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【徹底要約】しくじり偉人伝”バブロ・ピカソ”ー中田敦彦先生ー

今日も記事をご覧いただきありがとうございます。

 2022年12月現在「中田敦彦のYoutube大学」を日々更新し、Youtubeのチャンネル登録者数は驚異の495万人、もう少しで500万人に届きそうな勢いのある中田敦彦氏。

 そんな中田敦彦氏が、2015年〜2017年にかけてやっていたテレビ朝日の番組に「しくじり偉人伝」というのがあります。これはその名のとおり、過去功績を残した偉人が、裏ではかなりのしくじりを犯していたことを紹介し、そこから学ぼうという番組です。

 わたしは、2017年にどハマりして、どの動画も全部見ました!そんなしくじり偉人伝の動画の中で今回人生で一体何が大切なのか?を見直す上で大きな学びのあった「バブロ・ピカソ」の中田先生が紹介したストーリー全てを要約して書きました。

世界で一番多作な画家として、ギネス世界記録にも載っている偉人「バブロ・ピカソ」、彼が一体どんな人生を過ごしてきたのか、徹底的に要約しました。

「人生を失敗しないために一体何が大切かを悩んでいる人」、「お金や名声以上に大切なものを知りたい人」に対して特におすすめです。

偉人のしくじりから学ぶことで、自分の人生をより良くしていくためのヒントにしていただければと思います。

是非最後までご覧ください。

1.アートはわからない?皆の疑問をピカソから解説

分からない顔の女性

①ピカソについて

 ピカソについてみんな名前は聞いたことがあった。でもISSAや真野さんに聞いてみると、ピカソにあまり興味がない様子。みんな興味がない状態で始まった最悪の授業に対し、中田先生は興味がないという生徒に対して、逆に燃える(授業のしがいがある)という。

 ピカソという名前だけがみんなの名前にあって、具体的に名前が出てこない生徒の様子を見て、中田先生がピカソのプロフィールについて簡単に説明。

<バブロ・ピカソ>

バブロ・ピカソ

生没年:1881年〜1973年 (意外と最近まで生きていた。もっと前の偉人だと思われていた)
出身:スペイン
経歴:20世紀最大の芸術家

<代表作>
①ゲルニカ (1937年)

ゲルニカ

②泣く女 (1937年)

泣く女

③アヴィニョンの娘たち (1907年)

アヴィニョンの娘たち

3枚とも見たことない人はいるか?と生徒に聞く中田先生。すると、生徒からは、美術の授業や教科書で見たことがあるし、大きな値段が付けられていたというニュースで見たこともあると声があった。

そして中田先生は、生徒に対して「これらの絵は好きですか?」と聞いた。

ISSAさんは、「これ欲しいかと言われたら欲しくない。だって何の絵か分からないので、怖いから。アヴィニョンの娘たちや泣く女に関してもどう描いているのかが分からない。だからやっぱりこの絵欲しくはない」と感想を漏らす。

そして中田先生は、このISSAさんの声に対して、きっとこの絵を幼少の頃に学校で見たけど、みんなこう思ったのではないかと言う。

この絵のどこがすごいの?

