見出し画像

おめでとうにありがとうを込めて

私は誕生日というものに疎い。
自分の誕生日を祝ってほしいという欲求が少ないのもあるが、サプライズも苦手。プレゼントも何をあげたらいいか分からず、最近では本人に聞くという手段を取り始めたくらいだ。

そんな私だが、毎年欠かさず「お誕生日おめでとう」とメッセージすると決めている友人がいる。

届けたおめでとうで「自分のことを思ってくれている人がいる。一人じゃない」と感じてくれたら嬉しいなと思う。
(本当の思いは、私の一方的な”ありがとう”だ)

もう10年くらい前の話になるが、その友人がアルバイト先で起こった出来事について話してくれた。

「男の集団がこっち見ながら、「男か女か賭けようぜ」ってコソコソ話しててさ。負けたヤツが罰ゲームで直接聞きに行くみたいなゲームのネタにされて……マジで気分悪かった」

何気なく聞いたこの話。
10年経っても覚えている。
そのくらい私にとっては大事な話だった。

幸せに満たされている時でも、心ない言葉の殺傷能力は計り知れない。
そんな言葉を、もし、一日を生き抜くだけで精一杯の時に食らってしまったら……ゾッとした。

”みんなと違う”だけで、どれほど苦しいのか。
性についての議論は今もいろんなところで行われている。
しかし、トマトの味は本当にトマトを食べてみないと分からないように、自分自身が身を持って味わってみないと本当の意味では分からないと思う。

だから私は本当の意味で、友人を理解してあげることは出来ないかも知れない。

だがしかし、私にとっては女性であろうが、男性であろうが、途中で性が変わろうが、大事な友人には変わりない。

私が大好きなロックバンドSUPER BEAVERの「アイラヴユー」の歌詞の一節が浮かんだ。

すれ違いざま 使い捨ての言葉に 邪魔などさせないよ

作詞作曲:柳沢亮太 2021年 SUPER BEAVER「アイラヴユー」からの引用

心ない言葉で生きる気力が奪われることがあったなら、私が心ある言葉を掛けようと決めた。

邪魔されても、踏ん張って、今を生きているあなたに勇気をもらっている。

だから、おめでとうにありがとうを込める。

これから少し話が脱線します。

例えば、消えたいと思っている人がいるとします。
その人に「生きてほしい」と伝えることはこちらのわがままだと思うんです。

責任を全部背負ってあげられる訳でも、
一生面倒を見る訳でもなく、
苦しみを完全に取り除いてあげられる訳でもないのに。

「どうせ人は死ぬ。早いか遅いかだけの違い。
自己責任で生きなきゃいけない世の中なら、消えるタイミングを自分で決めて何が悪い」

もし、そう言われたら「確かに」と思ってしまう。

でも、あなたが消えたいように、こちらも生きてほしいと思うから、わがままだとわかっていながらも言ってしまうと思います。

生きてほしい

途中で諦めてしまってもおかしくない道を歩んだ人、
消えたいと思いながらも生き抜いた人と出会えた時、
本当に「よくここまで生きて、出会ってくれてありがとう」と思うことがあります。

嬉しくて、よりおもしろく、より楽しい世の中にしてぇな〜と思うのです。
少し生きる希望が持てたら、楽しみができたら、あとちょっとだけ生きてみるか! ってなるかも? という具合に。
私もそんな世の中を生きたい。

話を戻します。

ここまで読んでいただいたあなたへ
※もう誕生日が過ぎた方、これからの方は都合よくお読みください。

お誕生日おめでとうございます
一年間、お疲れ様でした
いいことも悪いこともあったかと思いますが、この激動の時代をここまで生き抜いたこと自体が凄いことだと思うんです
(ほんとにまじで私もしんどい時ある。笑)
なので、エア乾杯しましょう🍻
そして、いつか直接会えたらリアルで乾杯しましょう🍻
あなたがとびっきり素敵な一年を過ごせますように

誕生日を迎えられなかったあなたへ

来世、あなたが生まれ変わった時、少しでも「いいやん」と思ってもらえるような世の中にできればいいなと思います
私だけではちっぽけですが、いろんな人と試行錯誤しようと思います
全然よくなかった時は託します。よろしくお願いいたします。笑
もし、来世でご一緒する機会があれば一緒に楽しんでいけたらと思います🍻

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?