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日米開戦の元凶について

『超難問が解けるのに、なぞなぞが解けません』では太平洋戦争について簡単に言及しています。戦後70年以上が経過してもなお、先の戦争の正解な評価が行われていません。

今は開戦前に陸軍の秋丸機関が行った分析調査に関する著書『経済学者たちの日米開戦』(牧野邦昭/新潮選書)を読んでいます。吉野作造賞を受賞した名著ですが、そこには当時の指導者達が「米英と戦争をすれば負けるだろうが、何もしなければ2~3年で日本は確実に死ぬ。だから戦争に賭ける」と開戦を決断した経緯が詳しく解説されています。

当時の陸軍では、ドイツと連携してソ連と闘う北進派と、東南アジアの資源確保の南進派とに二分されていました。米国が日本を敵視した要因は「三国軍事同盟の締結」と「南部仏印進出」にあります。

三国同盟を主導したのは近衛内閣の外務大臣松岡洋右ですが、彼は「米国とは強硬に交渉すべき」と言う極端な思想の持ち主で、三国同盟にソ連を加えた四カ国同盟で米国との交渉で優位に立とうと考えていました。
真珠湾攻撃で日米開戦が報じられると「まさか米国と戦争になるとは、痛恨の極み」と発言したそうですが、結論から言えば松岡洋右が戦争勃発の元凶の一人です。更に、四カ国同盟を画策しながらソ連と闘う北進を支持するなど、「この人は一体何を考えているんだ?」と意味不明です。

南進派の人々も戦争の元凶です。いくらフランスがドイツに降伏したからと言って、南部仏印に進駐すれば米国を激怒させる事ぐらい誰でも判ります。要するに欧州の混乱に乗じてフランスやオランダの植民地を奪えると欲を出した結果、米国から屑鉄や石油の禁輸を喰らった訳です。

日本の指導者達は「ドイツが今後経済力が低下して戦争継続が困難になる」と正確な情報を掴んでいた訳で、独ソ戦が勃発して四カ国同盟が霧散した時に三国同盟を破棄すべきだったでしょう。当時の米国民の7割が「対日戦争反対」だった事から見ても、米国との関係改善を最優先すべきで、既に負け戦が濃厚なドイツと組んで米英と対立する選択は理解不能です。

南進を正式決定して米国を激怒させた挙げ句、資源枯渇に窮して「座して死を待つよりは」と開戦に踏み切った。それを戦後になって「自存自衛の為だった」と正統化するのは、残念ながら支持出来ません。

そもそも日本は蒋介石の国民党と戦っていて、国民党の軍事指導はドイツが行っていた事からみても、ドイツと組む意味がまったく解りません。

陸軍史上最高の秀才と称えられた石原莞爾にしても、「米国との最終決戦」の思想に囚われて満州事変を起こした訳です。松岡洋右もそうですが、どんなに優秀でも極端な思想の人は、暴走した挙げ句に国民全体に大迷惑を掛けると言う歴史の教訓を学ぶべきです。


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