芸人吉村さんに関しては、「自分に芸術的な才能がないからもう下手なんじゃないか?」と思ったと言う。

そんな声に中田は、「すごく素直な生徒でよかった。自分のせいでピカソの良さが理解できないと思いましたよね。」と褒め称えた。

ただ中田先生は続ける。「ただ、でも(美術の)先生に向かってこれ下手な絵ですねって声高に主張した人がいるか?」と生徒に聞くと、

そう主張した生徒は一人もいなかった。

つまり「みんな先生に何でこれがいいんだよ。こんなの俺でも描ける。そう主張した人が一人もいなかったということ。

その結果皆さん心の中でこういう風に気持ちを処理したのではないか?」という中田先生

アートってよくわからない

中田先生はさらに力説「先ほどの吉村さんの一言、実は重い一言で、きっとピカソの絵が分からないことをみんな自分のせいにしたと。

それはだってピカソが凄いのはあまりに有名なことだから。声高にピカソ下手じゃんって言うものならみんなにバカだと思われそうだから」

その結果映画館などと比べ、アートは身近ではなくなってしまった。

そうなると友達に「この間の〇〇の映画見た?」と聞く人はいるけど、「この間のシャガール展行った?」と聞く人はほとんどいない状況になってしまった。

ただこれをなぜかを考えたら、もしかしたらピカソのせいかもしれないとそういう中田先生。「一番最高の画家の絵が分からなかった」。だから「アートは難しい」って思った記憶がみんなにあるのではないか?

もしかしたら、それがアートを遠ざける結果になってしまっているという中田先生。

俺たちは、アートに関してコンプレックスを持ってしまっていたのか?
そういう意識はなかった。

ただ、俺たちのアートに対するコンプレックスを刺激して一躍脚光を浴びた人物を紹介するという中田先生。 

②芸人永野は、みんなのアートへの気持ちを代弁してくれた

芸人 永野

芸人永野のギャグが、みんなのアートへのコンプレックスを刺激し気持ちを代弁してくれたという中田先生

ゴッホより普通にラッセンが好き〜♪
ピカソより普通にラッセンが好き〜♪

芸人永野「ゴッホとピカソに捧げる歌」

「ゴッホより、ピカソより普通にラッセンが好き」という言葉にアートの真髄が込められているとのこと。

ここで大事なのは「普通に」というワード。もし「普通に」がないとコーヒーより紅茶が好きくらいの個人の好みになってしまう。

「普通に」はどんな意味が込められているのか?

<フィンセント・ファン・ゴッホの代表作>
ひまわり(1888年)

ひまわり

ゴッホのひまわりについての印象をみんなに聞く中田先生。それに対して、あきさんが「いらねえ」という言葉を発する。

本当に億の価値があるのか?そう思ってしまうのではないかという中田先生。

それと対照的なラッセンの絵を見せた。

<ラッセンの代表作>
バランスオブライフ(1999年)

バランスオブライフ

そしてみんなに感想を聞くと、普通にラッセンの絵の方が綺麗で欲しくならないかという中田先生。

ただここでみんなに言えなかったことがあった。それはラッセンの方がうまいじゃんってみんなに言おうものなら「お前ピカソ分かってねえじゃん」「お前バカじゃん」「ピカソが分かりません」なんて恥ずかしくて口にできなかった。

でもそれはみんなの秘密でみんな黙ってた。ピカソ分かんないです。ごめんなさいとは言えなかった。
ただそれを一人の男が大声で叫んだ。

芸人永野「皆さん、ピカソわかりません!僕バカでぇーす!!!」

その瞬間全員の心のドアがパーンって開いた。
みんなの心の声「俺もだよ、俺も分かんないよー」

ピカソの凄さがわかれば、アートが面白くなるはずだから、
・ピカソはどこが凄いのか、
・なぜ我々はその凄さを今まで分からなかったのか

今夜その2つがついに絶対に全てわかると力説する中田先生。

2.ピカソの偉業を通してアートの面白さを学ぼう

偉業のイメージ

①ピカソの偉業について数字で説明

 ピカソはどんな活動をしていたのか? 生涯で何と約15万点もの作品を作っていたとのこと。

他の芸術家の平均はどれくらいなのかもピンと来ていない生徒たち。

 実はピカソは最も多作な画家としてギネス世界記録に登録されている画家だった。つまり世界一多かった。

 <ピカソの作品数> 絵画:約1万3500点 版画:約10万点 挿絵:約3万4000点 彫刻:約300点

ただ世界一多く作ってることは恐らく授業では教えてくれていなかった。 他の画家との比較もしていく。

 <他の画家の作品数>
(油彩) ゴッホ:約860点 
     ムンク:約1100点 
     ルノワール:約2000点 (喫茶店にもなってますよね?笑)

