同学年の「難しいねーw」

がクソほど嫌いだ。
別に難しくなくない?

まず、この場合の難しいとは授業内あるいは稀有な日常会話のディスカッションで生まれる用語である。問題に対する解が見つからない時、難しいねーと口にされる。かなり初歩の段階で発せられるとディスカッションにならない。

私は難しいと考えられているその1、2歩先に行きたいのだけど。この種の話題は何度もされていると思うが私の周りの環境では周りの大学生が授業に関して独学してこない。どうして大学にいるのに探求を楽しまないの?遊んでばっかで誰かといなきゃ不安で付け焼刃のヨコ文字しか発さない学生が僕は死ぬほど嫌いです。NGOとか企業とか国際貢献とかもうよくわかったよ。でも肝心なお前の探求意欲はどうなの?

こういうことを発するのは自分がこういう事象に対して敏感になっているからだ。そういう環境で育ってきた。お金のことを気にしなければならなかった。高校の僕は割合表面的で絶対正義を信じていた。テストは上位だし付け焼刃で、こんな勉強法いつか絶対後悔するだろうなと思いつつ続けていた。うまくいきすぎて本質を見れず倒壊した。打たれ弱くて、衝撃を和らげる解釈も学ぶことができなかった。環境と幼さの合わせ技。

だから学習に必死なのだ。僕は。ざらつきを知ってほしいあまり文字が飛び出すのだ。調整の仕方もわからない。本を読んで人に出会うしかない。

学ばせてほしい、会社に入って知能を殺すなんて、表面的なアドバイスで舐められるような人間の下で働きたくない。弱い。

難しい。

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