広くて深い
安野モヨコの鼻下長紳士回顧録について書こうと思います。
「才能とは書き続けること」
これは下巻で再会したサカエが主人公のコレットに言ったセリフです。
サカエは小説家を目指してコレットの住む国に留学したにも関わらず、浪費家の娼婦に恋をしたせいで全てを失い地下道でクズ拾いをしながら生活するはめになってしまった憐れな青年です。
以下はネタバレになりますので、まだ読んでいない方はぜひこちらの作品を。
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サカエがまだ落ちぶれる前、コレットが働く娼館を訪れた際に、彼はコレットに自分のノートを与え、そこに娼館での出来事を書くように依頼します。コレットは素直に書き綴り、それをサカエに読ませますがサカエは「小説家の真似事」と彼女の作品を切り捨てます。コレットはこれに怒り、「文豪気取りで私をこけおろして満足か」と彼を突き飛ばします。こうして二人は決別します。
小説家の道を断たれたサカエは、コレットの書いた小説が新聞に載ったことを知り泣き崩れます。そしてコレットを訪ね、謝罪した後で冒頭のセリフのシーンに続きます。
「書き続けて、そこに何もなかったとしても、自分に絶望しないことが才能」
サカエがコレットに言ったセリフです。
作者の安野モヨコはうつ病の闘病中にこの作品を書いたそうです。
編集者の佐渡島康平さんのnoteにその時の様子がつづられています。
https://note.mu/sady/n/n2c636bf1b442
私は鼻下長紳士回顧録を何度も読み返していますが、読み返す度に上記の佐渡島さんの記事も併せて読み返しています。
本文より、
僕は鬱病との戦いの素直な告白として読む。すべてのセリフが、安野モヨコの心の中で起きた葛藤から出てきたものとしてしか僕は読めない。物語を読んでいる感じではない。手記を読んでいるような感じが僕にはする。
正直に言って私には彼女の葛藤やそこに寄り添う佐渡島さんの苦悩はわかりません。でも、それは多分私に文才が無いからなのではなく(文才はないのですが、笑)、書き続けた先に何もなかったとしても絶望しないほどの忍耐力、使命感がないからであるように思えました。
今の私に必要なのは、そこまで自分を追い詰めても書きたいもの、「伝えたいもの」なのです。
ありきたりなものを並べることは簡単です。「リハビリテーションのことが書きたい」とか「女性としての生き方が書きたい」とか「不倫の小説が書きたい」とか。
その広くて深い私のぼんやりとした欲望に、確固たる軸を見つけていくことが今の私に必要なことであり、しかしその軸を見つけるためにはやはり「書くこと」、「書き続けること」が必要なのではないかと思いました。
一瞬で終わる人生の中で、私が私の命を使ってまでやりたいこととは何なのか。
正直に言って今の時点ですぱんっとその答えが出せません。思い当たることはあってもすぐに正解に辿り着けるほど賢い人間ではないこともまた事実なのです。頭の中が散らかりやすい私ですので、こうして書くことで自分が見つけられたらいいのにな、と淡い期待をしてしまう金曜日の朝なのでした。頑張るから、見ててほしい。
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