 他の画家と比べると15万点がいかに異常な数値か分かるはず。

 15万曲も歌えるかとISSAさんに聞くと、「いや歌えないと思う」という回答。DA PUMP15万曲出してたら、カラオケの歌本全部 DA PUMPになりますよね。

ただそれがガラクタみたいなものだったら意味ないのではないか?実は価値のある作品がほとんどで、作品の価値のトータルは約3兆円にもなるとのこと。

これはモロッコ王国の国家予算(約3兆2000億円)にも匹敵する(CIAのデータ 2015年為替レートより換算)。 

じゃあここまで絵はすごいすごい、いっぱいあるのなら見たくなってこないかと生徒に対して言う中田先生。

②中田セレクト10枚のピカソ展 開幕

<中田流 映画鑑賞のルール>
・馴染みのないピカソの作品10枚を鑑賞
・難しい解説はなし(タイトルすら言わない)
・純粋に感じた絵の感想を発言する
・好きか嫌いか普通か自由に感想を述べる

<1枚目>
こういうテイストの絵きれい。好きだよっていう絵葉書があるのが楽しい。好きな作品の絵葉書を買うのが楽しい。あの感覚を思い出して欲しい。

<2枚目>
幾何学的な感じ。かっこいい。モダンなリビングとかに絶対合う絵。感覚的にかっこいい。

<3枚目>
もうちょっとだけ女の子の髪の毛長くして欲しい

<4枚目>
これは今までの絵と比べると写真のように描いている。心が洗われる。これは全員好きな印象を受けていた。

<5枚目>
目の位置が怖い。これ好きっていう人嫌いだわ。だんだん自分の中でのピカソのイメージに近づいてきた。ピカソってどんな絵を描くのか?って聞かれると大体こんな絵になる。

<6枚目>
なんかこれかわいい。写真でもなく崩れてるわけでもなく、ちょうどいい。写実的ではなく、ほっこりする感じがちょうどよかったかもしれない。

<7枚目>
あきさんはこれがうちに飾ってあるとのこと。可愛いなと思って買ったみたい。15万展の中で中田チョイスの10枚があるのは中々ないはずだった。

<8枚目>
これいいね。窓から見た景色ですよね?
コートダジュールにも惹かれますよね。

<9枚目>
好きか嫌いかも分からないもの多いんですよね。その場合は普通と言ってください。芸人でも面白くもつまらないでもないのはあるあるの話。

<10枚目>
何でこれ最後にするんだよ
何で最後野生爆弾なんだよ。これカワシマさんが描いた絵だよ。

普通よりいいと思うんですよね。
普通よりちょい上くらいですよ。色合いがちょっと明るいし、下地がオフホワイト。汚れた感。古着好きなんですよ。

「僕はこの絵が好き。君は好きじゃないのか。これを話し合うのが楽しいのじゃないかと。それがアートの醍醐味じゃないか。」と力説する中田先生。

③ピカソの凄さが分からなかったのはなぜだった?

 ピカソの凄さを2行で表してきたという中田先生。

「もの凄い数の作品を
 ものすごく色々な種類の作風で作った」

 ピカソの凄さが分からなかったのは、好みの作品に出会えてなかったことを生徒に気づいてもらった中田先生。実際資料集で見た絵はいつも同じ絵ではなかったか?代表作の「ゲルニカ」や「泣く女」などではなかったでしょうか?

 ただ実際あれらの作品はピカソっぽい絵ではなく、ピカソが描いたある時代の絵ですよね?

