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【徹底要約】しくじり偉人伝”伊能忠敬”ー中田敦彦先生ー

今日も記事をご覧いただきありがとうございます。

 2022年10月現在「中田敦彦のYoutube大学」を日々更新し、Youtubeのチャンネル登録者数は驚異の490万人、もう少しで500万人に届きそうな勢いのある中田敦彦氏。

 そんな中田敦彦氏が、2015年〜2017年にかけてやっていたテレビ朝日の番組に「しくじり偉人伝」というのがあります。これはその名のとおり、過去功績を残した偉人が、裏ではかなりのしくじりを犯していたことを紹介し、そこから学ぼうという番組です。

 わたしは、2017年にどハマりして、どの動画も全部見ました!そんなしくじり偉人伝の動画の中で今回自分が一番感動した「伊能忠敬」の中田先生が紹介したストーリー全てを要約して書きました。

日本地図を作った偉人「伊能忠敬」、彼が一体どんな人生を過ごしてきたのか、徹底的に要約しました。

現在夢を追っている人」、「夢を追いかけるのを諦めかけている人」に対して特におすすめです。

偉人のしくじりから学ぶことで、自分の人生をより良くしていくためのヒントにしていただければと思います。

是非最後までご覧ください。

1.伊能忠敬の凄さをGoogleを例に挙げて説明

Google本社

 伊能忠敬は、江戸時代後期の測量化で、初めて正確な日本地図を作った人物である。

 坂本龍馬や織田信長などの歴史上の人物に比べると、伊能忠敬はやや地味な印象もある。しかもしくじり先生初の日本人の紹介にも関わらず、なぜ伊能忠敬をチョイスしたのか。

そんな伊能について、中田先生は「地図を制するものは世界を制する」と紹介し、地図を制して世界を制した企業として「Google」を例にあげた。

中田先生は、「Googleは、『ググる』という言葉の語源にもなったくらいの検索エンジンの会社。ではなぜマップをやったのか。

検索をみんなにさせたところ、みんなからの検索ワードで地図や場所が上位に上がって来たからである。それでGoogleでは『地図をやろう』となって地図を作った」と説明し、それが現在のGoogleの地位を築いたと力説した。

そして伊能のことを「ひとりGoogle」だとイジり、地図作りを始める55歳まで他のことを仕事にしていた理由を「頼まれたことを断れない」性格が関係していたと解説した中田先生。

伊能のしくじりは「周りのしがらみと目の前の仕事に追われて夢を追いかけることを後回しにしてしまった」ことなのだという。

2.1度目の人生「生まれから武士になるまで」

武士

①千葉県の漁師の子供から商売人の養子になる

 千葉県の漁師の子供だった伊能は幼い頃、天文学者になって宇宙の謎を解き明かしたいと思っていた。計算が得意で有能だった伊能は、後に商売を家業としてやっていた伊能家に養子として向かい入れられ、そこで米の売買と酒造りをすることになった。

そして、なんと伊能は今の金額にして35億円を稼ぎ出した。35億円を稼いだ秘訣としては、「物資が足りないところに余っているものを届けて売る。」というシンプルなもの。例えば、千葉県で作った米やお酒などを江戸に船で運んで売っていた。

「足りないところに、必要なものを売れば、多少高い値段でも買ってくれる」それが伊能の成功の秘訣だった。

 中田先生は「35億を稼いで一躍注目を浴びた。そして村長になった。そんな中で浅間山が大噴火し、天明の大飢饉が起きた。死者は全国で90万人を超えた日本史上最大級の飢饉。伊能の村もピンチと思いきや、なんと伊能の村は死者がゼロだった」と驚きの事実を明かした。

そして死者がゼロだった理由を「死者がゼロだったのは偶然ではない。伊能のおかげ。実は大飢饉を予測して、周りが米を売れと言っていても、伊能は逆に米を買って、備蓄していた。」と説明した。さらに「そんな中でも米を村中に売るのではなく、配った」と伊能の功績をさらに強調した。

②武士になった伊能のしくじり

 中田先生は「伊能の評判が高まり、武士扱いになった。気がつくと大出世していた」と評価しながら「これこそが夢を追い忘れてしまう人の典型。夢は天文学だったが追えていない。気づいたら刀を差しながら50歳になっている自分がいた。夢を諦めてしまう人の特徴は、”与えられた場所で結果を出してしまうこと”」と指摘した。

さらに「仕事がキツすぎる人の大半が自分の能力がないからだと自分を追いつめるのではなく、優秀だから追い込まれている。オーバーワーク状態になる」と解説した。

 そして中田先生は、「日本人の大半が休まなくてもいい人じゃない。本当は休みたいけど、優秀でやさしいから休めていない。だから今こそ伊能を見てほしい。伊能は50歳になった。普通の人なら、そんなオーバーワーク人生を経てきたら、『もういいかな。自分の夢を諦めようかな』と思う人も多い。しかも当時の平均寿命は約50歳。今でいうと70歳〜80歳くらいから、夢を追いかけるようなものである。

3.2度目の人生「全てを捨てて夢のために上京」

①夢のためにプライドを捨てて19歳下に弟子入り

 ただそんな平均寿命になっても、伊能は夢を諦めない。現在の武士に地位と名誉を捨てて、夢のために江戸に向かう。稼いだ財産を家族に預けて、村長、武士扱いなどを投げうって単身上京した」と説明。

