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違和感を大切にしたいし、大きい声で意見が言える人になりたいと思ったお話

日々、生活していると様々な情報が目に入ってくる。世の中の決まりごとが変わる、どこかの誰かが法を犯した、法を犯しはしないまでも世論から大きく外れた行為や言動、まだ会ったこともない誰かの考えや怒り、希望までもを知っている。情報リテラシーなんて言葉があるけど、無職で自由な時間が唐突に増えてしまった私は今、意図せずしてインターネットの恩恵に賜り情報過多な日々を送っている。

そうしていると、情報に対して違和感を感じることがある。それは純粋に発信者との思考の異なりに端を発していことがほとんではあるのだが、ではなぜそのような相違が生まれてしまったのか、幸か不幸か今の私にはそこまで考えてしまうほどの時間的余裕がある。

何が異なるのだろうか。

それは時に世代間における価値観の違いであり、男女による認識のズレであり、生活空間のインフラの差が影響していると考えられる。そうしてその違和感が、果たして熟考するに足る感覚であるのか、はたまた見て見ぬ振りをした方が心地よく生活するのに有益なのか、そんなところを手始めに考え、最終的に「では、どうしたらこの違和感は解消されるのか?」という境地に至って一つのサイクルを回していく。

すでに答えは出ているわけなのだけれど、おそらく私がより心地よく生活していくためには、大抵の違和感は「見て見ぬ振り」をした方が良い。しかし、これらの一つ一つを見過ごすことは、気づかないうちに未来への歪みとなり、そうやって差別や無理解が生産される。事実、私の知らない彼ら彼女らが、令和になった今日に至っても尚、私と同じ社会のどこかで苦しんでいる。本当に、情報過多の世の中は生きづらい。誰かが苦しんでいるという情報もまた、嫌が応にもするすると私に入り込む。

「声を挙げたい」と思う。でも、声を挙げたところで、失業中の主婦の意見になんて誰も耳を貸さない。おそらく、夫ですらまともに取り合わないだろう。だから、見て見ぬ振りをした方が楽なのだ。そんな考えに至ってしまう。

でも、私には娘がいる。つい先日、女性軽視と受け取れる意見を発信する方がいた。私と年の近い、立場のある男性だ。その場に居合わせた多くの人は、彼の発言をジョークとして受け取り、男性も女性もにこにこと手を叩いて笑っていた。私はどうも難しい人間に育ってしまったようで、彼のその発言に対する違和感との付き合い方がわからず、満足そうに微笑む彼と聴衆とを、無表情で交互に見比べることしかできなかった。おそらくあの場にいた多くの人にとってそれは自然な意見であり、違和感など感じてはいけなかったのかもしれない。ただ驚いたことに、彼にも娘がいるという。そしていつか、その娘が生きやすい世の中になってほしい、そのために働いているという。

私も彼と同じようなことを願っている。将来、女性になるであろう娘が、彼女なりに生きやすい世の中であってほしいと願っている。でも、彼と私とではその道順に大きな違いがある。私など、その道すらまともに進めていないのだから、到底意見を発信していい訳がない。別に禁止されている訳ではないのだが、現代社会において、私の意見になど耳を貸す者もまた居ないのだ。

だから私は、発信力が欲しいと思った。そのためには年収が必要なのかもしれない、立場が必要なのかもしれない、それが所謂キャリアというやつなのかもしれない。

でも、残念ながら今の私には何もない。何もないけど、「何もない」のと「何もしない」のとは違う。何より発信する以前に生活しなくてはならないので、失業中の私は今日も明日も仕事を探す。ただ、あの時私が感じた違和感を、いつか社会に向かって発信出来る日が来るように、忘れないように留めておきたいとも思う。表に出す必要はない。「見て見ぬ振り」は建前だけにしておけばいい。建前というのはコミュニティごとに存在して、だから時として自分が「正」と信じて疑わないコミュニティの建前が、世の中と大きくズレていることがあるということもまた、忘れてはならない。それもまた、先日の彼の発言から私が勉強したことの一つであった。

違和感は大切だ。以前、「宝物」と表現される方に出会った。その方は違和感を解消するべく仕事に精を尽くし、一つのかたちを作っていた。やはり、見て見ぬ振りは建前だけにしておきたい。そうやって、自分とも周りとも上手に付き合っていけるよう、賢く生きていく方法が知りたいと思うけど、おそらくそれはどこの誰も教えてはくれないだろうから、自分なりに探していきたい。

Super flyの『Beautiful』という歌がある。「私でいい」と繰り返し歌う彼女の声に、なぜか私は励まされる。
おそらく、歌詞の内容が良いからだけではない。この歌が心に響くのは、歌詞の内容の良さに加えて、彼女の歌声が力強く圧倒されるからなのではないだろうか。

「世界で一つの輝く光になれ
 私でいい
 私を信じてゆくのさ
 遠回りしても守るべき道を行け
 私でいい
 私の歩幅で生きていくのさ」

「何を」言うか以上に、「誰が」言うかが大切にされる世の中であることを忘れてはいけない。たぶんだけど、何かに辿り着いた後でなければ、私の歩幅は誇れないのだ。






読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。