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一発目でノックアウト!

僕が車の免許を取ってすぐに

身体がムッキムキになる仕事に就いた。

その時のちょっと悲しい出来事を綴ろう。



会社は建設資材の運送で、今では違法なのだが

僕の乗っていたトラックは3.5トンなのだが

高荷重に耐えられる様に改造してあった。


当時はそれが当たり前に行われて、よく大きな

事故などがあり重量制限が厳しくなったころだ。


4トン車は配送先で荷揚げ屋さんが手伝って

くれて運転手は荷台の上から運ぶ人にアシスト

してればいいのだが、3トンは全部一人なのだ。


しかも違法にサスペンションを強化して

るものだから、軽く3倍以上積める設計だ。


入ったばかりの頃指導してくれた所長は

気さくで笑顔の似合う叩き上げが作業服着てる

ような人で、部下が困っているとすぐに

駆けつけてくれるので皆に慕われていた。


所長「この仕事してると夏までにはムッキムキに

  なって女の子にモテまくりだぞ      
  
   ーーー!!」


などとなんにも根拠のない励ましをしてくれる

ちょっとイカツクてかわいいおやっさんだった。


朝、会社に着くと前日の夕方に宵積み

しておいた車で現場に向かうのだが、

この時点で7トン以上積んでいるから

倍以上の積載量があるため、細心の注意を

払って乗らないと最悪トラックが横転する。


一番積んだときは11トンを超えたため

信号待ちの列の遥か後方の丘の頂上で一旦停まり

信号のタイミングを見てゆっくり下り坂を

下ったのだか途中でブレーキがフェードして

まったく効かなくなり、前輪から煙をモクモク

させながら最後尾向かって突進した時は夕方の

ニュースに載るっ!!っと顔面蒼白だった。


ぶつかる直前で前の車が発進してくれたので

あと2mとゆうギリギリで躱したが、

効かないブレーキを思いっきり踏んづけて、

サイドブレーキ排気ブレーキをオンにして

車の中で言葉にならないことを大声で

わめきちらすことしかできなかったのだ。

顔面と手のひらに大量の脂汗が吹き出ていた。


重さでいえば大型トラックだ。もしも長蛇の列に

突っ込めば二桁の玉突き事故に発展しかねない。


交差点も恐い。徐行していないと遠心力で荷台が

ゆっくりと外側に傾いていくから、それと相談

しながら曲がっていくのたか、ゆり返しで今度は

反対側にもっていかれそうにもなる。

これは普段乗用車の僕には、めっちゃくちゃ

怖くもあり、今まで経験したことのない

ゆっくりと慣性の力が加わりながら車を横転

させようとする新鮮な感覚でした。


資材置き場を出るとき、ベテランの積み込み員が

「お〜い!大丈夫か〜?行けそうか?

多分ブレーキも甘くなるし、交差点はいつもより

ゆっくり走んねーと危ねーぞ!!」


私は心の中で、

「アンタが初心者の俺にこんなに積んだんだろが!

もう積んじまった以上は行くしかねーだろーが!

このアホたれがっ!!」などと思うのだが、

普段ビビリーの私は、けして口にはしなかった。


さて、現場に着いてからがさぁ大変!

11トン強の荷物を一人で降ろさなくてはいけない。

積荷も普段より高くなってるので少しずつしか

降ろせないし、もし落っこちでもしたら大怪我

してその日はパーだ。


これがこの仕事を始めてから一番キツかった。

一人で車から置き場まで40メートルはある

ところを、えっちらおっちら担いで捌いて

いくのだが、一向に減らない。


本来午前中に工場に戻り午後の分を積込むのだが

全て降ろす頃には昼近くになっていた。

自分の持てる最大量を担げば効率がよいが、

疲れて筋肉がゆうことをきかなくなってくる、

持てる量を減らさないと持ちきれないのだ。

なのでさらに回数が増える悪循環。

時間もかかる。


この時ばかりは、会社に戻ったら辞める旨を伝え

とっとと帰ってやるっ! そう思っていた。


怖い思いと疲れと怒りでやる気が萎えたのだ。


が、不思議なもので会社に戻ると午前中の事は

笑い話にしたので、それがまたみんなにウケた、

気を良くした私は、午後の材料を笑顔でせっせと

積んでいるとゆうパラドックス。

なんとも、我ながらアホや。


「あれれーおかしいな〜?」などと言いながら

ウキウキと作業しているのだ。

案外人ってこんなものなのかもしれない。

わたしだけか?(汗)


2か月も働くと、所長の言ったとおり上半身が

ムッキムキになってきて、身体を鏡で見るのが

楽しい。

なんせ一回ごとに80㌔とかを運んでいるので、

毎日が筋トレだから、足腰まで鍛えられた。


こうやってペイペイで社会人成りたての

若葉マークは何も文句を言わずにいいように

こき使われていたのだ。



あるとき事務所に戻って扉に手をかけると

何やら怒鳴り声が聞こえた。

中でベテランが仕事の手配に文句をつけて


「そんなもんはマコト(私です)に

  行かせろよ!俺やだよ!

