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学級崩壊

学級崩壊

学級崩壊など、昔にもあった。金八先生で、腐ったみかんの加藤が放送室を占拠する前、その状態は私の級に訪れた。

小学四年。初め、初老の厳格そうな先生が我々の担任となったのだが、一週間もしたあたりで何故か担任が新卒の女性教師に代わった。それから、生徒は全く言うことを聞かなくなり、あまつさえその教師に暴力を振るい始める。

そこからは日々、阿鼻叫喚の四年三組、校門を抜け出して繁華街に出かけてしまう生徒、授業中にゴム鞠で野球を始める生徒、寝る生徒、しゃべる生徒、私たちのほぼ全員が授業に参加しなかった。

何度も面談がもたれ、何度も改善を模索されたが、その教師が担任の間、がんとして授業をまともに聞く者はいなかった。昼日中から学校はかくれんぼや格闘の場所になり、生徒から教師へ、また、生徒同士の暴力など、とにかくバイオレンスにまみれた日々が続いた。

その教師の何が悪かったのか、今となっては誰にもわからない、が、子供だろうと、いったん相手を「なめた」なら絶対に言うことを聞かないというのをまざまざと体験した。

教師はいつも泣き、生徒たちは荒ぶった。こうして私の人生から小学校四年は欠落した。毎日学校に通っていたのに。

もし、そのまま教師を続けていたならば、それはそれでもの凄い根性だと思うと同時に、いまは定年を迎え、学校からは退いて、あのときの我々をどう思っているのだろうか。

ただ、我々も四年生を抜かしたことによる直接間接の弊害を今でも埋め切れていない部分もある。私の場合は数学的思考がそこでとぎれた。なぜ途中で担任を変えなかったかも謎だ。

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