能した今の自分を鏡で見ているようでもあった。その男の人とは知り合いでも何でもないのだが、なぜか少し親近感を抱いてしまう自分がいる。

 男がどいた後、自販機で買った百十円のコーヒー牛乳を飲みながら夏の夜を感じる休憩スペースの私。昔、おばあちゃんで見たような古びた扇風機の風が、サウナ上がりの身体を心地よく撫でてくれる。

「(よきかな、よきかな。明日から、また歩いてこっと)」

 さてさて、そろそろお気づきでしょうか。

 何かを水に流したい時。何かに根を詰めすぎた時。
 サウナは、あなたを待っています。

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