生きる意味
よく
「止まない雨はない」
とか、
「今ある悩みは5年10年もすれば、なんであんなことで悩んでたんだろって思うよ」
とか、
「生きてればどうにかなる」
などのような意味合いの言葉を、ネガティブな発言をポロッと溢した時に大概の人に言われてきた。
それはきっとそうなのだろう。
と何となく分かっていたけれど、今がとても辛いことには何故誰も目を向けてくれないのだろう。
励まされれば励まされるほど辛くなる。
「あと5年もすれば…」なんて言われても、今でもこんなに息が出来ないのに、こんな雨があと5年も続くのかと、もっと絶望してしまう。
凄く素敵な文章なので共有したい。
私は先ほどにも書いたように、「死にたい」とか「幸せとは?楽しいってなに?」とか、生きる意味も分からずに、ただ歳を重ねてきた。
だからこそ私もいざ「死にたい」と思っている人が現れても、「生きてほしい」なんて無責任なことは絶対に言えないと思っていた。
生きるも死ぬもその人の自由だと。
自殺が逃げだなんて思わないし、悲しむ人がいるから…なんてことも言わない。
できれば生きてほしいとは思うけれど、当の本人からしたら、逃げだと言われても構わないくらい追い込まれているし、周りがどうのこうのなんて気にしていられないから。
人それぞれ受け入れれるキャパだって違うし、環境や状況も全然違う。
ちょっと関係ないけれど、前に鳥平さんに色々話を聞いてもらっていた日の最後の電車の降り際に、
「結局は他人やから!」
って笑いながらでかい声で言われたの思い出した。
さっぱりし過ぎて面白かったのと、その距離感があの時の私には逆に救われたし心地良かった。
他人である私の話を否定でも肯定でもなく、
いつも受け入れて聞いてくれて、
無理に背中を押そうともせず、
ただ、温かくてちょっと先がわくわくするような言葉をかけてくれる。
そして私の可能性を根拠もなく信じてくれている気がする。
そういう、人から貰ったちょっとした一言が、その時は気づかなくても、じわじわと時間と共に自分の中で大きく光っていく。
それが積み重なって、なんだかんだ生き続けられる理由になっている。
きっと生きていくには、"ちょっと足りない"くらいが、最高に面白いのかもしれない。
と、少し自分の人生や自分自身を受け入れれるようになってからは思う。
私を受け入れてくれる人がいたから、私も自分自身を受け入れることができるようになった。
だからほんの少し周りを見る余裕ができた今、今度は私が色んな人に温かい言葉をかけていきたいし、「死にたい」と言う人がいても、「生きてほしい」と私も同様に言ってしまうだろう。
許してほしい。
ただ純粋にあなたには死んでほしくないから。
やっぱり生きていれば何とかなるものだし、思っているよりも人は温かくて、生きるのは少し楽しい。
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