「文化を自在に操れる」チームは、クソ強い。
先日、ある中小企業の社長と社員の雑談の場に居合わせた。
社長と社員が、「今の事業状況を打開するため何が必要なのか?」を話している。
論点は、「チームビルディングの必要性」になった。そして、紆余曲折を経て、「チームビルディングは必要ない」と言う流れになっていた。その理由は、こうだ。
ちーん。
違和感しかない。
でも、こういう発想をする人は、10人中9人くらいはいる…と言うのが僕の肌感だ。
この記事では、この「良いチーム」とは「強いチーム」とは、どういうことなのかを解説してみようと思う。
2つの例からチームについて考えてみる
ちょっと考えてみてほしい。
これは、いいチームなのか?
どっちが良いチームなんだろうか?
僕は、間違いなく、後者の方が良いチームだと思っている。
居心地が良いか悪いかは、問題ではない。
仲がいいかどうかなんて、問題ではない。
良いチームとは何か?
僕は、チームとは、共通の目的を持った人の集まりであり、且つその人々がお互いに対して相互依存関係がある状態のことだと思っている。
つまりは、協働で何かをしようとしている目的があることが一つの条件。これは特に説明はいらないだろう。後者の「お互いに対して相互依存関係」というのは、もう少し解説が必要かもしれないが、本題からずれるので、ここでは解説しない。
共通の目的のない人の集まりは、集団でありチームではない。
前者のチームは、経営課題がありありだ。
社長がやるべきなのに、やっていないことがたくさんある。
社員がやるべきなのに、やっていないことがたくさんある。
「忙しい」とか、できない理由を散々ほざく。そして、「仕方がない」と言う言葉で周囲も受け止める。でも、受け入れてはいない。受け止めて、諦めているだけだ。
社長からすれば、もっと社員にやってほしい。社員からすれば、社長はさっさと意思決定してほしい。でも、誰も言わない。「社長がやらないなら、私にやらせろや、ボケ!」と社員が言い出すこともできるはず。それでも言わない。
こんなのは、良いチームではない。
良いチームは、そのチームがチームになった共通の目的に向かって、必要なことをできる状態にある、人の集まりのことだ。
目的達成に向けて、チームにとって必要な関わりを、必要なタイミングで躊躇なくできる、手段の幅のあるチームの状態である時、そのチームは良いチームなんだと思う。
しかも、それを「安心して」できる。
こいつらだったら、絶対わかってくるという信頼感がそこにはある。
これがいわば、「心理的安全性」が高い状態なんだと思う。
強いチームは、文化を自在に操れる
多くのチームは、上記のように変幻自在に、必要な手段をとることができない。だからとれる手段がとても限定的である。
じゃあ、その手段を制限しているものは何か?
それは、文化だ。
文化とは、そこに集まっている人たちが、(大概は無自覚に)持ち込んでいる習慣や考え方のことだ。別の角度から言えば、「集団として正しいと信じている思い込み」のことだ。
例えば、日本人が多い集団であれば、「迷惑はかけてはならないもの」「個人主義より集団主義」「遅刻はしてはならない」「ホウレンソウはしなければならない」「期限は守らないといけない」「お客さまは神様」「仲良くしなければならない」などだ。
アメリカや中国に行けば、こういう文化はない。それは何を意味するかといえば、これらの文化は、絶対的に正しいことではないということだ。
そんな無自覚な文化(つまりは思い込み)が、時にはチームを苦しめている。
言うは易しなのは、百も承知だ。
ただ、場面場面に応じて…
こんなことを問う習慣がそのチームにあれば、チームは臨機応変に文化を自覚的に変えていくことができる。
上記で、例として出した、仲良しの架空の会社の話に戻そう。
恐らくそこに属している人の間で、共有されている文化(=思い込み)の一つに、「仲良くしていることはいいことだ」みたいなことだ。この暗黙の文化があって、その文化を壊してはならない(という思い込み)があるから、みんな黙っている。そんな文化に翻弄されていることに気づかずに。
誰かが…
…と勇気ある発言をすることで、その文化(思い込み)に亀裂が入る。亀裂が入り、そこから破壊が始まる。そして、破壊は、次の新たな創造へと進んでいく。
こんな「自分達の文化を自覚的に、変幻自在に操れるチーム」こそが、強いチームなんではないだろうか?
まとめ
私たち人間は、いろんな思い込みを持っている。そんな思い込みは、私たちを成長させてくれている。「社会の役に立たなければならない」と思い込んでいるからこそ、私たちは必死に勉強して、社会人になって、お客さまに貢献できるようにスキルアップしてきた。そんな積み重ねがあるからこそ、今の私たちの生活がある。
その一方で、「社会の役に立たなければならない」という思い込みは、私たちから奪っているものもあるとは思わないか?そんな思い込みがあるからこそ、サボることに罪悪感を感じてしまったり、遊ぶことに熱中できなかったり、何よりも「ただいるだけで良い」という存在そのものの安心感が得られなかったりするのではないだろうか。
これは、チームでも同じだ。そのチームが共有して持っている文化が、そのチームの思い込みなのだ。チームの思い込み(文化)は、そのチームを発展させてきた。と、同時にその文化が、そのチームに合わなくなった時、そのチームを苦しめてしまうこともある。
私は、「関係性のコーチング」という仕事をしている。
「関係性のコーチング」とは、今のそのチーム状況に合わせて、チームの文化をアップデートしていくことだ。その過程で、そのチームが、自分達で文化をアップデートしていく筋力を鍛えていくことができる。
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