子育て目線から読み解く ヨーガスートラ3.35

こんにちは。
ママ・ヨガインストラクター KIKU です。
私は、8歳、6歳の子の母でありながら、10年以上ヨガのインストラクターとして活動してきました。結婚、離婚、再婚、妊娠、出産、育児と、人生のあらゆるステージを通し、私はヨガから様々なヒントをもらい、その都度ピンチをチャンスに変えて歩んできました。ヨガの真髄を知らなければ、乗り越えられなかっただろう出来事も、1つや2つじゃありません。
ここでは、そんな私が、人類の叡智であるヨガの教え ヨーガ・スートラを、子育てママの目線から解説していきますね^_^

3.35 他の目的を果たすための経験は、本来はまったく異なる知性と意識を誤って1つにしてしまうことと定義されている。それ自体のために存在しているものに対してサンヤマを行うことで、プルシャに関する知識が得られる。

これもちょっと難しそうに思いますよね^^

昔、ヴェーダンタを学んでいた時に、よく先生が例にだしていた、映画とスクリーンの話をしますね。


私たち、スクリーンに映し出された映画を見るじゃないですか。
その時、映画が面白ければ面白いほど、その中に引き込まれ、まるで自分自身が映画の中に入り込んだかのような感覚で堪能しますよね。
泣いたり、笑ったり。時には、終わった時ぐったり疲れたりする程、心の底から堪能します。

これを、経験、としましょう。

で、映画が終わります。そうすると・・・そこには、ただ白いスクリーンが残っているだけです。

スクリーンは、映画が始まる前から、真っ白なままずっとそこにありました。

映画が始まると、あたかも現実であるかのように映画の世界を映しだし、私たちはそれが本当であるかのように経験します。

そして映画が終わると、何事もなかったかのように、また真っ白なスクリーンがそこにありますよね。それに気づいて私たち、席を立つのですから 笑

ここで、スクリーンはヨガの言う意識、のようなものと考えてみて。

意識は、ずっとそこにあり、何も変わらないんです。

ただ、映画の世界(これを知性とする)を、あくまでそれそのものであるかのごとく映し出すけれど、それそのものになってしまうことは無く、あくまでスクリーンとして映し出しているだけなの。


・・・意味わかります?笑?


意識(スクリーン)と、知性(映画の世界)は、全く別物ですよね。

だけど、私たちはあたかもそれが同一のものと同じような認識で『経験』として生きて来たわけですよ。


でもね。

ちょっとそこ分けて考えてみて^^

一緒こたになったままだと、この世に振り回され続けるじゃないですか 笑

自分で作りだしたこの世に振り回され続けるなんて、それはそれでものすごく面白いですけれど、、、笑

でも、もうそろそろそこから卒業する時期なんじゃないかとも思うのですよ 笑


ちょっと冷静に、自分の周りを、世界を、見てみると良いですよ^^

そうすると、自分の目の前に起こった出来事、広がる景色が、なんというか、マボロシのように見えると思うのですよ 笑

ね、そうすると、今心の中でモヤモヤ悩んでいることや、頭を占めている悲しみや絶望、嫉妬や怒りや、そういったことが、少し、軽くなりませんか?笑?


ただ、勘違いしないでほしいのだけれどね。その幻は、薄くかすんだ、どうでも良い幻ではなくて・・・

自分自身(意識)が作り出した、愛すべき幻であることに、どうか気づいてくださいね。

きっと、嬉しい・楽しい・喜びといった経験にフォーカスすると気づきやすいと思います。

そういった経験は、素直に愛することができますもの、ね♬


真の自己・己は、意識の気づき、と言われます。

経験という一時的かつ可変的な現象を、蓄積したり忘却したりする、そこを超えたものであり、永遠かつ不変なもの。

この意味が、なんとなぁく、わかる方がいたら、嬉しいなと思います♬

ヨガには、子育てのヒントがいっぱい!
ヨガの考え方を少し知るだけで、子どもたちとの毎日が、ワクワク、楽しく、子供がより可愛く感じられるようになるよ♡

皆さまの毎日が、ヨガという人類最幸の叡智とともに、より楽こしく心地のいいよいものとなりますように。あなたがあなたらしく、より輝ける毎日となりますように。
Om, shanti, shanti, shanti...


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