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古代のカミを求めて②

そもそも、私が古代の信仰を勉強したいと思う様になったきっかけは、諏訪大社に出逢ったことだった。諏訪大社、と言えば知らぬ人はいない位の有名な神社で、御柱祭、御神渡りなどと言った神事と現象は様々なものに影響を与えていると思う。私もそんなモノらに惹かれて諏訪大社を、古代信仰を勉強するようになったのか、と言われたら 実はそれは少し違うのだ。

ミジャグジ様という土着信仰の神様がいる。
ミサグチ、ミジャグシ、ミシャグチ、御左口様..言い方がちがうのだが全て、同一の神様を指している。更にはこの他にも様々な呼び方がある。古代諏訪においてこの神は土着信仰の頂点に位置する神様であり、一族に口語で伝えられる神事を密かに執り行い、敬われてきた神なのだ。しかし、この神は祟り神でもあり、敬わない場合、その一族は七代で絶えると言われていたり、とある有名なゲームメーカーがこのミジャグジ様をゲーム中につかうのに敬称を付けなかっただけで凄まじい霊障があったという話がある。(霊障があったのは菅原道真公と、このミジャグジ様だけだという)

私はこのミジャグジ様に魅せられてしまったのだ。なぜ私の目に魅力的に映ったのかはわからない。しかし、なんとなく惹かれる、ということは説明がつかない事が多いのだと思う。

とにかく、そのミジャグジ様とは何か。正体は。密かに執り行われていたものとは。私はネットで調べたり、様々な本を読んだり取り寄せたりして、そのミジャグジ様は何人もの学者が研究していたこと。そして遂にはその正体に辿り着けなかったことを知った。

私はなんとも言えぬ震えを感じた。
それは武者震いのようなものでもあったし、正体のわからぬカミがまだ居たのだという喜びでもあったし、まるで底の見えぬ暗闇を覗いた恐怖のようなものであった。

私はまだ知識が足りない。
本を読み、自分なりに考察はしているが中々想像の域を出ない。
ならば、と私は自分の足を動かすことにした。それが一連の神社巡りへと落ち着いたのであった。やはり現地のなんとも言えぬ空気感や、遺されているものを見なくては始まらないのだと思った。しかもそれはひとつだけ極めれば良いのではなく、多角的な見方をしなければならない。

私はこれからも随時勉強した事を書き留めて行きたいと思う。それがいつか、私の一番知りたい、一番知りたかった事に繋がるのだと信じて。


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