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「マインドフルネスによって救われた経験から多くの人に伝えるための表現者となる」前編 マインドフルパフォーマー 児玉美保さん

●ご挨拶と出演者紹介

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三木:第194回マインドフルビジネスストーリー始まりました。今日はマインドフルパフォーマーの児玉美保さんにご登場いただいております。

児玉:はい、よろしくお願いします。

三木:こちら和海庵スタジオからお送りしています。

児玉:お邪魔しております。

●enmonoとの出会いについて

三木:児玉さんとの出会いはZen2.0という我々のやっているマインドフルカンファレンスのボランティアスタッフとして一昨年…

児玉:そうですね。2年目の時から参加をさせていただいております。

三木:初めてミーティングの場に来られた時にどういう印象でしたか?

児玉:怪しかったですね(笑)。

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三木:怪しかった(笑)。どのような感じで?

児玉:私自身がヨガだったりマインドフルネスに興味があったからZen2.0っていうタイトルもすごく…何をしてる人達なんだろう、どんなところなんだろうと思って…

三木:新興宗教みたいな(笑)。

児玉:ワクワクしに行ったら皆さん、学歴のすごい方とか社長さんとか上役の方とかいっぱいいらっしゃって、みんなで車座になりながら真剣にイベントについて語り合うっていう…

三木:まずは瞑想から始めましたね。確かに怪しいですよね。

児玉:大丈夫かなって思ったけど、でも全然心配することはなかったですね。

宇都宮:Facebookか何かで知ったんですか?

児玉:Zen2.0の立ち上げに関わったスタッフの女の子が私の地元の後輩で、私がヨガとかマインドフルネスとかやってるから、「美保さん、絶対向いてると思うよ」とか言って実は最初1年目の時に声を掛けてくれてたんですけど、「いや、怪しいから行かない」って言って断わったんです(笑)。

三木:怪しかったんですね(笑)。どの辺が怪しく見えるのかな?

児玉:ちょうど今から考えると4年前で、マインドフルネスがヨガ界隈の私の周りではベーシックになってきてたところではあったんですけど、そんな時にあえてZen2.0ってドドンって打ち出してるのが何か怪しいって思ったんですね。

三木:全くの素人で、始めた時に色んな業界の人から色々言われたりしたんですよね。「そんな専門家でもないのに何でお前がやるんだ」みたいな。禅の専門家でもないし、マインドフルネスの専門家でもないので、でも僕は2年ぐらいイベントの準備をしながら学んでいった感じなので。

児玉:いや、でも本当にマインドフルネスって実践あるのみですよね。その感覚を味わっていくのって。

三木:単に座るだけじゃなくて実はイベントを準備することもマインドフルネスで、修行であったということで。色んなご迷惑をおかけして、見事修行的な…(笑)。

児玉:とんでもないです。私も学ばせていただいて。ありがたいことに。

宇都宮:みんな先生なので。

●ラジオパーソナリティのお仕事とパニック、鬱の経験

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三木:美保さんがこれまでどんなことをやってらっしゃったのかという。

児玉:私は本職がラジオパーソナリティだと自分では思ってるんですけど、高校1年の時から実は地元のラジオ局でお仕事のお手伝いを…

三木:地元はどこでしたっけ?

児玉:地元が神奈川県の平塚という湘南の端っこ。

三木:その頃から?

児玉:ちょうど私が中学3年生の時に地元にコミュニティFMができて、特に神奈川県は防災の観点から、コミュニティFMが大事だみたいになって、ラジオがワイワイ盛り上がってた頃だったんです。私も高校受験の時にラジオを聴いてましたし、イベント事とかお祭り事とか好きだし、何か私も関わりたいと思って高校の夏休みの時に、メッセージを書いて(FAXの)下のところに「私もお手伝いさせてください」って一言添えてFAXを送ったんですよ。そしたらその番組のお兄さんが「メッセージ来ました」とか言って読んでくれて、「あれ?何かお手伝いしたいって書いてありますね。じゃあ来週スタジオに来てください」ってラジオで言われたんです。

三木:すごいね。

児玉:それで次の週にスタジオに行って「すいません、先週メッセージしたんですけど」って言ったら「あ、待ってた、待ってた」って入れてくれて、最初ボランティアでしたけど、お手伝いを色々させてもらえるようになって、リクエストの電話の受付をしたりだとか、リクエスト曲を準備してスタジオの中に入れたりだとか、スタジオのお掃除とかタイムテーブルを町で配ったりとかそういうお手伝いから始めて、何か番組を作り上げるのがすごく面白くて、それでのめり込んでいったんです。たまたまお手伝いをしてたら、交通情報とか天気予報を読む係りの方がお休みをされちゃった時があって、その時に「美保、読んでみるか?」ってプロデューサーからいきなり言われて「読みます!」って 読んだら、自分の声が電波に乗ったのがすごくうれしくて楽しくて、それを聴いてくれてた地元の方に「美保ちゃん、この間読んでたの聴いたよ」って言われたのがすごくうれしくて。

三木:それが高校1年?

