四谷・新宿・淀橋翔覧絵巻プロジェクト


 四谷の町に「手習い所」を追加しました。一般に言われる「寺子屋」ですね。都市では「手習い所」と呼ぶのが普通だったそうです。農村などでは、学習場所としてお寺が使われたり、教える人がお坊さんだったりしたので、寺子屋と呼ばれます。

 手習い所は、基本的に庶民の初等教育をおこなう場所です。武家では親が行うものです。特に父親です。その学習は家督と共に家によって継がれるものでした。

 国家による、庶民の学習推奨は、この時代とても珍しいとされます。殆どの国が、その費用負担を惜しんだからです。日本の場合は、町や村といった、地方自治的社会が負担しでいるわけです。同時に保護者側も子供の労働力を失うことがハードルとなり、ほとんどの国では修学が習慣化しなかった原因となっていました。
 都市では、学習がより良い就職につながると言うメリットがあったため、広まりましたが、農村では、特に農繁期に学習するのは難しかったようです。

 実際のクラスでは、多くの子供が集中していないようですが、基本的には先生が全体の学習指導をし、子供たちで教え合うスタイルだったそうです。
 修学期間はまちまちなので、学習成果については様々な説や解釈がありますが、この時代の手習い所の学習は、成果を求められると言うよりは、学習経験と学び方を知る事が大事だったように思われます。
 学習経験のない人は、学ぶことそのものが理解できませんので、仕事の見習いに入っても、ただ言われた事だけをするだけで、スキルアップが望めないだけでなく、仕事への意義も見出せず、人生を価値あるものとして認識するのが難しいこともありますよね。それは、自ら発見できるものでもありますが、学習技術として教えられると効率的に認識できます。
 農家の子供も「何故?」という疑問を持って、農作業のひとつひとつの価値を知るという学習がないと、毎日の作業はただつらいものになりかねないと思います。
 つまり、学習は「どこまで字が読めて書けたのか?」とか「どんな計算ができたのか?」ということよりも、「人生を豊かにしてくれるものだったのか?」が重要なんだろうなぁ、と思います。

 で、この江戸時代の学習風景から見えるのは、成績ではなく「学び合う楽しさ」なのかもしれないと想像しました。それが、この子たちに、生涯学び合うことを経験付けているのでしょう。その知的好奇心こそが、江戸文化が華やぐ燃料であったことは間違いありません。この学習法の魅力は、ふたりいれば学習の場が作れることですね。管理者がいないので、テストも成績ランクも必要としません。そういった面では、手習い所の学習は、完全に生徒個人のものです。
 私は、この学習法のシステムをより深く研究して見たいと思っています。現代では学校組織単位の成績の証明は、社会にとって重要ですが、近い将来、その価値は低くなるだろうと思います。個人学習でもブロックチェーンを利用した知識習得経験の証明が可能になるはずだからです。ですからTVからYouTubeへの変化と同様に、学校組織から知識者へ、「単位」の証明者は変化する時代はすぐにでしょう。

 そして、学習を奨励した君主は誰かというと、八代将軍・吉宗です。ちなみに、和文化は意外とユニセックスです。いちいち性差を指定しないので、この学習奨励にも女の子が排除されませんでした。もちろんこれは幕府領の話で、各藩はそれぞれの法律があり、性差別の強い藩では、女子の学習は禁じられていました。
 
 
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2021年9月25日より新宿歴史博物館にて展示予定

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