「そんな〇〇応援してて何が楽しいの?」みたいなことを言われてもへっちゃらになる話
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どうも、ゼロファジです。普段はJ2のファジアーノ岡山というクラブのサポーターをやっております。
以前twitterのTLでとある10代のサポーターのこんな声をみつけてとてもドキッとしました。
”周りにファジアーノ岡山を応援している人がおらず、「たいして人気もないファジなんか応援してて何が楽しいの?」「ヨーロッパのサッカー見たほうがレベルも高いし人気選手もたくさんいるからそっちのほうがよくね?」みたいな感じでからかわれて悔しかった”
うーん、胸が痛い。
誰が言ったか?はさておき、どうしたってこの手の発言を目の当たりにするとなんかすごくモヤモヤしますよね。試しにtwitterで聞いてみたところ、
なんと7割近くのひとが同じような経験をしてることがわかりました。自分のフォロワーにはサッカー関連の人が多いのですが、多分サッカーに限らず「何かにハマっているひと」であれば心あたりのあることなんじゃないかなと思います。
で、問題は何か?というと
こういうことを言われたときこっちはどうしたらいいのよ!?ってことだと思うんですよ。バカにされたと感じて怒る。ガッカリして落ち込む。ひとによってリアクションは様々だと思うんですが、こういう言葉にいちいち感情を乱されるのも嫌じゃないですか?そこで今回は「そんな〇〇応援してて何が楽しいの?」みたいなことを言われてもへっちゃらになる話をします。
最初に結論から言ってしまえば・・・
そんなのほっておいてOK
なんですけどね。
でもこんなことを言うと、おいおいゼロファジさんよと。
「それができたら苦労しねーんだよ!」
「わかってるけどモヤモヤするのよ!」
ってなりますわな。
もちろんです。
ちゃんと根拠をもって「誰が何と言っても別に平気だな」と思えるのが一番です。この記事ではそのために知っておくと役に立つことを紹介していきます。冒頭の若いサポーターのように、大人なら受け流せることでも10代や20代の若者だとどう向き合ったらいいのかわからないってこともあるかもしれません。特にそういうひとたちに何かヒントになればいいなと思っています。
では本題に入っていきましょう。
今回の話で大事なポイントは3つ。
1.”ひとの無関心の冷たさ”を知る
2. あなたが好きならそれは世界一
3.「推し」の語源とファン心理
"ひとの無関心の冷たさ"を知る
”敵を知り己を知れば百戦危うからず”といいますが、相手がどんなひとか知っておくことがまずは大事です。この場合「そんな〇〇~」みたいなことを言うひとっていうのは十中八九”無関心なひと”でしょう。自分とは違って応援する対象に興味を持っていないから遠慮なくズケズケとモノが言えてしまうんですね。
ところであなたはひとの無関心について考えたことがありますか?
自分はあります。というのも、ファジアーノ岡山を一緒に見てくれる仲間を増やそうと周りのひとにいろいろと声をかけたことがあるんですよ。しかしまあ・・・断られること断られること。普段は全然仲良しのひとでも、取り付く島もない感じでスパッと断られたりして。なんだか心がそこだけ氷のように固く、冷たい、みたいな。あれ?これは一体どういうことなの?と。
そのとき思い知ったのはひとの無関心さというのは非常に冷たいということでした。これとても重要なことだと思うのでしっかりと肝に銘じておくのがおススメです!どんなに親しい間柄のひとであっても"無関心の冷たさ"に触れる機会は十分にあります。これが遠慮する必要のない親しくないひとだったらきっとなおのことでしょう。
”無関心なひと”の発言を真に受ける必要ってあるの?
