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弁柄

私が書いているものに直接的に役に立つような
英語で言うと ユースフルというのか そのような
内容の文章はない 実利的な文章を書くほど
私は実利的な人間ではなくて 昔から 余計な
事ばかりして と様々な方向から言われ それ
を半ばしてやったりと考えてきたくらいで 人の
実利の文章に感心して参考にもするけれど自分
はユースフルな文を書かない いや書けない

こんなこと書いて何になる といつも思う 自分
ではおもしろがれるものを書こうと思って書くが
それが人にも面白いかと言えばそうではないだ
ろうと半ば思いつつも書いている 朝起きると
まず何か書けないか と思う 書き物ぐるい と
言うのとは違う 習慣になっているので書かない
と気持ち悪い それで何か書けると充足感が
得られる 内容に関わらずはじめからおわりま
で何らかの文を書いたという行為を終えたこと
に快感を覚える 本来 そういう自らの慰めみ
たいな文章は人様にお見せするものでもないの
だろうが ネットの発達とともに急に言葉の存在
感が増してきている 承認欲求 とやらが半ば
生理でつづられたものに読み手が私からすれば
恐れ多いほどあまたおられる そのことがまた
さらに習慣を強固なものにして そして意味の
薄い文章をまた私はひとつふたつ書くことになる

ここで 作家でもないのに とか 作家気取りで
などと自らに突っ込みを入れてはいけない ふと
素に戻る 書いている間にその余地を頭につく
ってはいけない ただでさえ露出行為だ 自分
を棚に上げて物事を言う それは充分厚顔な
ふるまいだから そこに思いを至らせたらすべて
台無しになる 何かをすることには濃淡有れど
全て意味があり 裏返せばすべてに意味がな
い そこに万象の意味がある などとひらきなお
っておかなければ何もできない

何もできないという迷いを打ち消してくれるのが
ページビューでここの所回復気味で嬉しいと
いうか不思議というかこれでいいのかというか
これでいいのだというかここから最近組み立て
た耳元スピーカー 弁柄 の話になる 弁柄と
言うのは赤茶色の事で竹と以前塗っておいた
安い升と粗末なわっぱ状の小物入れをセリアで
行くたびになんとなく買ってしまう100円耳元
スピーカーを組んで どこまで理想の音質に
近づけられるか といってたかが100円の小さ
なスピーカーだからクリアな解像度の高く澄んだ
音とか 低音がずんずん響くような迫力とは無縁
で せいぜい昔のボタン式カーラジオのひしゃげた
音が少し大きく出ればいいなという程度にしか
ならないけれど 長岡式スワンスピーカーに想
を得て しかしながらできるだけスピーカーに
見えないバング&オルフセンな外見を意識し
スワンというよりいつも水辺にいる人慣れした
アオサギの弁柄版といった代物を作り上げて
それでここ数日また音楽を聴き始めた 適当
な どうでもよさげなトリオジャズなど掛けなが
ら どうでもいい文章を書いているという寸法で
もう書きあがるが気分がよくてともすれば読んで
なんとなく良かったりすれば三方良し

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