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「人は多面体」だから ー平野啓一郎『ある男』ー

平野啓一郎さんの『ある男』を読みました。

〈あらすじ〉
愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
「マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!
弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。
宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。
里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。
人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。
「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。
人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。

平野さんの本は初めて読んだんだけど、なんていうか、「頭の中は村上春樹なのに、文章の書き方が村上龍だよね」っていう印象です。いや、何様やねん。でも、すごいよこの本、英訳されて世界中で読まれているんだって。

一見すると、これはミステリー小説なんだど、国籍、震災、貧困、虐待、夫婦間の齟齬とか、「ああこれって現代社会の深ーい闇だよね」といった、“普段からそこにあるけどなんとなく目を逸らしがちな問題”がたくさん織り混ざっていて、純粋にこれをひとつの物語にしてしまった、という点に感動せざるを得ません。

「人間は多面体」で、Aさんからは天使のように見えるあの人もBさんにとっては顔も見たくないくらい嫌いな悪魔になりうるっているのは、最近になってわかった事実なんだけど、『ある男』に出てくる人物たちにはすべからくその“天使と悪魔”の部分が存在し合います。否、“天使と悪魔”という表現さえも、善悪のいずれかに偏り過ぎて的を得ていないような、そんな感覚さえ生まれます。それぞれのルーツがあって、でも相手にも相手だけのルーツがあって、そういう人間同士が交じり合うから、愛し合ったり憎み合ったりするんだろうな。

それを一言で“分人”と言い切った平野さんの頭の中が知りたくて、今回わたしはこの本を手に取った訳なんだけど、たぶんここに至るまでの過程はもう少し彼の著書を読み漁らないとわからないんだろうな、という感想。

日本人で、一児の母で夫がいて、理学療法士であるわたしを構成する要素はそれ以外にもたくさんあって、たとえばそれは小さい頃に読売ジャイアンツを応援する家庭に育ったとか、高校はクラスの4分の3が男子の特進コースだったとか、そんなものに留まらず、父や母の思想や経済状況、一言に日本といっても田舎の山あいの、それでも小さな市の中で都会だ田舎だとマウントを取り合うようなつまらない街に生まれ育ったとか、そういう些細なディテイルに至るまでもがわたしを形成しているのです。そしてまた別の誰かには、同じように別の誰かの物語がある。

「みんな違ってみんないい」は、至極当然なこの社会の生業を言い得て妙だな、とも思うのだけど、それってたぶん綺麗ごとではなくて、すごく残酷なこと。みんな違うけど、わたしはあの人みたいになりたかった、って、少なからず思う人はいるんじゃないかな。

じゃあ何を持ってして「清く正しい社会」は生まれるんだろうとも思うけど、そんなに簡単に正解が出てこないから、この本がこんなに高く評価されているのだな、と思う。実際にかなり面白いです。難しいけど。

ひとつだけ、主人公が依頼人の里枝さんが愛した「ある男」こと「大佑」について、里枝さんを良い人だと思う故に「大佑」にも良い人物であってほしいと願う様が、とても身勝手で、でも人間ぽくて心地よいです。

なんだかまどろこっしくなってしまったけど、上手く言えないのにこんなに心を動かされることこそが、この作品の素晴らしさなのかな、と思います。おしまい。

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