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叱れる人は強く優しいのだ。

あなたの周りにもいないだろうか?

間違ったことを正せる人が。


誰だってスキ好んで人と衝突したくはない。

その人の為になるかどうかは別で

人の前に立ちはだかってあれやこれや言うのは

ものすごくエネルギーがいることだ。

ソレを人の為なり想う気持ちだけで

嫌われてでも正しく教えたいと思える人、

周りにいますか?


僕の生きてきた道中では、つねにそんな人で

あふれていたように思う。

少年野球のコーチたちに始まって、バイト先の

スーパーのチーフやドカチンおやじや教官や

周りの先輩や友達のパピー。


わたしはなぜか人よりも怒鳴られることが多く

その時々で一緒に働いている知人がうらやましかった。


初めてのバイトのスーパーでは友人はそつなく仕事

を進める横で、おっかないキックボクサーのチーフに

罵詈雑言いわれ、落ち込むこともしょっちゅうだった。


怒られるごとに次はこうしよう、こうやれば

間違えないかな?早く出来るだろう。などと

転んでもタダで起きなかった自分は小さくでも前進

してきたのだろう。


わたしを叱ってくれた人はきっと、僕のそんな部分を

察して早く一人前にしてくれてたのかもしれない。


やっぱり叱ったり怒ったりはエネルギーがいるもの

言ってる方だって疲れるし、しないですむなら

最初からやりたくないよね? 

いつかの仕事のリーダーの一人もそう言ってた。 

出来れば言いたくないって。叱るの疲れるって。


わたしが叱ってくれる人達を大先輩と思ってこれたのは

僕を向上させたいという気持ちを汲み取れたからだろう。


尊敬出来ない人にアレヤコレヤと言われて恩着せがましく

されても有難く思わないし、普段ズルばっかりの人が

ここぞとばかりに偉そうにしても響かないのである。


こっちが苦しい時は向こうも苦しいのだ。

仕事の第一線に立って指揮されてきた師匠達。

何かあったら責任を取る立場の人達。

それでも逃げずに正面から来てくれた先輩たちは

僕の歴史の中の宝物だ。

いつも、大事で大切なことを教えてくれる先輩は

こんな場所にいることが多かった。


口だけの人や、人を貶める人は難しくて危険な場合は

いつも安全な後ろの方で見てるだけだもの。


ここから先は危ないから入ってくるなと、見習いの僕に

身をていして教えてくれた親方たち、それこそ命の

危険を伴う仕事もいつも手本を示してくれた。

そんな時若い衆のわたしは何を思うか?

自分を大切に思ってくれてる親方、無事でいてくれ〜、

何も事なく終わってくれ〜ってたなぁ。


ちょっと間違えば大怪我か命落としかねない仕事も

長くやってれば出てくるもの。

親方が無事帰ってくるまでヒヤヒヤと見守りながら

まだ仕事が出来ない自分をちょっとだけ恥じた。


俺が一人前なら親方も無理しないですむだろうに、と。

やっべぇ〜、早く仕事覚えないと。


世の中こんな感じで仕事や大切な何かが受け継がれて

いってるのかもしれません。

わたしの大切で尊敬する大先輩はこうゆう人達でした!


僕が師匠と思えた人達はいつも最前線で戦っていた。

そして教え子たちの将来を心から想ってくれた方々だ。

僕の誰にも盗られることのない宝物です。



決して安全な所から、匿名で人の心や家に土足で

入り込んであーだこーだ言ってる輩などではない!


ビジネスという言葉が流行りはじめた頃から、

金儲けの為なら人を屠ってもよいというおかしな解釈が

まかり通ってきたようにも思う。


もちろんそれはわたし自身にも言えることでもある。

聖人君子ぢゃないんだから、悪いことだっていっぱいしたさ!

イヤ、チョットだけよ。汗


わたしが読んできた、悪漢たちによって書かれてはいるが、

一本筋の通った道徳やら正義の方が、

よくわからないけど偉そうな先生方の話より

よっぽど僕には響いたもの。


わたしは昔からガキンチョが治らず、青臭いことばかり

言って周りを辟易させてるのだが、

馬鹿にされたってかまわないも〜ん。


お金では買えない、僕の小さくも大切な想いは

なくさずにこれからも生きていくのだ。 まる。




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