マザー・テレサの言葉に”愛の反対は憎しみではなく無関心です”という名言があります。この言葉にそって考えるなら、愛してる状態=関心度MAX状態だと言えるでしょう。程度の差はあるでしょうがわたしたちファン・サポーターはこういう状態の側にいるといっていいかもしれません。
ではその逆を考えてみると、無関心の状態=愛情0の状態となります。愛情0関心度0ですよ?もうまさにどうでもいいって心理状態。正直世の中からそれがなくなっても全然困らない。こう言っちゃなんだけどぶっちゃけゴミと対して変わらん価値しか感じてないわけです。いやマジで。
おまけに知識も0に近い。ある程度の知識を持ってるってことはそれなりの関心はあるってことですからね。
いいですか?ここでイメージトレーニングしましょう。
「そんな〇〇~」みたいなことを言う人がいる。
そういうひとは無関心なひとである。
無関心なひとは関心度が0。愛情も0。そして知識もほぼ0で、ゴミ同然にどうでもいいって思ってる。
であるならば、
そういうひとが心ないことや見当はずれなことを言うのって当たり前の話じゃありませんか?たとえ相手がちゃんとした大人であっても、無関心だったならばズレたことを言うことは十分あり得ます。
ならば、”無関心なひと”の発言を真に受ける必要はないですよね?ちょっと失礼な物言いになりますけど、正直子供の戯言とそうたいして変わりはないと思うんですよ。わたしたちファン・サポーターから見て「このひとわかってるな」みたいなことを言えるはずがない。
だから、堂々とスルーしていいのです。
こういうことを言うなんてひどい奴だ!とか怒る必要もない。冷たいことを言われてショック!と落ち込む必要もない。「このひとの立ち位置(関心0、愛情0、知識≒0)だとゴミとたいして変わらないように見えるんだから無理ないか」と受け流していいのです。
無関心なひとからすればわたしたちファン・サポーターが熱心に応援する様は滑稽に見えるかもしれません。なぜなら、先程言ったとおり彼らにとっては「価値のないどうでもいいこと」をわざわざ選んで好む人たちに見えるわけですから。そりゃあ、「よくもまあ物好きな・・」となることでしょう。
あなたが好きならそれは世界一
"敵を知り己を知れば百戦危うからず"。今度は"己を知る"ほうについて。わたしたちファン・サポーターの気持ちについて考えてみます。
「そんな〇〇応援してて何が楽しいの?」みたいなことを言われてもへっちゃらになるために、わたしたちファン・サポーターはどういう心構えをしておけばいいのでしょう?
結論から言うとそれは、
「他人がどう思おうが関係ない。自分が好きならそれでいいや」と思えることです。こういう風に思うことができたら誰に何を言われたとしても全然平気。自分が好きなものを堂々と好きだと思える人は最強の存在なのです。
では、そうなるためにはどのように考えたらいいのか?
わたしたちファン・サポーターが「そんな〇〇~」みたいなことを言われたとき、その言葉の中に無視できない説得力めいた強さを感じてしまうことがあります。おそらくそういう経験をされたことがある方も結構いるんじゃないでしょうか?あれは一体なんなのか?そこにヒントがあります。
わたしたちは普段何か選択をするとき他人の評価をかなり参考にします。例えばネットで買い物をするとき、他人のレビューや評価の★の点数でものの良し悪しを探ろうとしますよね。また夕食の店を選ぶときなんかでも、評判や口コミを使っていい店を探そうとしたり。そして、そういう選び方をすればそんなに大外れしないということを知っていますよね。
つまり、わたしたちは”他人の評価を参考にしたら満足いく選択ができた”という経験を日常的に積み上げているのです。するとどうなるか?というと、「他人の評価が高い=いいものである」という経験則を深く信頼するようになるんだと思うんですね。もはや刷り込みと言えるレベルに。
しかし、わたしたちファン・サポーターがハマっているものはレベルが高くなかったり、人気がいまいちだったりするケースも当然あります。「他人の評価が高くない」ものを好きになる場合があるわけですよ。となると、「他人の評価が高い=いいもの」という頭に刷り込まれたルールと矛盾した行動になってしまうんですね。
だから「そんな〇〇~」みたいなことを言われたときに、それまで意識していなかった矛盾を言い当てられるようなかたちになるので簡単に無視できない説得力めいたものを感じてしまうのです。
でもね、ここからが大事なポイントですが、「レベルが高いからいい」とか「人気があるからいい」などは、あくまで他人がどう思うか?という話にすぎないんですよ。ランキングなんかは最たるものだと思うんですが、あれって他人がどのくらいたくさん「いい」と評価したか?それを集計して順位付けしたものですよね。
他人がどう思うか?はあくまで参考であって、実際に他人の評価が高かったのに自分には一向に響かなかったなんてこともたくさんあるわけで。本当に大切なことは自分がどう感じるか?です。仮に世界中の誰もが好きじゃなくても、あなたが好きだと感じるならそれで全然構わないのです。そもそも、あなたの好きなものが”あなた内ランキング”ですでにぶっちぎりで1位をとっているのに、いまさら他人の作ったランキングを持ち出してくる必要もないでしょう。
あなたが好きなものはあなたが好きだと思っている時点で世界一いいものなのです。誰が何と言おうと。