 ピカソっぽさなんてないんです。ピカソっぽさなんてないぐらいたくさんの絵を描いていたんです。ピカソの絵が分からなかったのはみなさんのせいじゃなかった。

資料集に数枚しか載ってなかったから、自分の好みの絵に出会うことができず、ピカソの凄さが分からなかった。ただ資料集に数枚しか載せてなかったのは、先生のせいでもないと豪語する中田先生。

いっぱいの画家が色々な時代にいるからピカソに10〜20ページも資料集に割けなかったんです。だから誰も悪くない。ただピカソが僕らの想像以上に凄い人だった。だからピカソが分からなかったんです。でもそれこそがピカソの凄さだってことをピカソ自身はわかってたんです。

だからこんな名言を残してます。

④ピカソの名言と才能

ピカソ「ミュージュアムをひとつくれ。埋めてやる」

その声に一同は、「かっけぇー!」「ピカソ先輩!!」となっていた。

だってミュージアムってすごいですよ。

 例えば、

  • イギリス「ナショナルギャラリー」約2,300点

  • 日本「国立西洋美術館」約5,000点

  • スペイン「プラド美術館」約9,000点

  • フランス「ルーヴル美術館」約3万8,000点

この美術館を埋めろよと言われたらまず無理ですよ。でもピカソはどうですか?15万点も作品があるんですよ。

だからこそピカソは言った「ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる」

そんな名言に一同は「かっこいい」と言葉を漏らす。

ただそんな圧倒的な作品数を作り続けたピカソだからこそ、あるしくじり疑惑があった。

ピカソと同時代にこれ(何万点も素晴らしい作品を描く)ができる画家がいたら、他の画家はたまったもんじゃない。おい待てよ!あいつ才能ありすぎじゃないのか?となります。

そんなこんなでピカソにはある疑惑がかけられます。それが、

「盗作疑惑」

澤部:ピカソ先輩・・・
   俺らのピカソ先輩がまさか盗作なんて

若林:(世界観に)入り込んでんな〜

 俺たちのカリスマがまさかパクっているのではないか?
 周りの人が言うわけです。「あんなのは人間の技ではない。パクってるから出来るんだろ」と。

 例えば、

①「ダンス」マティス作 1910年

「戦争と平和のためのデッサン」ピカソ作 1952年

戦争と平和のためのデッサン

 確かに輪になって踊ってるという構図は一緒。これはパクってるんでしょうか?

②「キャプシーヌ大通り」モネ作 1873年

キャプシーヌ大通り

 「クリシー大通り」ピカソ作 1901年

クリシー大通り

 似た構図ですね。これは盗作でしょうか?

③「カフェにて(アブサントを飲む人)」ドガ作 1876年

カフェにて(アブサントを飲む人)

 「セバスチャン・ジュニア・ビダルの肖像」ピカソ作 1903年

※画像なかったです。すみません💦

 あたかもカメラ位置を変えたような作品です。

 そして実はこういう事例が他にもめちゃくちゃあります。

 みんなが言いました。
 「お前パクッてんじゃねえか。ピカソ。」これ盗作なんかどうかわかりませんね。

 ピカソはこれに対し何と答えたか?

ピカソ:「凡人は真似をし、天才は盗む」

ピカソの名言

一同:えー凄い。ピカソ先輩!これはかっこいい!!

<中田式解説 ピカソの名言>

「凡人は真似をし天才は盗む」

【真似】
元の作品に近づける

【盗む】
人のものを自分のものにする

ピカソがここで言いたいのは、

 「人のスタイルやアイデアを自分のものにして新しいものを作ってるんだ」と。ただこれはどうでしょう?賛否が分かれそうなところですよね。

これが是か否かというとケースバイケースですよね。

ただ僕は1つの疑問には答えられるのかなと思いました。

ピカソがなぜ15万点もの多様な作品を作ることができたのか?

 こんな才能があったからだと思うんです。

「既にあるものを次から次へと吸収して新しいものを作り続ける才能」

皆さんピカソと聞いた時に、「何か常人では理解できない0から1のものを急速に作るそういうタイプの天才だと思いませんでした?」

でも実はどうでしょう?

次から次へとトレンドを仕入れて、みんなが喜ぶものに変えていく一流ビジネスなのかと。そういう解釈もできるのではないかと。そう思うと見方が変わってきます。

そしてしくじり先生の本題 ピカソは一体どこがしくじっているのか?

ここからしくじり偉人伝です。

3.ピカソのしくじりは女性関係にあった

女性を取っ替え引っ替えする姿

 女性を次から次に取っ替え引っ替えしちゃう俺様先生だった

なぜピカソは俺様な性格になってしまったのか?

