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城崎鳥取
城崎鳥取
その昔、バブルがはじけるかはじけないかという頃の話しだ。勤め先のいろいろなつきあいの関係で、毎年数人が動員される会合があった。二泊三日のシンポジウムなのだが、その年は城崎温泉での開催だった。京都のタワーホテルに前泊し、翌日会場に向かったが、基調講演と最後の総括の時に居ればいい、という暗黙の決まりがあり、実質、旅行なのだった。
まずはじめの夜は派遣されたいろいろな支社の要員揃っての宴会があり、その後は丸一日と半分、実質自由時間だ。
翌日は申し訳程度に最初のワークグループだけ出席し、その後城崎の温泉を楽しもうと、旅館から言われたとおりその旅館のタオルを持って、おそらくあの温泉郷で一番有名なクラシカルな湯どころに入浴しにいった。くわしくは書かないがそこでその温泉の従業員からとんでもなく失礼な扱いを受けた。おそらくあの女性従業員はもうこの世には居ないだろうと思われるが、今思い出しても腹立たしい。で、入浴せずに帰ったかといえば、入浴はしたのだった。怒りの入浴。この温泉郷は志賀直哉の湯治場としても知られ、有名にあぐらをかいていると思った。おそらく今ではとうに改善され、気持ちの良い観光地になっていることだろう。私は二度と行かないが。
昼食をとった。どこも莫迦高い店ばかりで、安い店をようやく選んで。そのあと、砂丘を見に行きたくなり、鳥取へ行くことにした。何の電車かわからないが電車(あるいはディーゼル?)に乗って砂丘を目指したが、城崎から鳥取は予想した以上に遠く、乗っているうちにだんだん陽が傾いてきた。季節はいつ頃だったろうか。秋口か、春先か。寒さを感じる季節ではあったと思う。
そして、砂丘の最寄り駅についたときには、ほとんど陽は落ち、紺から濃紺へと時間が移っていくところだった。タクシーを拾い、砂丘へとむかった。タクシーの運転手は明治大学出身だと聞かれもしないのに言っていた。せっかく東京から来たのだからと張り切って向かってはくれた。
そして、すでに夜。ついた。砂の丘を、足下をすくわれながら登っていった。暗い中。しかし、うっすらと砂のうねりが広がっているのは見えた。盛り上がってはへこみ、またなだらかに砂が上っていた。一つ向こうの丘で、数人の人影が見えた。肩に担がれたカメラで誰かを撮っていた。おそらくドラマか何かのロケだろうと思われた。
闇は色を深めて、ごおん、ごおん、と波の音が響いていた。砂丘といっても、つまりは、砂浜なのだ、と波を聞きながら思った。暗さに限られ、その広さや風情を感じることは難しかった。
そして、私たちは気が済んで、砂丘をあとにしたのだった。そうだ、あのときは連れがいた。会場で知り合いになったどこかの支店の若い奴だった。まあ、あのときは私も若かったのだが。あのときだけのつきあいで、ついぞ辞めるまでに再会することもなかったし、そもそも名前も覚えていない。元気にしているのだろうか。まだ居るのか? 何もかもちぐはぐで奇妙な旅(?)だった。
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