夜にあの辺りをふらついて
中山法華寺に行ってきたのは桜の終わりで
それから風の強い日が続いたから桜はもうほと
んど枝に残っていないだろうと 掃き出しまどか
ら覗く下階の桜に わずかに付いた咲き遅れの
二三輪を探しながら想像した あの寺はちょっと
した日蓮テーマパークのようで などと言えば
罰当たりめが などとそしられるかもしれない
が 鐘楼 大仏 こちらの大仏は奈良や鎌倉
には大きさでは敵わないけれどあちこちの大仏
に比べればみ回り以上は大きく立派で それ
から五重塔 修行堂 日蓮像 大門と 端から
端まで歩いてちょうどくたびれすぎないといって
決して狭くない 京都の寺町と思えば思えなくも
ないなんというか 丁度 な広さの異空間的な
場所になる
大きく境内が開いて 奥手に少し山めいた竹と
雑木の いや 雑木ではなくて欅など単一種
の林かもしれない なだらかな地の登りが見え
幼稚園があるのか幼児の歓声がごく小さく漏れ
聞こえてきた 元々はそのあたり以外まばらな
集落 農地だったのだろうと思われるが今は
新旧びっしりと家屋が立ち並ぶ 元々あったのは
寺だけれど 逆に町をやや広めに切り取って
そこが寺の パズルのひときわ大きなピースに
なっているとあべこべに考えてしまうのはその
住宅街に曲がりくねった細い道の区切りのせ
いで それは元々が古い住宅地である証左で
その明らかな逆想がかえってくっきりと浮かぶの
はどこにつながるか読めない行き交わしのやや
難儀な道路のせいか
駅から遠ざかる寺奥の住宅地はおそらく駅から
都内に向かう勤め人たちの家々と思われ 寺
に添う縁取りの緩い曲線の道があるようだけれ
ど 境内を突っ切って大門から坂を下って千葉
街道に突き当たり さらに横断して総武線の駅
に至る その方が恐らく距離が短い だから
地域の人たちの近道に境内がなっている そう
思ったのは妻で 高校生がジャージ姿で 後ろ
刀のようにテニスラケットを背負って 走ってい
く姿を見たからだという
例えば夜 少し飲みすぎて駅から寺を抜けて
ふらつきながら歩いて行く そういう勤め人も
多いのだろうか 夜 あの大門は開いているの
かもし閉じられているなら境内をよけて寺に添
った道から暗い中に五重塔や巨大な日蓮像の
闇に浮かぶ頭部など仰ぎながらアルコールに
熟れた熱い息を大きく吐いたりするのだろうか
などと想像してみて 書きながら何となく夜に
あの辺りをふらついてみたい あの寺町界隈の
夜はどのようになっているのか 出来れば境内
の様子など あるいは本堂に向かって気分で
正座してみたりなど 何の信徒でもないのに
そのようなまねごとをしている自分など夜を
思い描いてみる
人は年齢を経ると 何故か寺に惹かれる 惹か
れぬまでも何となく寺に落ち着く そういうもの
なのだろうか 私の場合は 寺の 造りの細部
に少し仕事で齧った建築的な興味を惹かれる
が そのような明確な理由だけでなく寺の雰囲気
人がいようがいまいがどことなく感覚する寂寞
の空気 人の死んだ後の世界というよりは生きて
いる世界の業を逃れようとして かえって静まる
ような仏閣のたたずまいに ある歳折から感じ
いるようになった気がする 年配者向けの雑誌
に古刹が特集されていたりするのを抹香臭い
と以前は鼻に払ったものだったけれども
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