俺様な男性

 これ思い出してください。
 「ミュージアムを一つくれ。埋めてやる。」「天才は盗む」と言っていた。そんな人が恋愛をしたらどうなるのか?
 激しそうですよね。

 何で俺様になったのか?これはピカソの歴史を見ればわかるという中田先生。

<バブロ・ピカソ年表>
1881年 スペインのマラガで生まれる(0歳)
1892年 ラ・コルーニャの美術学校に入学(11歳)
1900年 経済的に成功を収める(19歳)
1907年 「アヴィニヨンの娘たち」等を描く(26歳)
1911年 世界的なアーティストになる(30歳)

これ19歳の時には経済的に成功をもう収めている。若い時にピカソの代表作をもう作ってるんですよ。

30代ではもう世界的なアーティストになってたんですよ。そうなんですよ。
30代で成功して初めての結婚をします。

26歳のお嬢様オルガとピカソが結婚(1人目の奥さん)

オルガ

ピカソ36歳 オルガ26歳の時に出会う。ロシアの大佐を父に持つお嬢様的女性。

このオルガという女性、ピカソとの間に一人息子パウロを産むんですね。ただピカソはすぐにオルガには愛情が冷めてしまう。

ただ離婚はしなかったんですよ。なぜならその時ピカソは莫大な財産を築いてますから、離婚をしてしまうと、財産を半分くらい渡さないといけないからだった。

それが嫌だなと思ったピカソはどうしたか。不倫をしたという中田先生。

しかもどういう不倫をしたか?

17歳のマリーテレーズをデパートでナンパ(愛人1人目)

マリーテレーズ

「俺もさすがにここまでは出来ないよ」と言うISSAさん。

<ピカソのナンパ劇場>
①デパートの前を歩くピカソ

②地下鉄の出口で少女を発見
 この子かわいいじゃん

③急に少女の腕をつかむ
 これ女性だったら怖いですよね。普通ナンパとはいえ、急に触ったりまではしないじゃないですか。普通は声かけますわな。

ただピカソは、
 「壁ドンならぬ腕ギュウ」からスタート

④口説く
ここで俺様名言がやってくる。カリスマピカソは言った。

「君の絵を描きたい。私はピカソだ!」

 これが言えたのは、ピカソが自他共に認める超有名人だと知っていたからです。

そして「私が絵を描きたいと言えば誰しもが心揺らぐ」だろうということなんですね。

ただこれは偉人の世界では結構あるあるなんですよ。

例えば、相対性理論を発見したアインシュタイン先生は(女性を口説く時に)こう言ったんですね。

「相対性理論の話を聞きたくないかい?」

つまり「偉人は自分のヒット作でナンパをする」

これあるあるなんです。

もしよかったら皆さんもやってみてください。

船越英一郎:もしよかったら一緒に崖にでも行くかい?

船越英一郎 崖の画像


一同:それですよ。船越さん

 でもピカソはすごい天才ですから、それでその少女は恋に落ちちゃったんですよ。

<ピカソがナンパした17歳の女性>
 マリーテレーズ(1909年〜1977年)

マリーテレーズ

綺麗ですよね。

<マリーテレーズをモデルにした絵>

マリーテレーズ モデルの絵


ピカソ45歳 マリーテレーズ17歳の時に出会う。結婚はせず愛人関係で娘マヤを産む

絵のタッチが違うんですよ。女性も変わるし作風もとにかく変わるんですよ。

歳の差すごいですね。愛人関係ですが娘を産んでます。マリーテレーズだけでは飽き足らず次の女性に行きます。

どんな女性なのか。

29歳の女性ドラ・マール(愛人2人目)

ドラ・マール

ドラ・マール(1907年〜1997年)

これが泣く女のモデルになった人
ドラ・マールをモデルにした絵

泣く女

あの代表作と言われた絵は、「愛人が泣いている顔」だったと。そういうことなんですね。

<ピカソとドラ・マール>
ピカソ55歳
ドラ・マール29歳の時に出会う

このドラ・マールとは、月火水金土日の6日間会ってたそうです。

若林:木曜日だけ会わないんだ?

