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小説はエンタメを求めると

最近の純文学を というかどちらかと言えば芥川
賞系に属すような そういったエンターテイメント
と一線を画すと それ 単なるイメージなのだが
その中でも特に広告などで目にする 滝口悠生
という人の小説を読んでいる 中上健次のめま
ぐるしく荒々しい物語世界の酔いも冷めやらぬ
間に 川端康成のみずうみ なんだこれは この
当時からしたらとんでもない変質者小説ではな
いか とある男の性癖を描きながらそこに文学
的な本質への省察がきちっとされているわけで
もなく ストーリーはあるようでない 特に最後は
行き当たりばったり これだ 私はこういうどういう
意図で書かれたのか それともただ変な男が
書きたかっただけかもしれない そういう小説
が好きなのだね 中村真一郎が意識の流れと
か夢とかもっともらしく言っていたがこのような
破綻すれすれの際どい と言って今の小説から
したら刺激などもう百分の一程度の しかし表面
的な刺激よりもこういうものの方が今の私にと
っては心地よい それは最近古井由吉をひいき
に読み進めているからかもしれず 古井の方が
夢幻度合いは高い気がするけれど とまれ私の中では
陰の変態性の方に分類される類の小説だった

滝口氏の小説はある老人の死に際して集った一族
というか欠席はあるものの親戚一同のそれぞれ
の生活のストーリーが交差する というより交錯
する話である まだ最後まで読み終わっていな
いので最後に何か劇的な物語展開があるのかも
しれないが 三分の二ほど読み進めて見て今の
ところダイナミックな物語性はない 集まった
おのおのの生活 日常 事情 不登校だったり
失踪した男の子供のことだったり 誰が誰の
子で孫かわからないようなそういった親類の
集まりの夜の話だ 私の伯父が死んだとき まさ
にこのような状況だった いとこの子供 兄妹
叔父さんの親戚 分家の嫁 大抵は老人でほぼ
初対面に見え もしかしたら幼い頃に会ってい
るかもしれないが 向こうは覚えがあってもこちら
にはない と思えば 話では聞いていたがとある
有名企業に入ったが一年で辞めて 今は都内で
不動産会社に勤め 妻子もいるといった若い
いとこの子とか 高校野球でひと時鳴らしたが
その後鳴りを潜めて今はカーディーラーの野球部
にいるはと子とか どこかで細くDNAのつながりが
含まれているのだろうか自分と似た顔もいれば
全く似つかない顔もいる そして各々に各々の
人生 生活環境 信条があって と考えると
何か読解問題でも解いているようなわずかに
頭の使い方が普段と違うところをなぞるような

そういうところをこの小説は書いている 中上
文学のような古くからの血やそれに連なる一統
の神話的な暴力と死に満ちた濃密で荒い物語
とは全くの別物で それは文学史的に言うと
内向の世代 と言った人たちにつながっていく
のか 個人の心 その襞 ちょっとした異和感覚
それらを描き出す方の小説で 今 何冊か読み
えた純文学系の読み物はその方向で来ている
か というようなものばかりだった それは私が
ダイナミックな物語よりもトリビアリズムというのか
些事を丹念に書くものの方に今惹かれていて
それで多分 時代もまた そういう潮流がメインと
は言わずとも大きな一つの流れを形成している
とそういう見方をしているけれど当たっているか
どうか このあたりで一つの話として終わらせる
ためにはまとめのような結びに移らなければ
ならないのかもしれないが話が散漫でも特に
構わないと思っているので無理にまとめたりは
しない ただ そういった内省的な小説はエンタメ
を求めると全く心に響かないだろうとは思う

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