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絹糸が欲しかった

何処かしこも桜 道端も公園も窓の外も満開
で母はあとニ三日もすればきれいさっぱり散っ
ちゃうね と桜に差し掛かるたびに後部座席
から問いかけて来て それが何度も続くものだ
から返事もせず そもそも自分が話せば気が
済むようなので相槌もせず勝手にしゃべらせ
ている どこかへ買い物に出たいようなので
午後をつぶして連れて行く

幼児が多かった 未就学児くらいか 子育てに
優しい町などと称されることが増えてきた街道
沿いに伸びる町の さらに新興地のあたりのま
ばらな建売のかたまる そのブロックの集成の
ような街並みを衛星としてショッピングセンター
になっているホームセンター サイゼリヤ 二つ
の百均 ジム 家電量販店並びにスーパー
母は鎌とホースを買って梱包を断り私が抱えて
私はペットショップでひと瓶のバクテリア剤を
買っていて 妻と娘はエコバッグいっぱいに何か
小間物を買っていた そういえば ピンホール
カメラというのを娘が買って 今はフィルムカメラ
を撮る若い子が多いけれどフィルムが品薄で
などと言われた話を娘に付き合っていた妻から
聞く 母は五月で八十八だが長い導線に怯み
もしない

絹糸が欲しかった 探したがどこにもなかった
息子の勤め先の団地に曇り空 車検を通して
タイヤを新しくしたばかりの車が同じ路線の線路
を二度くぐって向かう 途中もてはやされた個人
名の薬屋の黄土色の本社がある 女子高生
に突然うけて 今は勢いも落ち着いた そういえば
今日の午後ツイッター全然見てないな 相場に
ついてもわからない

息子の職場は古い団地の近くにあって団地広
場で将棋を指していた老人たちが 何だか冷え
てきた ああ冷えた あここの調子が とひざの
あたりを丸くさすって ああ 冷えた 駄目だ
もうやめさして と勝負が 多分ついてないまま
に中断されるところを見た どちらが優勢だった
のだろう 古くて 品数の少なそうな商店の
並びに洋品店があって もしかして絹糸が無い
かな と店内をドアの外から覗いてみると 手芸
用品 二階 とあって わずかな望みを抱きつつ
コーナーをひやかすと 白黒の縫い糸はあった
が と妻が これ そうじゃない と光沢のある
緑の糸を見せてきた ああこれだ 絹糸だ ほ
らここ いっぱいある ピンク 金 緑 とりどりの
絹糸 80メートル巻き 平べったい糸巻が古い
プラスチックの黒ずんだ透明なケースの引き出し
にぎっしりと詰まっている しかも ひとつ100円
から130円と目を疑う金額で 階下に降りて店主
の手すき具合を確かめてから あの 二階の絹糸
凄く安いですけどあの金額なんですか と尋ねる
と ああ あれは昔仕入れた糸で古くて 現品
限りで出してるんですよ ほら 今は直さないで
買った方が安いから もう糸も入ってこなくて
ある限り 無くなったら終い という事だった
小躍りしつつ四巻ほど 子供の下着などと千円
越えるように買い物し 駐車場の無料チケット
を引きかえに発行してもらったのだった

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