木曜日は何をしていたか?

木曜日は、マリーテレーズと会っていた。ピカソはこの頃マリーテレーズを「木曜日の女」と呼んでいた。

たかやま:嫌なやつ。絵がうまくても人間として最低。好感度一気に下がりました。

ドラ・マール気づくわけですよ。あれ?ピカソは木曜日だけいねーなぁと。内緒で会ってたんですよ。

そんなドラ・マールとマリーテレーズに最悪の修羅場が訪れます。

愛人2人が鉢合わせ

<ピカソの鉢合わせ劇場>
ドラ・マールとマリーテレーズが鉢合わせし、2人はもみくちゃに。
わーわーぎゃーぎゃーとなっていた。ここでピカソの俺様名言が出てきます。

もみくちゃの2人にこう言った。

<ピカソが言い放った一言>

ピカソ名言

勝った方と付き合うよ!(私はピカソだ)

吉村:これはたいしたもんですよ

真野:これはもう殴りたくなります

 しかも天才を通り越してもう変態かもしれない。この喧嘩を見て創作意欲が刺激されたピカソは、ちょうどその時描いていた「ゲルニカ」の中に2人を描きます。

ゲルニカ

ゲルニカは戦争批判と言われている絵なんですが、実はその中に愛人2人の痴話喧嘩も書き込まれてたんですね。

もしかしたら愛人とのすったもんだがなければ、ピカソのこの傑作もなかったかもしれない。

この2人の勝負勝敗がどうなったか詳細は定かではないんですが、ズルズル関係を続けながら、その上で3人目が現れる。

21歳の気が強い性格のフランソワーズ(愛人3人目)

フランソワーズ

 恐らく君は花のようにきれいだねと言ってたんですね笑

この時、ピカソ61歳 フランソワーズ21歳の時に出会った。

ただこのフランソワーズは気が強い女性なんですね。だから初めてピカソのことを振るんです。

フランソワーズ:あんた浮気してばっかじゃん。あんたとは10年暮らしたけどもう会わないよ。こう言い残し、別れを告げます。

私はピカソのすべてを理解したからピカソのもとを離れた

一同:かっこいい。フランソワーズ姉さん

 ここでピカソはひどくプライドを傷つけられてしまうんです。

それはなぜか?もちろん振られたこともショックだったんですが、振った後にフランソワーズはすぐに若い男と結婚するんです。しかもこの若い男が、「画家」だったんですよ。

天才と呼ばれる自分を捨てて、若い同業者の元に行ったフランソワーズ。ピカソは激怒して恐ろしい行動に出ます。

俺様のピカソと気が強いフランソワーズのバトル

激怒したピカソの行動は、「若い画家に圧力をかけて美術界から迫害」

一同:ピカソ最低。器ちっちゃい。

 関係者に色々言ったんでしょうね。
「あの若い画家知ってるよな?」
「あいつの絵を評価するな。買うなよ」
「もしそんなことをしてみろ。分かってるな。」

「私はピカソだ」

一同:悪いふうに聞こえる。本当にピカソはそんな風に言ったんですか?笑

もしかしたら言ったかもしれない笑
「私はピカソだ」はナンパにも脅しにも使えるんですよ。

<ピカソの嫌がらせ語録>

私に発見された恩を返せ!
    ↓
私の元を去ったら行く先は砂漠しかないぞ
    ↓
私の元に戻れば私の「ピカソ」姓をやろう。

この頃は元妻のオルガは、病気で他界してるんですね。ですから、愛人だからピカソ姓はなかったけど、もしピカソ姓をもらった方が子どもは裕福に暮らせるわけです。

若い画家は、絵が売れてないんだろ?(自分が若い画家の絵を買うなと圧力をかけているのに)

ここでフランソワーズが疲れ切ってしまう。フランソワーズとしては、不安が募るわけです。子供が迫害されるんじゃないかと。

そしてついに若い画家とフランソワーズは、離婚を決意してしまうんです。

その離婚の決意を聞いたピカソは、その瞬間衝撃の行動に出ます。

<ピカソの驚きの行動>
別の愛人と急遽結婚!

