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日本はどこで間違えたか/その2

征韓論と言えば、西郷隆盛が朝鮮併合を強く主張して退けられると下野し、元士族を率いて反乱(西南戦争)を起こした事になっています。

ところが、西郷隆盛の発言を見ると「西洋人は野蛮だ」「朝鮮との外交は平和的に行うべきだ」と真逆の事を手紙に残しています。これは一体どう言う事なのでしょうか。

まだ本格的に調べていない段階ですが、恐らく日本の首脳陣を「サポート」していた欧州のアドバイザー達が、朝鮮半島への武力侵出を言い出した。これに西郷隆盛が野蛮だと怒り、外国の言いなりになっている日本を変えようと反旗を翻した。そして長州閥の陸軍に敗北して、朝鮮侵出を主張した事にされてしまったのだろうと踏んでいます。

日本は「ロシアの南下を防ぐ為に朝鮮を発展させる」と言う大義名分で中国大陸に侵出。日清戦争・日露戦争を経て、韓国併合に踏切ります。朝鮮総監に就任したのが伊藤博文。伊藤は大陸侵出を狙う陸軍と対立していました。

日露戦争で満州鉄道の経営権を獲得した日本ですが、「鉄道の範囲内はすべて日本の領土だ」と主張した児玉源太郎にブチ切れています。

その伊藤は途中から何故か強硬派に転身。ハルピン駅で安重根に暗殺される訳ですが、この暗殺事件では伊藤の体内から拳銃だけでなくライフル銃の弾丸も検出されるなど、不可解な点があります。
これは恐らく、「元首相が暗殺された」事で日本人を激怒させ、日本と朝鮮の対立を深刻化させようと計画した人達がいたのでしょう。
太平洋戦争が何故起きたのかを正しく理解するには、明治時代まで遡る必要があると言う訳です。

そして伊藤の暗殺後に日本は韓国併合。昭和の時代になると張作霖と手を組んだ末に爆殺し、溥儀を担ぎ出して満州国を建国。国際社会から孤立する道を突き進む事になります(続く)。


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