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映画感想『青いカフタンの仕立て屋』
原題「仏LE BLEU DU CAFTAN / 英THE BLUE CAFTAN」
◆あらすじ◆
海沿いの街サレの路地裏で、母から娘へと受け継がれるカフタンドレスの仕立て屋を営む夫婦ハリムとミナ。ハリムは伝統を守る仕事を愛しながらも、自分自身は伝統からはじかれた存在であることに苦悩していた。ミナはそんな夫を理解し支え続けてきたが、病に侵され余命わずかとなってしまう。そんな彼らの前にユーセフという若い職人が現れ、3人は青いカフタン作りを通じて絆を深めていく。ミナの死期が迫る中、夫婦はある決断をする。
叙情的で美しい作品だった。
主人公3人が織りなす感情の交錯を飾り立てず純朴さを携えながら描く手法がとても好み。
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モロッコと言う国の背景と夫婦間の暗黙の秘密を軸に古びた戒律、不寛容の上に成り立つ不条理な常識、想いの表現に映る世代の差、セクシャリティへの言及などを過多な台詞に頼らず描いていく研磨ぶりが良い。
制約された日常に映し出される人間の感情のぶつかり合いが丁寧に仕立てられるカフタンのひと針ひと針と重なる演出も素敵だった。
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伏線をしっかり回収する見事なラストは彼らが負った抑制や規律へのアンチテーゼなのだろう。
▣ネタばれ▣
モロッコと言えば嘗て日本では性別適合手術ができる国と言う印象があったがそれはマラケシュに住んでいたフランス人医師の手によるものでそれが広まり強い印象を与えていたようだ。
かと言って国自体がセクシャリティに寛容かと言うと同性愛が刑罰にまで至るイスラム教と言う背景もあり、主人公のハリムは同性愛者だという事を隠し女性と結婚までしている。
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偽装結婚と言ってしまえばそうではあるがこの2人ハリムとミナの間にはそれなりに事情がある様で劇中ではミナの方からプロポーズしたと話している。
その簡単な説明でこの2人の関係性が理解できる。
恐らくハリムは昔馴染みでお互いを良く知り彼女の真面目さや正直さなら敬愛し一緒に生活出来るだろうと感じたのかも知れない。
ベッドシーンもあるがこれが2人の気持ちを繊細に表現していて見事なのだが恐らく夫婦間のそう言う行為は殆ど無く夫のハリムは公衆浴場へ出かけると時折【個室】を頼む。
どうもこれがいわゆる発展場の様で、暗黙の了解なのか特に咎められる事も無く事は成される。
わりと早い段階でハリムとユーセフの小さな意思の疎通は生まれるがその気持ちの膨らみを追う演出で二人のスピード感に誤差を持たせる辺りが巧い。
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若いユーセフは或る段階で自分の想いをストレートに表すがハリムは自分の性を偽って生活している事や恐らく妻の存在も負荷となり素直に受け入れられない。
2人の関係に深まりを齎すのがミナなのがこの物語のキーでミナはもちろん夫のセクシャリティに気付いているしユーセフへの想いも感じている。
彼女は自分の命が絶える前に夫を解放したいと言う境地に辿り着いたのだろう。
でもそれは自分の存在を生かしながら行われる。
1人の男(ハリム)を愛する男と女。
そこに生じる同朋感。
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この図式が或る意味【同じ欲望の共有者】と言う疑似家族の様にさえ感じさせる。
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そしてミナの死・・・。
ミナがどういう病気で、尚且つ死を受け入れるのかは或る痛々しい描写の中に描かれるがモロッコの医療事情はなかなか厳しいようで今作でも医者による大都市などの高度医療への進言は成されない。緩和ケアに至ってはそうそう受けられないのだろう。
或る日、窓から伺う近隣の葬儀に呟いたミナの言葉がラストに活かされる。
その後、この作品のタイトルの意味に到達するのだ。
死してまで戒律に縛られなければならない理由など無いと言う彼らの想い。
人生を全うした死こそ全てからの解放なのだから。
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