高山:絶句。フランソワーズの気持ち考えたらわたし笑えないです。

 フランソワーズも今の高山さんと同じ顔だったと思います。何これ?私への当てつけ?私へのピカソ姓をあげてもいいと言ってたのは何だったの?教えてよ、ピカソ。

 その不安を解消するため、フランソワーズがピカソ宅を訪れます。

そしてそこでピカソはこんなことを言ったわけなんです。

<ピカソがフランソワーズに向かって言い放った言葉>

ピカソ名言

勝ったぞー!

一同:もうやだー。ちょうどその時の写真みたい。こんなに偉人に苛立ちを覚えたことないです。

あきさん:後ろから蹴っ飛ばしてやりたいよ。

 フランソワーズは気が強い女性だったこともあり、どうにかしてコイツに痛い目を合わしてやりたいと思ったわけです。そしてついにフランソワーズは反撃に出ます。

<フランソワーズの反撃>
暴露本の出版に向けて動く

フランソワーズ「ピカソあんたは天才と評判だけど10年暮らした全てを書いてやる」

そこに恥ずかしい口説き文句や赤裸々な描写が色々と書かれる予定になった。全部知ってるんだぞ。全て打ち明けてやる。

<ピカソとフランソワーズの争いチャート>
暴露本の出版を決意
   ↓
暴露本の内容にピカソが激怒
出版差し止めの裁判を起こす
   ↓
美術界での力を使い
他の芸術家から署名を集めて新聞に出版差し止めの広告を出す

ピカソ:出すな!出すな!あいつふざけんな!

大騒ぎ。そしてその裁判は三審まで長引きました。

裁判の結果として、

「暴露本出版」が決定。そしてこの本は出版されてから世間に衝撃を与えたと。

しくじり:人の恨みを買うべきではない

<ピカソがフランソワーズに言った言葉>

ピカソ名言

君の勝ちだ

三年前彼は勝ったぞー!と言いました。その後「君の勝ちだ」ということになりました。

ただピカソはその後の生活どうなってたのか?

ピカソと結婚した二人目の女性 ジャクリーヌ

ジャクリーヌ

その頃また作風が変わります。ジャクリーヌは、金目当てでピカソと結婚したのではないかと言われてますが、ピカソが死ぬまでの12年間連れ添ったので、必ずしも金目当てだったとは言えないと思います。

というのが分かるのが、ピカソが最後にお医者さんに言った言葉に現れてます。

<ピカソが最後に医者に言った最後の言葉>

ピカソ名言

女っていいもんだよ

さまざまな女性を取っ替え引っ替えしてしくじったピカソ。
しかししくじりはまだ終わっていなかった。

ピカソの死後起きた最大のしくじりがこちら↓

4.ピカソの死後起きた最大のしくじり

死後

5人の女性がピカソの死後、大きな報酬を受け取ります。

<ピカソからのプレゼント>
ピカソの遺産約4,000億円
1973年4月の為替レートより換算
監修:岡部昌幸(帝京大学教授)

いずれにしても巨額

<遺産を一番多く受け取った人>
最初の妻 オルガとの孫 マリーナ(1950年〜)

マリーナ

なぜ孫なのか?

