見聞実話怪談6『あの日』
「戦争は嫌だ…戦争は良くない…
戦争はほんとに嫌だよ…
もう二度と戦争なんて…」
太平洋戦争開戦時、アサ(仮)は女学生だった。
アサの家は小さいながらも鉄工所を営んでいたため、少しだけ周りより裕福な家庭であった。
しかし、戦争は、アサからも、そして、アサの家族からも沢山の物を奪った。
戦争が激化するにつれ、アサの家から…いや、日本中から物がなくなった。
やがて、国から召集令状が届き、健康な若者であったアサの3人の兄も、戦地におもむくことになった。
長男、一郎(仮)は海軍の空母に乗船することになり、次男の二郎(仮)と三男の三郎(仮)は陸軍へ召集され、二郎はフィリピンへ、三郎は中国へと出兵した。
戦争は日を負うごとに激しさを増し、女学校のある地方都市は空襲で焼け野原になり、海辺の軍事工場は、毎日、艦砲射撃(かんぽうしゃげき)を受けて破壊された。
艦砲射撃の爆音は30kmも離れたアサの家まで聞こえ、その恐怖は言葉にできないほどだった。
1945年8月15日。
日本は敗北した。
日本にも世界にも、終戦宣言が出された。
それから、まもなくのことだった。
アサの家族の元には、政府名義で2つの木箱が届けられた。
一つには遺骨が、もう一つには…たった一枚の写真が入っていた。
遺骨はフィリピンに出兵した、2番目の兄、二郎のもの、もう一つは…長兄、一郎の戦死を知らせるものだった。
一郎の乗った空母はアメリカ軍に撃沈され、見知らぬ海の底に沈んだ。そのため、遺骨はおろか遺品すら戻ってこなかったのだ。
戻ってきたもの言えば、兄が訓練生だった頃の写真がたった一枚。
3番目の兄、三郎の生死は、この段階ではまだ不明のままだった。
上の兄二人の死を知った時、気丈だったアサの母は、地面につっぷして泣き崩れた。
そんな母の姿を見たアサは「自分は泣いてはいけない、泣いてはいけない、家族を支えなければ」と、涙をグッとこらえたのだと言う。
兄二人の簡素な葬式が終わった日、アサは寝つけず、夜半過ぎまで布団でゴロゴロしていた。
その夜は、きれいな満月が出ていた。
不意に、庭先で、じゃりっと地面を踏みしめる音が聞こえた。
アサは、その音を不審に思って布団から起き上がる。
こんな夜中に、誰か来たのだろうか?泥棒だろうか?
アサはごわごわしながらも、ゆっくりと障子を開けた。
満月の光が、淡く優しく庭先を照らしている。
アサは、その光の先に目をやって、ハッとした。
そこに立っていたのは…海軍の白い軍服を着た、一番上の兄、一郎だったのだ。
「お兄さん…?!」
そうアサが呼びかけると、月の光の下で、兄は、穏やかな表情で微笑んだ。
アサは、驚きのあまりそれ以上何の言葉も出なかった。
そんなアサに、何かを訴えるようにして、兄は、すっと右手を伸ばし、家の玄関先を指さして、そこからゆっくりと、この家へと続く長い坂道を指差した。
「お兄さん…何が言いたいの?峠の坂がどうしたの?」
アサは震える声でそう聞いた。
すると兄は、また穏やかに微笑んで、深々とアサに向かって頭を下げた。
まるで『家族をよろしく』と言うように…
兄の姿は、月明かりに吸い込まれるように、静かにアサの視界から消えていった。
放心状態だったアサは、いつの間にか泣いていた。
兄二人の死を知った時にこらえた涙が、後から後から溢れ出して止まらなくなったのだ。
それから3日ほど経った日の昼過ぎ、峠下(とうげした)と呼ばれる場所に住む親族の嫁が、息を切らして「あくり(仮)さん!あくりさん!」と母の名前を呼びながら坂道を上ってきた。
何ごとかと、母は玄関先に顔を出す。
それにつられて、アサも縁側から顔を出した。
「三郎さんが…!三郎さんが!
戻ってきたのよ!!」
その日、中国に出兵したまま行方不明になっていた、三男の三郎が、負傷した傷を抱えながら、家族の元に戻ってきたのだ。
アサは息を飲んで、坂の下に目をやった。
そこは、あの日、兄の亡霊が指差した場所。
遠縁の親族に肩を支えられ、三番目の兄三郎が、ゆっくりと坂を登ってきている。
あの日、一郎兄さんが伝えたかったのは、三郎兄さんが生きて帰ってくることだったのね…!
アサは、それに気がつくと、その場にへたりこんで、また涙を流した。
「戦争は嫌だ…戦争は良くない…
戦争はほんとに嫌だよ
もう二度と戦争なんて…」
腰は曲がり、白髪になり、しわくちゃになった顔で、アサは僕にそう言った。
それは、齢100歳近くなった祖母が、遠い日に経験した切なくも不思議な出来事。
おわり
※不思議の館にて紹介していただきました
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