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リアルまたは嘘のリアル

ついに水晶でも水晶玉を買ってしまった しか
も赤い ガラス玉かもしれない 偽物だとしても
惜しくもない値段だったから先日買った黄色
水晶の平たい破片を台座にして アレクサの
上に置いておこうと思う 少し目を右にそらせば
見える位置 デジタル電子時計の隣

詩がどうのこうのと言っている割に詩を書いて
いないと言われればそれまでで 詩のようなか
たちで書いたものもきっぱり詩だと言い切れな
い 詩が好きという訳でも多分突き詰めればない 気になって
いるだけで 何か短くて 何かを言っているよう
で何かを言っていなくて 特に深くも浅くもなく
工夫が凝らされているようでさらりと書いた風
にも見える そんな文章は多分一番詩に近い
から 詩だどうだ言っている 

現代詩を読んでもほとんどはつまらない 言って
いることはわからないようでなんとなくわかる
ああ あの系統の詩だ と類型化できるものが
ほとんどで 暗喩に満ちて 整っていて美しくて
それでいて静謐だ 昔聞いたクロスオーバー
今でいうフュージョンミュージックみたいだ テク
ニックは凄いし変なところでシンコペーションが
入っておや とも思う 私の読解にも多分に問題
があるだろうことはよくわかったうえで 何だか
言葉だけのうわべで心が躍らない

ならお前がそういうのを書けといわれればそれ
はそうだ 例えば 練習として 訓練として 今
ある現代詩のような物を書いてみればいいの
かもしれないがその真っ向勝負からは逃げて
いる ケチをつけるが自分では書けないのか
といわれればその通りで なんだか うまく表現
できないが 今の現代詩の綴り方のモードの
ようなものに沿った書き物が出来ない そもそ
も表現することなど内側に私はない

現代詩は人間の生の部分を奥に秘めて抑えて
言葉の力でいかに精緻に表現できるか その
ような芸術面から綴られる表現だ それがすべ
てとは言わないが そのような意識で書かれて
いるものが多いと私は感じる その緻密さ 端正
さ まとまった感じ それが私にはどうにも合わ
ない そうではない現代詩 フリージャズのよう
な詩もある 物語のような詩もある しかしその
色々な詩の中にやはり詩への意識 または
非詩への意識を それは詩をしたらしめる意識
なのだろうが それがひしひしと感じられてああ
これは詩だ と何だか読んでいて安心できてし
まい そこが今一つ面白くないと思うところなの
だった

それでは私はどうするのか と言えば生きてい
てなんとなく引っかかった所はとりあえず書き
出してみるという方法をここ近年とっている そ
れは表現なのか それとも単なる心情吐露や感想の
メモなのか 今や自分でもよくわかっていない
ここから何かが始まるかも知れない そう甘い
事は無くてこのままだらだら何かを書き綴って
いるだけで年月が過ぎていく その方が可能性
として高いのではあるけれど 他にすることも
思いつかないので嫌にならなければこんな事
をやっていく もうネタなどとうにないけれどな
んとか書いていく そうすると多分その時のリ
アルまたは嘘のリアルが文章として積みあが
っていくけど そこに何らかの充足がわずかに
でも自他にとってあってほしい

水晶が増えてくると石のパワーなど信じていなく
ても何だかパワーが宿るようで 西に置いては
いけない とか 一か所にまとめてはいけない
などと言われたら何だか気になってしまうという
のが人情だ 人情には確実に何らかのパワー
があふれている

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