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遺伝と環境の話をもう少々

まだ小学校に入る前だったかな、アニメ版の『黄金バット』ってのをテレビでやっていましたね。同年輩のみなさんなら記憶しとる人も少なくなかろうと思います。「どこ/どこ/どーこから来ーるのか/黄金バ~~~ット」というテーマ曲がしっかり刷り込まれていますな、そんなに熱心にみていたわけじゃないのに。
その中に出てくるナゾーっていう変なやつが「ロ~~ンブロ~ゾ~~」という意味のわからん言葉を口走るんですよ、わりと頻繁に。特にストーリーに関係ないんでどうでもいいようなもんだけれども、妙に耳に残っている。原作は読んだことがないので、そこにも出てくるセリフなのかどうかはわからない。そのあたり、ちょっと気にならなくもないね。

うちには二階が沈みそうになるぐらいに本がたくさんあったんですが、中学生ぐらいになると、そこらに転がっていた精神医学やら心理学やらの本なんかも眺めたりするようになったわけです。夢分析とかそんなところに興味をもったところからかな。あれこれ摘み読んでいる中で「チェザーレ・ロンブローゾ」というイタリア人に出くわして、おおっ、これがあのナゾーの口癖の元なのかも、と思った次第。本当のところはわかりません。寧ろ、詳しい人がいたら教えてほしいよ。
そのロンブローゾさん、犯罪者は顔からして犯罪者、みたいな乱暴なことを書いたりしていた。もちろん100%とは謳っていなかったけれども、犯罪者には遺伝との相関性がかなり強いって論調だったと記憶している。現代の感覚では、そりゃないぜ、兄貴、みたいなところだけれども、ナゾーが口癖にしてしまうほどのインパクトのある説ではあったということでしょうか。
それとは逆の方向に尖っていた人もいる。「無垢な子どもを私に預けてくれたら、泥棒にだって何にだって育てあげてみせるぜ」みたいなことを言った心理学者。つまり、遺伝じゃなく環境100%みたいなことをね。ジョン・ワトソンというアメリカ人。記憶あやふやなので正確な文言は原文に当たってくださいませ。ちなみに、シャーロック・ホームズのパートナーは同姓同名だけれどイギリス人ね……っていうか、こちらはそもそも小説の中の人物なわけで実在しないんだけれども。
何と言えばいいのかな。どっちもどっち? とにもかくにも極端なことを言う人っているよねえ、ってな感想を持たざるを得ないわけだけれど、遺伝と環境、それぞれの強度というようなものはなかなかに比較しがたいもの。そんなわけで振り切ったことを言い出す人が登場しやすいのかもしれません。
例えば、弟と私の声が似ている、なんてのは、そりゃ遺伝だよねってことで異論はなかろうけれども、それ以外の部分はどうだろう、と考えはじめると途端にややこしくなる。というのは、遺伝と環境はセットになっていることが多いからね。
二人ともサッカーが好きなのは? 阿呆のように麻雀にはまり、しかも、かなりのレベルで強かったのは? 高校を出てから浪人という肩書きで何年も揃ってくそたるんだ生活を続けたのは? なんてな、しょうもないことさえ挙げれば限りがないわけでね。
弟と私は年子で、幼稚園から中学までは同じところで、高校は別とはいえ似たようなお気楽な都立高で過ごした。大学に入るまでの数年もぷらぷらと両親と同じ屋根の下で暮らしていたし、子どもの頃からよく一緒に遊んでいたわけで、一丁前の人格だか何だかを獲得するまでの環境の差がきわめて少ない。これはうちだけでなく、多くの家庭で似たり寄ったりであろうかと思います。兄弟姉妹で同じ家で同じように育てられるとね、遺伝なのか環境なのか切り分けるのは困難ですよ。

東大附属という中高一貫の学校があります。私の記憶が正しければ、積極的に双子を受け入れる制度を持っている。大多数が双子ってわけではなかろうけれども、サッカーの試合のときに同じ顔の選手がいたりして、微妙にやりにくかったような記憶がある。11人の中に2組、つまり4人いたんだったかな。半世紀ほど前のことなのであやふやだが。あれ? 試合したんじゃなくて、どこかの大会でみかけただけだったかな? 混迷至極。
そういう制度があるのはもちろん双子の研究を進めるためなわけですが、それは遺伝と環境とのバランスを推しはかるという点においても大きに意味があるだろうね。
遺伝と環境を完全に切り分けて考えるのには、生まれてすぐの一卵性双生児をジョン・ワトソンのような人に預けるのが早道だ、という考え方をする人も現れるかもしれんけれど、研究のために誰かの人生を実験台にするわけにはいかないのはあまりに当たりまえだ。
とはいえ、現実に、一卵性双生児が別々の環境で育てられることになったという例も少なかろうけれどもゼロではないだろう。追跡調査している研究だってあるだろうな。そこにどんな学問的成果が出ているかな。

遺伝と環境のバランスに関しての研究に興味がなくはないんだ。それはそれとして、個々人にとってみると、遺伝なのか環境なのかってことを知ることが人生にどれほどの意味があるだろうか。おそらく、小さな意味しかないと思うんだよね。それを知ったとして、その情報に合わせて自分を変えるだろうか。知りたいと思うことの意味はわかるけれども、それを知ったら違う人生を送るのかっていうと、そんなことないんじゃないかなと思うわけです。どうだろうね。

父が寝たきりになった原因はでかい腫瘍が脳幹に接するところにできたところにあった。私にもでかい腫瘍ができたけれども、場所がお尻だったので父の亡くなった歳を超えてなお世の役に立たない生をずるずると長らえている。摘出手術ののち退院、よれよれで帰宅してからしばらくして、腫瘍ができるのも体質の遺伝によるものかもしれんから君も気をつけるほうがいいぞよ、と弟には伝えました。遺伝に関して、こういう風に考えることには意味があるとは思う。うん。

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