   他の現場行くからナ!

   アイツにやらせろよ!」


そう、聞こえてしまったのである。

それまで何の疑いもなく手配通りに

嬉々として仕事を進めてきた自分の浅はかさに

悲しくなった。

ちょうど手配師とベテランがこちらに気付き、

バツが悪そうに何かしらとりつくっていたが

耳に入ってこなかった。

そうこのようなことは、初めてではなかった。


みんなの嫌がる現場が高確率で私に回ってくるし

いつも私が2回戦から戻ってくると、先輩方は

宵積みも終わって詰め所で休んでいる。


はじめは気のせいにしていたが、先ほどの

やり取りを聞かされて、私だけが一方的に先輩を

慕っていただけで、周りは都合のいい馬鹿扱いで

自分達のためのちょうどよい使い捨て位にしか

思われてなかったことをその時初めて悟った。


私は自分の甘さと迂闊さと皆の掌返しに言葉が

なかった。ショックだったのだ。甘ちゃんなのだ。

自分は大馬鹿ヤローだったのだ。

大粒の涙がこぼれそうになり、急いで事務所から

出てきた。


そうだったのか、俺が2回目から戻るとすでに

みんな帰った後だったりしたものな。

なんで気づかなかったんだろう?

なんて脇の甘いヤローなんだ俺は。


それなのにみんなに可愛がってもらってると

勘違いして!愛想振りまいてるなんて

なんて蒼いんだ!スキだらけじゃねーか!


車の横までくると、涙がボタボタとこぼれた。

私は昔から人より鈍い部分があると自覚は

していた。しかし人にないものを持ってもいた分

人の悪意などに気付く能力に欠けているのた。

私に無いものなので人並みには気づけないのだ。


ならばない部分を持っているもので補って

いくしかないではないか。

鈍感な私が今まで生きて来れたのはこうゆう訳だ。


そしてさらに甘いことに悪意に対して悪意で

返そうとゆうことがどうしても苦手だったのだ。


私の両親に愛情をもって育てられたので、簡単に

人を憎むことも出来なかった。

人の優しさに触れて生きてくると、同じ様に

優しさを返したくなるのだ。

本来人はそうやって助け合いながら生きてゆく

ものではないかと思う。

こんな青臭いことを言ってるからよく騙される。


たけど不思議で甘いのも私だし、めちゃくちゃ

怒るときも私なのだ。それは10年に一回ベース

くらいだが、自分で自分が怖くなるときが

たまにある。怒り狂って自分が何をするか

わからなくなるのだ。


あ、でも安心してね。滅多にそんな風には

ならないからね。普段はビビリなぼくです。笑


なのでその後の仕事でも、自分の人より勝るとこを

磨いて劣っているところは、目をつぶるように

してきたのだ。きっと得意分野で相当に努力を

してきたのだろう。

そして努力を努力と思わずに楽しんでこれたのも

僕の神様がくれた才能なのかもしれない。

人から、よくそんだけ出来んな?と言われた

ことあったが、自分では気づけないのだ。

良かった鈍感で。頭パッハラパーで。

人より欠けてるもののおかげで、今日まで

生きてこられました。


きっとみんなに悪いところは良いところと相殺

されてるんだよ。たぶん。知らんけど。


二年前に本気でやってきた仕事をあっさり辞めた。

これからは自分軸を大切に生きていくとゆう

表明なのだ。

やりたくない事はやらない!

楽しく面白おかしくそして、人をトコトン

愛しながら一番大切な人をみつけて、その人を

大事にして生きていくのだ!


残りの人生はオマケみたいなものなのだ。

だからウンと楽しんぢゃうのだ。ワハハ

とゆう社会人で初めての躓きを書いてみた。

こんなパーでも生きてられたから、みんな

大丈夫だよ。なんとかなるさ。

と、ゆうことです。

よーし! これでいいのだ。




ってことでここまで駄文にお付き合い

いただき誠にありがとうございました。


さらばぢゃっ!👋










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