ピカソと最初に結婚した妻 オルガとその息子(パウロ)は既に死亡している。ただそのパウロとエミリエンヌという女性が結婚して、2人の子供(ピカソから見ると孫のマリーナと孫バブリーと)がいました。

そしてパウロとエミリエンヌは離婚しており、バブリーとも既に死亡していた。

だから直径の親族としては、マリーナが一番近い親族になっていた。

その遺産相続額は、なんと約770億円。その中には豪邸なども含まれます。一気に裕福な暮らしをするようになった。

<孫:マリーナのピカソに対する心境>
ピカソの事を恨んでいる

ピカソのことを聞いた自伝の中で色々書いています。マリーナの立場からすると、ピカソの最初の妻の子供の子供ですから、不倫を重ねて違う奥さんの元にいってる姿を見てますよね。

あまり手厚くはもてなされなかったかもしれません。

ただ単純に恨んでいたわけではなかったと思える記述もあるんですね。
ある日マリーナは、ピカソの死後アトリエだった場所に行ったそうなんですね。

そこでマリーナは1枚の絵を血眼になって探していたんです。それはこんな絵を探していた。

<マリーナの探していたもの>
ピカソが描いた自分の絵

恨んでいたとはいえ、マリーナはピカソに愛されたがっていたということが読み取れるんですね。不倫を重ねるおじいちゃんだったけど、「もしかしたら私の事描いてるかも」「幼い頃の私を描いてるかも」「だってピカソはいっぱい絵を描いてるもん」

「きっと1枚や2枚の絵があるはず」そう思ってマリーナは血眼になって、自分の絵を探したそうです。

ところが、

<マリーナが絵を探した結果>
1枚も自分を描いた絵がなかった

ピカソは次から次へと新しいものを吸収しましたが、一度捨てたものは振り返りはしなかったんですね。ですから本当に欲しかった絵はなかったんです。

つまり私はピカソから愛されてなかったことを痛感し、マリーナはひどく傷ついたんです。
だから自伝には、「ピカソのことを恨んでいる」とそう書いたんです。

<マリーナの行動>
ピカソの作品を売却し始めた

これはお金のために売り始めたわけではなく、もうピカソの絵はいらない、もう距離を取りたいというマリーナの心の現れなのかもしれません。

少し悲しい話ですよね。ただマリーナがそういう行動に出てしまったのは、ピカソのせいかもしれません。

5.ピカソの人生と教訓について

人生と教訓

ピカソは、若くして成功し、大金持ちになり画家としても大きな名誉と地位を手にしましたね。

ただ若くして成功したがゆえに、俺様な性格で、女性を取っ替え引っ替えしてしまうしくじりを犯しました。

最終的には、2人の女性と結婚し、3人の女性と愛人関係になったピカソ。

そして、ピカソの死後多くの財産(約4000億円)がその奥さんや親族に渡ることになりました。

しかし、ピカソの孫のマリーナは、必死で自分の絵を探したが15万点もあるピカソの絵の中に自分の絵が一枚もなかった。

<中田考えるピカソのしくじり>

世界一多作な画家であるのに家族に愛情を伝えるたった1枚の絵を描けなかった。

本当に描かなきゃいけない絵を1枚描いていなかったんです。

ここから私たちが学べる教訓はこちら。

<教訓>

愛情


後世に残すべき本当の遺産は金でも物でもなく「愛情」である

この教訓を「愛情」以外の「金」「物」「名声」全てを残したピカソから学ぶべきではないでしょうか?

<中田先生が導いた教訓>

祖父と孫の愛情

アートは難しく考えずに家族で楽しみながら鑑賞しよう

後世に残すべき一番大切なものは、「愛情」

6.まとめ

まとめ

いかがだったでしょうか?

 徹底的に要約して書いたら、文字数が12,000字を超えて、ちょっとした大学の卒業論文クラスの長さになってしまいました。

実際資本主義社会でお金を手にする事は大事。名声も手にすることは大事。ただ誰からも愛されていなかったら、本当にあなたは幸せでしょうか?

親、兄弟姉妹、友達、仕事仲間、恋人、そして結婚相手。

そういう人からの愛情が何より人生で最も大事なものではないでしょうか?
それをこのピカソの人生から学ぶ教訓にして、今自分の周りにいる人を大事にしてください。

それがこの話から学ぶべき、現代での偉人の行動の活かし方だと思います。

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最後までご覧いただきありがとうございました。

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