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続 弁天様まで

サーフィンの動画をかけておきながら弁天で
撮ってきた写真を整理している トリミングした
り 色味をいじったり 全くサーフィンに興味が
ないが 映像を見るのだけは好きだ オールド
スパイスという肌につけるコロンか何かがあっ
た気がする サーフィンの映像のCFで シーブ
リーズと勘違いかもしれない 200枚以上撮っ
ていた 昨日の夜 半分ぐらいやって 土曜の
昼 明るい部屋で残りをいじる 娘が近くで
フェルトをいじっている

昨日は弁天様を巡っているうちにうっすら汗ば
むほどだった 途中でマフラーをとったのだけれ
どもう20年近く前に買ったメーカー品 あ ブランド
物というのか はやはり品質が良くて 全く毛玉
にもならなければよれもしない ただ 少し短い
小高い境内から樹々の切れ目を覗くと風景は
子供たちがさ小さかったころと何一つ変わらない
変わっているかもしれないが気づかない 畑が
何枚も広がってその向こうに土手が枯れている
斑に枯れて緑が少し散っている その向こうは
利根川で 対岸は茨城県の守谷市だそうだ
川向こうはここ十年で取手市を追い越すほどの
発展を遂げたが 此岸の土臭さは変わらない

息子は上機嫌で見晴らしを喜んで 娘は妻に
ぴったり寄り添って菩薩像を見上げている 思
えばその頃 子供たちがどんな風に育っていく
のか 想像もできなかった 息子は学校で口を
まったくきかなくて 娘はまだ小学校に上がった
ばかりで 父は勤務での鬱屈を抱えしかし子らに
出来る限りのことをしたいと考えて仕事と家庭に
追われていた またこんな風に書き物に熱中す
るなんて思いもよらなかった うすうす いつかま
た書き物をする日が来ればいいとは心の隅では
思っていたが

思うに 子育ての様々な伝聞なんて何の役にも
全く立たない 私はなるほど と思ったことを子供
たちに一度して それを今でも激しく後悔している
子供全般に通用する育児セオリーなどないそんな
物ない 子供はそれぞれが全く個別に その子の
通りに育っていく 都度考えて手をかけ 手をかけ
過ぎず 結局親は口出しを我慢したり 見守ったり
出来ることなどそれほどない それで育つように
育ってくれたが 心から愛しい存在に二人とも
成長した 心から愛しいというのは十年前から
変わらないか 妻との関係はだいぶ変化してい
ったけれども

千葉の北外れに位置するK市の外れはおそらく
都内とニ三度の気温差があるのだろう そぞろ
歩きに到着した農業センターの池の日陰は
昼下がりにまだ薄氷を溶かずにいた 池に張る
氷を久方ぶりに見た 久方 というのは数なの
だろうか 数だとしたら何年ぐらいのことを言う
のだろう 以前はこの池に小魚が群れて泳いで
いたが 氷の下の薄く屈折している透明のうす
ぼやけた水中には枯葉と泥の緑がかったよう
すしか映らなかった 梅はもう咲き始めている
階段の手前に綿毛になった芒が光透かしに
淡くなり 階段を登ると紅梅が見て取れる咲き様
になって冬の陽に照らされている その様子を
みて 遠い けれどここから近い高校の冬を不意
に思い出した 彼彼女らも子を育て もう老境を
感じているだろうか 彼女らの配偶者はともす
れぱ五歳十歳年上で すでに年金を受けている
老人なのかもしれないと思い至って 紙のような
思いがした

上の子は多分あの頃から心根が止まっている
ので 池に流れ着くコンクリの水路を見て笹舟
を流したがった 子の頃から笹舟ではなくて木の
枝や枯葉を流したので流して見なよ と促した
ら 本当はいけないんだよね と言いながら嬉
しそうに枝葉を流した 枝葉の下には艶も見事
な大きなどんぐりが拾われもせずに沢山に散ら
ばっていた

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