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萬年筆が原稿用紙のうえを滑る音を思い出す

本日はわが父の命日であります。1993年、ちょうど30年になるんだな。

へらへら生きているだけでも親父が亡くなった歳を超えちゃったよなあ、なんてぼんやりと珈琲を飲んでいたところ、ふと近ごろ散見するnoteってのをやってみようかな、と思いついたのだった。
どこにどんなひきがねが転がっているかわからんものですな。

君の親父の命日とnoteとの関連性が判然とせんよ、とおっしゃるか。実のところ、なぜそんな気になったのか、私にもようわからんのだけれども、佐藤信夫という人は勤勉に机に向かう人だったなあ、と振りかえったところから、かな。

父の書斎と私たち兄弟の部屋は隣り合わせだった。勤め人とちがって、彼は家で仕事をしていることが多く、狭い団地暮らしのこと、私たちはお互いの気配を感じ合える近さで日々を過ごしていた。
そこそこの爆音でかけるレコードとレコードの合間、例えば、ウィングスの『バンド・オン・ザ・ラン』からスージー・クアトロの『陶酔のアイドル』にかけかえる、音楽の消えた短い時間に、萬年筆が原稿用紙の上をさらさらと滑る音が襖の向こうからかすかに聞こえたことを思い出す。そんなささやかな音が聞こえるもんなのかいなと訝る人もおりましょう。うむ。幻のような話だが、私の脳内ではあの音は今でも再生可能だし、夢か現かはともかくも、あの音は私の中にたしかに存在するのですよ。
隣室では幼稚な兄弟が下手くそなギターをかき鳴らしたり、レコードをかけたり、丼やカードを挟んで大声をあげたりしていても、本に囲まれた部屋で黙々と勉強し原稿をすすめていた信夫氏。おまえたち、もう少し静かにしてくれないかい、と苦情を受けることもあったけれども、それはごくごくまれなことだった。子どもは騒ぐのも仕事のうちって心境でいてくれたのかもな。そう思うようになったのは、私自身が猫にあれこれを邪魔されることによって学んだ感覚だ。邪魔をするのも猫の仕事。

騒々しい兄弟が寝床におさまったあとも、隣の灯りが消えることはなかった。ようやく静かに仕事に打ち込める時間がきたというところだったのかもしれない。そんなわけで、真夜中にふと目が覚めたときにも、あの萬年筆の音が聞こえたものだったよ。

それに対して私はといえば、ご存知の通り、弛んで生きることを旨としている。いやいや、そんなつもりはないんだけれども、事実として、弛んだ生活を半世紀以上も続けているわけで、はたからはそう見えるのでありましょう。あんた(たち)、よくもそんなに毎日たるんでられるわね、なんて母親にちょくちょく言われたものでしたよ。そんな彼女ももはやいないわけで、説教めいた言葉さえ、懐かしい気がしなくもないな。

noteってどのぐらいの尺がちょうどいいのかしら。いま、原稿用紙3枚ほどか。さらっと読み飛ばすにはほどよい長さかもね。
ということで、一本目はこんなところでどうだろう。

命日には酒。そんな決まりはないけれども、これから軽くいっぱいやりますかね。もっとも、うちの親父はほぼほぼ下戸だったんだけどね。

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