児玉:高校1年の時でしたね。

三木:高校1年の時からアナウンスというかレポーターデビューしたんですね。

児玉:そうなんです。そういうのに興味がすごくあってやりがいを感じたというか。それから私が「アナウンスだけじゃなくて町の中に出て行くレポーターもやらしてほしい」って直訴をして、それで地元の商店街の方に突撃で入って行ったりとかするんですけど、まだあんまりWebもそこまで発達してなかったから、情報源がメディアだったっていうこともあって、「あそこのお店の○○がおいしいって言ったから行ってみたよ」とか、「今度美保ちゃんが○○でイベントがあるっていうのを聴いたから行ってみるよ」とか言ってくださる方が多くて、それが私なりの社会貢献の仕方だなって思った瞬間でもあって、「あ、こんな私でもそうやって社会の方のお役に立てるんだ」って思って、何か伝えることがやりがいになっていって、ラジオパーソナリティではあるけど、自分なりの肩書としては伝え手を本職にしていきたいと思ったところがあったんですね。それと私が中学生の時ってJリーグが開幕した年で、私も応援しに行くのがすごい好きで、せっかく地元にサッカーのプロチームがあるんだから取材をしたいってこれもプロデューサーに「取材行きたいです!」って直訴して…

三木:すごいね。積極的ですね。

児玉:もうあの時はゴリゴリだったんですけど、それで地元のサッカーチームの応援5分コーナーっていうのをもらって、選手にインタビューしに行ったりしてたら、段々サッカーの面白さももっと伝えていきたいっていうところから、実況中継をやりたいと思うようになったんです。プロデューサーに「やりたい!やりたい!」って言ってたら、「せっかく地元のチームだからJリーグ中継を作ってあげるよ」って言ってくれて、日本放送さんからアナウンサーさんを派遣していただいてその方が実況して、私はADについて後ろでサポートしながら、そのアナウンサーさんがどんな準備をしてどういう言葉を発してるのかっていうのを後ろで勉強させていただいた。それが大学に入ってちょうど私が20歳になった時に、そのラジオ局が、一々アナウンサーさんを呼んでくるとどうしてもお金のところが大変だから、アナウンサーさんをやめようと思うっていうのを聞いて、「私がやる!」って言ってラジオ実況をその後やらせていただくことになって。

三木:そのFM局の中で?

児玉:そうです。そのチームのホームゲームを中継するんですけど、「ゴーーール!」とか言ってたんです。

三木:すごい。

児玉:それを大学の時に始めたので、大学出てからの就職先も局アナを目指したくて、当時女性でスポーツ中継をされてる方ってほとんどいなかったので、全国津々浦々アナウンサー受験をしながら「私、スポーツ中継やりたいんですけど!!」って言って回ったんですけど、「女性じゃね」とか言われて門前払いされてしまって結局どこにも引っかからなくて。大学4年の時にたまたま静岡の県域のラジオ局でラジオDJコンテストがあるって聞いて、ラジオDJコンテストに通ったとしても別にその後の就職先が見つかるわけではないけれども、一応ラジオが好きだしやってみようかなと思って応募したら、ありがたいことにグランプリをいただけてしまったんですね。

三木:すごい。

児玉:色んな方のご協力をいただいたんですけど。たまたまそこの局が25周年だか記念の年で、新しく生まれ変わる編成のメインとなるお昼の帯番組のパーソナリティを探すためのDJコンテストだったんです。それでそのまま私が月曜日から木曜日のお昼の13時~16時の枠をいただいて、世間のことを全く知らないどこの馬の骨か分からない私を、メインのパーソナリティに据えてくださったんですね。それで2年間番組をさせていただいてから、プロデビューっていう形で番組契約を終った後にこっちの事務所に入って、しゃべる仕事をずっと続けていくっていうところが元になった。

三木:それが前半みたいな。

児玉:そう。それが前半で。それで事務所に入りながら色んなラジオだとかテレビで司会したりだとかレポーターの仕事を色々させていただいたんですけど、やっぱり基礎がないところで形だけそういう業界に入ってしまったので、勝負ができなかったんですよ。他のパーソナリティさんとかレポーターさん達と。

三木:基礎ってどういう基礎?

児玉:人間の基礎ですかね(笑)。私は確かにラジオで伝えることが好きだと思ったんですけど、かと言ってアナウンサー受験に落ちちゃうぐらいなので、一般常識も知らなければ何か突出した技術や特技があるわけでもないし頭も良くないし、世間に太刀打ちができるような人間の基礎力みたいなのがなくて、だけどせっかく憧れて入ったので、すんごい競争社会なんですけど、形だけでも何とか必死にしがみつこうとしちゃってたんですね。それで人間の化けの皮みたいなのってはがれていきますし、ラジオっていう言葉だけで表現していく世界ではすぐにボロが出るわけです。「あ、こいつ何も知らないな」っていうのはすぐ出ちゃう。

三木:そうなんだ。一般人には分からない。

児玉:そんなことないです。もうすぐ出ます。なのでそれこそ番組をせっかくオーディションで取れても長続きはしなかったりとか、オーディションもなかなか受からなくなってきたりして、今思えばですけど、焦りと不安と恐怖心みたいな、「仕事をなくしちゃったら私もう何もできない」みたいなところからストレスになっちゃって、事務所のマネージャーさんとかにも「何で仕事を取ってきてくれないんですか!」とかそういうところに出ちゃう。

三木:それは何年ぐらい前ですか?