「推し」の語源とファン心理
自分の好きなものについてネガティブなことを言われたり、他人に薦めて断られたりすると割とショックを受ると思うんですが、そんな時のために役に立つのがこのパターンの「己を知る」です。
「推し」という言葉があります。
これはアイドルオタクの間で使われていた言葉なんですが、もともとの語源は「一推しメンバー」という言葉から来ているそうです。他人に一番薦めたいくらい好きな人のことを「一推しメンバー」と言っていたのが「推しメン」さらには「推し」と短縮されて今に至るそうです。最近では広く一般的に使われるようになってますよね。
で、おもしろいのはこの「推し」という言葉ってファン・サポーターの心理をとてもよくとらえた言葉だなって思うんですよ。
それはどういうことか?というと、
ファン・サポーターって自分が好きなものの良さを他の人にわかってほしいという願望を持っているってことです。しかもその自覚があんまない。だからすごくナイーブなんですよ。
ショックを受けるのはなぜか?というと無警戒に「他の人にもよさをわかってほしい」という願いを持っているのに、突然ビンタを食らったように拒絶されてしまうからだと思うんですね。
自分の性格や好みがわかっていればその分だけ環境に対応しやすいのはどの世界でもおなじこと。あらかじめファン・サポーターはそういうナイーブな願望を無意識的に持っているものだとわかっていれば、それなりの気持ちの持ち方もできるというものでしょう。地味ですが、こういうことを知っているか知らないかではリアクションの受け身に如実に差が出ます。まさに「己を知る」の効果は大きいなと思います。
”気になる”は”好きになる”の入口
ということで、長々とお話してきましたがいかがだったでしょうか?最後に一つだけ無関心なひとたち(無関心層)への接し方について思うところを述べさせてもらってこのnoteを締めようと思います。
先述の通り無関心層のひとたちはわたしたちファン・サポーターからするとあまりにも失礼だったり、見当はずれな物言いをすることがあります。ファン・サポーターというのは基本的に身内びいき気質の集団ですから、そういう振る舞いが許せずに強い反発の声が上がることが多々あります。特にそういう反感の声が増幅しやすいSNSでは、ちょっとしたことであたかも大失言が起こったかのような騒ぎへと発展することもありますよね。
そういう出来事があるとつい感情的になって「無関心層のひとたち」をまるっきり敵視してしまうような流れになってしまうこともあります。だけど、自分としてはちょっと待ってくれ!って思うんですよ。
新しいファン・サポーターのことを「新規」と呼んだりしますが、ではその新規さんは一体どこからやってくるのだろう?と。その多くは無関心層からやってくるんじゃないか?と思うんですね。つい「こういうやつらは敵だな」と思ってしまった「こういうやつら」はもしかしたら未来の仲間。そんな可能性は十二分にあり得ます。
物心ついた時からファン・サポーターでしたみたいなパターンをのぞけば、ほとんどすべての人が最初は無関心層にいたはずなんですよ。みんな最初関心がなかったところからスタートして、何かのきっかけを得てファン・サポーターになっていった。つまりみんな通ってきたはずの道でもあるんじゃないかな?と。
なにを隠そう、ゼロファジもそうでした。
自分は2011年にファジアーノ岡山を応援すると決めたんですが、実はそれ以前から存在は知っていました。しかし、「J1じゃないとレベルが低くて観にいく価値はないんじゃないか?」と思って足を運ぶことはありませんでした。当時はせいぜいその程度の関心しか無かったのです。
ところが、きっかけになったのは2010年の南アW杯の代表の躍進でした。
あれを見てやっぱりサッカーを日常的に楽しみたい。そして、地元で楽しみたい。そういう気持ちが強くなり、それならファジアーノ岡山があるじゃないか!ということでようやく2011年にサポーターとなりました。もうそのときにはJ1じゃないからどうというのは吹っ飛んでいました。なぜなら、「地元で日常的にサッカーを提供してくれる存在」としてのファジアーノ岡山のことが気になってどうしようもなくなってきて、ほかの要素はどうでもよくなっちゃったんですね。
マザー・テレサの"愛の反対は無関心"という言葉から、もう一つ学べることは「推し」と「ファン・サポーター」は関心(興味)で結ばれているんだということです。そして両者を結ぶ糸はいろんな種類があって、いろんなつながり方を生み出しています。「推し」はファン・サポーターを魅了するために努力し、ファン・サポーターも関心をどんどん注いでいく。そうすることで両者の結びつきはどんどん深くなっていきます。わたしたちはそういう状態を「沼にハマる」と呼んでいますよね。
”気になる”は”好きになる”の入口です。
なにかのきっかけさえあれば敵のように見える無関心層から新しい仲間がやってくる可能性はたくさんあります。できればそういう”気になる”ことをファン・サポーターの立場からも作り出して、ひとりでも好きなものを追いかける仲間が増えるといいなと心から思っています。
最後に、一応誘っておきましょう。
こういうサポーターもいるファジアーノ岡山というクラブ。よかったらあなたも一緒に応援してみませんか?
それではまた。
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