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真面目な性格に悩む時に読んで欲しい記事【禅語:柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)】

※ワードプレスからの引っ越し記事です。

みなさん、こんにちは。

タカミチです。

「真面目は馬鹿を見る」とよく言いますね。

日本人は真面目な人の方が圧倒的に多いように感じますが、僕は「馬鹿を見る民族」だとは思いません。

日本人が真面目に働いて来たからこそ、純資産額が圧倒的に世界一ですし、「東日本大震災」での有事でも、暴動・略奪は起きずに、助け合い・譲り合いの精神を発揮して世界から称賛されていました。

「真面目は美徳」であることには間違いないですね!

でも、真面目ゆえに生きづらくなっている人が多いのも、また事実だと思います。

そこで今日は、真面目を肯定しつつも、“不真面目に生きる“という考え方について、禅語の「柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)」を取り上げながら書いてみたいと思います。

真面目な人ほど病みやすい社会

この社会には分厚いベールが覆い被さっています。

拝金・物欲至上主義というベールです。

そのベールの外には心を大切にする世界が広がっているのに、ベールが分厚過ぎて多くの人が気づいていません。

外に幸せな世界が広がっている事に気づいた人から、ベールを潜って脱出しています。

しかし、真面目な人ほどこのベールの中で生きなければならないと、信じ込んでいるように思います。

真面目は美徳、されどほどほどに

真面目である事は素晴らしい美徳です。

それは良心が人一倍強いとも言えますので、大切にすべき素養だと思います。

しかし、真面目が過ぎると、社会や他人に心を支配され易く成ります。

学歴、収入、容姿で人を評価する社会や、それに振り回されている人からの評価を真面目に受け止めてしまい、心を消耗します。

心を支配されると、ストレスは積み重なる一方です。

不真面目の極みだった元不良ほど、更生すると社会で成功しやすいのは、心の主導権をしっかり握っているからだと感じます。

「鬼滅の刃」の富岡義勇さん風に言うなら、「(心の)生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という事ですね。

つまり、不真面目という素養も、この世では大切だという事に成ります。

良心に沿った不真面目さを持てば、今より生きやすくなる

不真面目さも大事とは言っても、不良のように他人に迷惑をかける行為の事ではありません。

この、完全に方向を間違えている、狂気の社会から心を守る為に、健全な不真面目さを発揮しようという事です。

分かりやすい例で言えば、低賃金で過剰な労働を強いる人を人とは思わないブラック企業で働いているなら、心を守る為に例え少し収入が落ちても、安心して働ける職場への転職を考えるべきです。

お金や物欲よりも、心が最大事です。

みんながこうした考えを持つように変わっていけば、ブラック企業は存在さえ危ぶまれますので、社内の健全化を図り、ブラック企業を一掃出来るかも知れません。

しかし、真面目な人ほど、ブラック企業の言いなりになって心を消耗し、最悪にも自殺する人が跡を絶ちません。

ブラック企業とはいかないまでも、普通の企業でも社内いじめや、上司からの理不尽なパワハラ、セクハラはあるものです。

この場合は主に社員間の問題ですので、転職したところでまた同じような目に遭う可能性があります。

転職もひとつの逃げ道として最終手段にしながら、問題のある同僚、上司との付き合い方を模索すれば良いでしょう。

真面目に虐げられてやる必要はありません。

真面目に会社に忠誠を誓う必要もありません。

尽くしたい、役に立ちたいと思う心から良い会社なら、その時に初めて持ち前の真面目さを発揮すれば良いと思います。

不誠実な相手(会社・社会)に、生真面目に心を消耗させてやる考えを廃した時、少し心が軽くなるかも知れません。

これは、学校にも置き換える事が出来ます。

僕たちは、第一に自分の心を守る使命があると考えています。

これをみんながやり始めた時、社会は自然と良い方向に向かいます。

禅語「柳緑花紅やなぎはみどりはなはくれない」が教えてくれる楽になる生き方

禅語「柳緑花紅」は、いつの時代も変わらず、「本当の姿が大切だよ」と教えてくれる良い言葉です。

中国・北宋時代の政治家で文豪・詩人だった蘇軾そしょく(1037~1101年)が読んだ言葉で、「柳緑花紅 真面目(やなぎはみどり はなはくれない しんめんもく)」の一節から抜き出されています。

“真面目(まじめ)”と読みがちですが、「真(しん)=真の」「面目(めんもく)=姿」で、「あるがままの姿を、あるがままに観れば、そこに真の姿がある」と、蘇軾は風流に揺れる柳や、咲き誇る花を観て謳ったのでしょう。

「柳は緑で、花は紅、それが在るがままの姿であり、他の姿になる必要は無いんだよ」

こう教えてくれているわけですね。

青々とした瑞々しい柳の枝は風に揺れて観る者を楽しませ

美しく咲き誇る赤い花は、その香りを風に乗せて安らぎを与えてくれる

それぞれに、大切な役目があるから、他者を演じる必要は無い、普遍の真理がそこにはあります。

僕たちも、「真面目(まじめ)」と上手く付き合いながら、「真面目(しんめんもく)」を大切にして生きたいものですね!

少しでも、ご参考に成りましたら嬉しいです。


みなさんの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。

お読みいただき、ありがとう御座います。

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