そして、伊能は自分より19歳も年下の幕府直轄の天文学者に弟子入りすることを決意。その天文学者とは、当時31歳の高橋至時氏だった。

中田先生は、生徒の芸人に「19年下の後輩に頭下げられますか?」と質問。「プライドが邪魔して無理」と言う人が大半だった。そんな中、プライドも何もかも捨てて、自分の夢のためにどれだけ年下の人でも教えを請う伊能に尊敬の念を示していた。

②夢と叶える方法を模索し、日本地図作成に挑戦

 中田先生は「地球の大きさが知りたい」という伊能の夢を紹介。当時、地球が丸いことは知られており、伊能が考えた測量方法が「完全に同じ歩幅で歩けたら測れる」というものだったと中田先生は話す。

普通は無理だが、伊能は常に周りの期待を超えてくる男。

なんと練習して、完全に同じ歩幅で歩けるようになったと言う。これには、周りも感動するし、何より伊能もテンションが爆上がり状態になっていたはずである。

だが完全に同じ歩幅で歩けるようになった伊能の目の前には、江戸で測量をしようと言うことになったが、あまりに人が多くて江戸をまっすぐ歩いていたら「人にぶつかる」ため、測量できない問題が発生。

そしたら地方で測量しようということになったが、ここでも関所があり自由に行き来できないという問題が立ちはだかる。現代の日本では、「職業選択の自由」「居住の自由」があり、自由に移動も居住もできるが、江戸時代はそんなことができる時代ではなかった。

ここで高橋至時先生が提案したのが、幕府の欲しがっていた北海道などを含めた日本地図を作ることだったという。

そこで、結果地図作りと引き換えに全国どこへでも行ける許可がもらえた。中田先生は「地球の大きさを知るために地図を作った人。幕府を自分の夢のために利用した人」だと説明した。

 伊能は約20年間、地図を作るために全国を歩き回った。

中田先生によると、「始まりの北海道編」「凍てつく東北編」「慢心の北陸・東北編」「波乱の中国・四国編」「地獄の九州編」「不屈の九州リベンジ編」の6つ、そして本人は娘の反対でいくことができなかった「伊豆七島編」があるのだという。

 伊能は51冊もの日記を書いており、現在でも測量の旅の様子がよくわかる。その中で中田先生は、測量をする伊能隊のしくじりも紹介。

伊能は、測量の旅をする中で、旧メンバーと新メンバーが対立してしまったのだという。中田はダンス&ボーカルグループのEXILEに例えながら、旅のメンバーが変わっていく様子を紹介。

「新メンバーが役人だったので、文句を言いづらくて、旧メンバーに当たってしまっていた。フラストレーションが溜まってしまい、体が弱った結果、伊能は熱病にかかって途中離脱した」となりゆきを語る。

 伊能が抜け、残った18人がまさかのならず者集団になってしまい、無銭飲食、飲酒、喧嘩、女を呼んで宴会三昧に。本当にこのグループは伊能の熱意で保っていたグループだった。

そしてさまざまなトラブルはあったが、測量を終え、伊能忠敬は73歳で死去した。その測量の途中も伊能は、家族へ「いつまでにここに行く予定」ということをしっかりと手紙で定期的に伝えているほどマメだった。

 伊能の地図は、日本で天文学の知識が取り入れられた最初の地図だった。軍事的に利用されることを恐れ、幕府は外に出さないようにするほど、伊能の地図は精密だった。

そして伊能が夢だったのは、「地球の大きさ」を知ること。結果、その時の伊能忠敬はしっかりと地球の大きさを導き出した。

伊能が導き出した大きさと現在の性格の大きさの誤差は約150km。人工衛星やGPSもなかった時代にこれほどまでに距離を導き出したのは、まさに伊能が諦めなかったことと夢を追いかける熱意があったからである。

4.伊能忠敬の人生と教訓について

伊能忠敬作成の日本地図

 伊能は、後に「人生を2度生きた男」と言われる。1度目の人生は、「みんなの期待に応え、村の村長として、みんなを助け、商売を大成功させた男。」

2度目の人生は、「稼いだ財産を家族に預けて、村長、武士扱いなどを投げうって、夢のために日本地図を作った男」の人生である。

 偉人・伊能忠敬から学ぶ教訓について、中田は「夢を叶えるのに早いも遅いもない。夢を追うことを恐れるな!夢は叶うか叶わないかではない。追うか追わないかだ」と語る。

さらに「みんなが夢を追うのが怖いのは叶うかどうか分からないから。でも叶った瞬間より叶えようと追いかけている瞬間の方が楽しいと伊能を見ていて思う。その姿勢を見習って、今すぐにでも夢を追いかけてほしい。何かを言い訳をしたくなったら伊能を思い出してほしい。伊能は、何のためらいもなく、すべてを捨てて楽しい夢に生きた。皆さんは伊能のように性格な日本地図を作ることはできないかもしれない。でも自分の人生の地図を作れるのは自分だけ!」とエールを送った。 

まとめ

まとめ

 【【徹底要約】しくじり偉人伝”伊能忠敬”ー中田敦彦先生ー】ということで、

  1. 伊能忠敬の凄さをGoogleを例に挙げて説明

  2. 1度目の人生「産まれから武士になるまで」

  3. 2度目の人生「全てを捨てて夢のために上京」

  4. 伊能忠敬の人生と教訓について

を紹介しました。

現在夢を追っている人、夢を追いかけるのを諦めかけている人に対してはきっと伊能の生き方やしくじりが参考になります!

今後も偉人の名言・行動を通して、あなたの人間関係やお金、生き方、健康などの悩みを解決する手助けをさせていただきますので、よければ「フォロー」、記事への「いいね」お願いします。「サポート」もお待ちしています。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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