オタクとして「それは違うくない?」が増えてきた

中学生くらいからオタクになってもう10年以上が経つ。オタクの始まりは記憶が正しければニコニコ動画だと思う。当時逆転裁判に激ハマりしていた僕はインターネットで逆転裁判を検索していたところニコニコ動画というサイトに逆転裁判の動画がアップロードされているのを知った。会員制でクソめんどくさかった思い出があるけれど今思えばオタクとしてのルーツは全部ニコニコにある気がする。
と、言っても当時から逆張りでめんどくさかった僕は当時の三大派閥であったボカロも東方もアイマスもほぼ通らなかった。(アイマスはアニメになってから履修し始めました)

けいおん!も流行ってるから見なかったし、まどマギも見たけど「そんな面白い?」とか思ってたし、平成ライダーにハマっていたときはWがめちゃくちゃ評価されていて「面白かったけどそこまでじゃないだろ」とか思ったりしてた
最近で言うとウマ娘も最初の方やってたけど流行り始めてなんか嫌になってやめてしまった

最近はもっぱらお笑いのオタクだけど、過去にハマったコンテンツが嫌になったとかはなく(そういうのも実は少しある)ふとした瞬間にまた見てみようかなぁと戻ったりすることも普通にある。
流行り摂取オタクがそのコンテンツを履修しておきながら「アニメが放映されてから○年」というネットニュースに「懐かしい」と言っているオタクを見ると「はい、出た」となっちゃったりする。
「オタクなら一度でも関わったなら一生モンだろ、そこに古い新しいは無い。」という考え方だからだ。

コンテンツが無限に溢れた現代において、そこから選りすぐるのは難しい。その中で「流行ってる」「評価されている」コンテンツを選ぶのは賢いし、なによりもそれによって生み出される「供給が豊富」というのは充実したオタ活において最大のメリットだと思う

しかし、コンテンツが無限に溢れてきたことによって複数の充実したコンテンツが生まれ複数を兼業するというのが当たり前になり、全てを深く掘り下げるというのが難しくなる。
良い言い方をすると「要領よくコンテンツと付き合っている」なのだが悪意のある言い方をすると「ショートケーキのいちごだけ食べている」。
「にわか」とか「表面しか知らない」はオタクの中でなんとなくタブーだったような行為だけど最近は公式側も増えてきて「いちごだけでもいいですよ」と言ってる気がしてまじでそのことは全く悪くない。公式側がそう言ってるんだから。

僕はそこに対して「なんか、違うくない?」「ケーキといちごでセットだろ」と思ってしまう。当時オタクになりたてのころ嫌いだった「老害オタク」になっちゃってるのかもしれない。だとしたらとても嫌だな…
ただ、流行りものを全く通ってこなかったというわけではなくてたまには皆と同じものを好きになったりしたけど「どストライク」ということがないのでそういう側面もある

正直、これが「古い考え方」なのか「そういう考え方もある」なのかわからない。古い考えというのはわかっていつつも今ってなんか違うよなという意志が正しくあってほしいと思っている。
根底には「人と同じと思われたくない」「なんかかっこいいと思われたい」というのがある。なんでもない一般オタクが人と違うとかどうとか誰も気にしてないのにね

座右の銘
「行列のできるラーメン屋より自分の好きなラーメン屋」
を大事にしていこう。
もうこうやって生きていくしかねぇんだろうな





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