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映画感想『フェイブルマンズ』

原題「THE FABELMANS」

◆あらすじ◆
1952年、両親に連れられ初めて映画館を訪れたサミー・フェイブルマン少年は、そこで観た「地上最大のショウ」の列車脱線シーンに大きな衝撃を受ける。その後、列車の模型でそのシーンを再現しようとするサミーに、母親は8mmカメラを買い与える。以来、カメラで撮影することに夢中になっていくサミー。次第に彼のつくる映像作品は周囲を驚かせるまでになっていくが、まじめな科学者の父は、あまり趣味にばかり情熱を注いでほしくないと思っていた。そんな中、一家は父の仕事の関係で、アリゾナからカリフォルニアへと引っ越すことになるのだったが…。




見応えあったわぁ。

デヴィッド・リンチがまさかのあの人に変身してるなんて!!!!
驚かせてくれるよね~スピルバーグさん。


やっぱ映画作りたい熱でずっと来た人の自伝だから映画好きには面白いわ。

先日観た『モリコーネ』もそうだったけど創り出す欲っていうのかな⁈そういうのは自分を曲げちゃいけねーんだっての学ぶね。
そして想像力と労力を出し惜しみしない事!
自分の中に在る物…酸いも甘いも噛んで噛んで吐き出せってね。
てか、そこから生まれる想像力が全て感が凄い。そして発想の醍醐味よ!
これがあの初期の名作『激突』や『ジョーズ』に繋がるんだって素直に思えるもの。
人間の恐怖に対する研究と対策。ホントこの2作品は何十回観ても面白いもんなぁ。

最近って【想像力や発想の欠如】って凄く思うこと多くてやっぱり視野が狭くなってるんじゃないかな?
ちっこい画面だけが自分の世界になっちゃってて手のひらサイズで纏まってんじゃね~よ!って思うわけ。自分の目で見た方がイイもの世界中に沢山あるんだからね。


そういえば久しぶりにミシェル・ウィリアムズ観たんだけど今作で凄く感じたのはこのミッツィって役柄、気持ち悪いほど母であり女なのに全然妻を感じなかったんだよね、登場した時から。それが彼女(ミシェル本人)の元々の素質なのか役柄としてそう醸し出してるのか?判断出来なかった。

まぁ私がヒースの妻と言うのを私的に拒んでたからそうなっちゃったのかも知れないけど(笑) もし役柄でそれを見せたんなら凄い!だってホントに【妻】と言うワードが引っかからなかったからね。実際、物語上そうだったので驚いたわけ。

そしてセス・ローゲンが上手い具合にフェイブルマン家の【親友】を演じてて「この人、こういう役凄くイイ!」って思っちゃった。色んな意味であの家族にとって魅力的なんだね。

一家がCalf.に引っ越す時の彼の心情が描かれたサミーとのシーンはなんか切なかったわ。

確かに夫のバートに比べたらソフトで遊びがあってより人間臭さがある。バートは優秀でユダヤ人としての誇りもあって実に堅実。逆に言えば面白みが足りない。
長年一緒にいると恐らく息が詰まるタイプ⁈
ミッツィは堅実な母親に育てられた風だから始めはバートの真面目さに惹かれたんだろうけど彼女の内なる悦びはそのベクトルではなかった。それは彼女の母が敢えて疎遠にしていた伯父の登場シーンにも描かれてる。
最初に夫が転職話をするシーンで強硬にベニー(セス・ローゲン)も一緒に連れていけと訴えたのは彼女の心の均整を保つためだったって事なんだね。

最終的にカリフォルニアに移転する一家は過去最悪の事態を招く事にになるんだが私の好きじゃない“かりふぉるにあ”がめちゃ描かれててマジ退くわ。
この一家がユダヤ人だというしっかりした描きがあった時点でこの展開は想像出来たけどサミー(スピルバーグ本人)が映画業界に行くまでの件が結構紆余曲折だったからちょっと「へぇ~」って思ったな。

でも、結局この作品の主題は芸術を生業とする者の性と言うか因果みたいなものなんだろうね。
叔父→母→息子の連鎖を見るとわかる。


そう言えばこのタイトル『THE FABELMANS』、直訳すれば「フェイブルマン一家」だけど「FABEL」はドイツ語で寓話とか作り話って意味で英語だと「FABLE」と言う事で・・・だからこのスピルバーグの自伝と言われてる物語は全てが実話では無いと言ってるっぽい。

まぁスピルバーグの事だから或る意味“盛ってん”だろうね(笑)(笑)


なんかさぁ、学校で発表する【自主映画】結構マジで見入っちゃたりしてさ。
あれ普通に100円出してもイイよ(笑)


ユダヤ人一家の数年の物語の中に色んな事盛り込まれてて、それが嫌味なく展開していくのやっぱりこの監督才能あるんだ・・・って思ったり思わなかったり・・・ww
初期作品が好きな自分にとっては久々『レディ・プレイヤー1』以来の🙆なスピルバーグ作品でした。


因みに字幕は戸田奈津子先生でした。

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