【感想】孤独くんを見つけた『人のセックスを笑うな』

私は、ふとしたときに、孤独な気持ちで体がしびれそうになるときがある。

友人との会話を楽しんでいるとき。
家でひとりのとき。
実家の家族と談笑している最中。
朝、目覚めたとき。
主人となんでもない会話で笑ったあと。

どんな時でも突然、心臓のあたりで「ヒュッ」と鳴る。
心臓に氷水をかけられたみたいに。
一瞬、もしくはしばらく、さみしい、さみしい気持ちにさいなまれる。

初めてこの気持ちになったのはのは大学時代。渋谷の交差点あたりでどうしようもなく寂しくなり、困った。

当時は訪れると、心細くて、心細くて、
自分を抱きしめてガタガタ震えていた。
あっちいけ。あっちいけ。こんな気持ち、あっちいけ。

でも、ある時この現象に名前を付けてみた。
『孤独くんがやってきた』。

北風小蔵のかんたろうは、冬を運んでくる。
私には、私にちょっかいを出す『孤独くん』が時々やってくる。

こんな風に空想を駆使して、どうしようもない孤独感にさいなまれて泣きたくなるときは、『孤独くんが私のところにきた』『私は孤独くんに好かれてしまったよ』と思って目を瞑る。すると不思議と怖くなくなるものだった。

原因は分からないけど、最近もよく孤独くんは訪れる。

またきたの、孤独くん。そんなに私を抱きしめないでおくれ。
よくきたね、孤独くん。よしよししてあげよう。そしたらおうちに帰ってね。こんな具合にいなしていたところ、そんな孤独くんがこの本にも登場しているのが垣間見れた。

山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』。


考えているうちに「いや、違う」と、思い始めた。
寂しさというものは、(中略)埋めてもらうようなものじゃない。
無理に解消しようとしないで、じっと抱きかかえて過ごしていこう。
この寂しさやストレスはかわいがってお供にする。
一生ついてきたっていいよ。

どこにも「くん」だなんて擬人化してる表現ないけど。
ただ、「ああ私だけじゃないのか」と少し安心した。孤独はわたしの、あなたの、みんなのともだち。

それから主人公の恋人となるユリに関してこんな描写があった

ユリは自分のことをずいぶんといろいろ考えていたが、オレにはそれがくだらなく見えることもよくあった。
自分に何ができるか、何ができないか、何が誇れて、何が欠陥か、そんなのはどうでもいいじゃないか。

それ私のことだ。私も私のことを考え過ぎる。

でもさ、それっていけないことかしら。
自己中心的なことかしら。
みんなはそうじゃないの?どうしたらそうならなくできるの?

おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?