児玉:私が24~26歳ぐらいのプロ3~5年目で今から12~13年前ぐらいなんですけど、そんなことをしてるから人間関係もうまくいかないですし、常に私も人から「児玉はどうなんだ、使えるやつなのか、使えないやつなのか」って評価をされてる気がしちゃって苦しくなっちゃって。当時仙台のFM局で週1回番組を持ってて新幹線で通うんですけど、その行きの新幹線でパニックを起こしちゃったんですよ。それが27の年だったんです。

三木:どういう状態だったんですか?呼吸ができない?

児玉:何か気持ち悪いからもう寝ちゃおうかなと思って目を閉じて、私としては寝たつもりなんですけど、隣の人が「大丈夫ですか?」って言って起こすんですよ。起きると「痙攣してましたよ!」って言われちゃって。意識がなくて痙攣して、確かに起きたらグルグルしてるし、もう戻しそうな気持ち悪さもあるし頭も痛いし耳鳴りもしてるし手も痺れちゃってるしで、「何だこれ?動かない」と思ってたら車掌さんが来てくれて次の駅で降ろしてくれて救急車で病院に運ばれるんですけど、「何でもないですよ」って言われて点滴だけされて帰されるっていうのが、27の年の1年間で3回あったんですよ。一応番組があるから行かなきゃいけないから、取りあえず心療内科に通って、電車の中で寝られるようなお薬をいただくんですけど、でもそういう体の状態だし精神状態だから、電車に乗っちゃ倒れ乗っちゃ倒れで、もうさすがに番組も降ろさせていただいて、それと同時に事務所も辞めさせてもらって、その後回復するのに1~2年ぐらいかかりましたね。28の年はもうずっと家でほぼ寝たきりみたいな、体がベッドから動かないし、ちょっと暇だからテレビでも見るかと思ってテレビをつけても、ニュース番組のニュースすらもう残酷過ぎて怖くて見れないんですよ。だからスカパーで、子供向けのアニメーション番組をひたすらベッドで見るっていう1年を送って。

三木:それはすごい。それは初めて聞きました。

児玉:なかなか言わなかったですけど。その時にちょうど幸か不幸かなんですけど、うちの母親がその何年か前に母親自体が更年期だった時にすごくひどい鬱をやってて、私の状態がパニックとあわせて鬱も併発してるっていうのが分かったので、ゆっくりさせてくれることにすごく理解があって色々助けてくれて。仕事に行かなきゃいけないとか焦りがあったんですけど、「あんたは今そういう状態なんだから寝てなきゃダメなんだから」って寝かせてくれたとか、色々身の回りのことを手伝ってくれたっていうのがあって、それで回復することができたというか。それまで本当に私はひどかったんですけど、もう何がなんでも仕事を取るんだとか私1人で仕事が取れるんだ、できるんだ、やれるんだとかいう自己暗示をかけながら仕事をしちゃってたので、人に対して感謝の気持ちを全く持てなかった、湧いてこなかったんですよ。それで誰のおかげで仕事ができているっていうのが分かんなかったんですね。そんな調子だったので親に対する感謝もあまりなくて、親とは喧嘩をするもんだみたいな意識しかなかったので、動けなくなった私を親がサポートをしてくれるっていう感覚がものすごく衝撃的で、そこでやっと私は何てバカだったんだろうって気づけて、本当に心の底からの感謝っていう感覚だったりとか、今まであった環境が当たり前じゃないっていうのがそこで初めて本当に骨身に染みて分かったっていう経験をそこでさせてもらえて、私はパニックとか鬱をやったことが、すごく自分にとっては良かったなって思って。あれがなかったら今頃どうなってるのかおぞましいぐらいなんですけど。

●ヨガとマインドフルネスとの出会いについて

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児玉:その時に通ってた心療内科の先生が「児玉さんちょっと体を動かしたほうがいいから何かやってみたら。ヨガがいいらしいよ」って言ってくれたんです。その時のヨガの印象って怪しいし、地味だし、面白いのかなって。今ほどきらびやかなヨガのイメージがなくて、「面白いんですか?それ」とか言ってたんですけど、うちから歩いて10分ぐらいのホットヨガに行って汗がかけてシャワーを浴びてさっぱりして帰って来れるっていうのが、家から出るリハビリになったので「あ、これはいい」と思って。しかもヨガスタジオに行くと受付だけちょっとしゃべるけど、あとは別に誰ともしゃべらずに黙々と自分でヨガして、それで帰って来れればいいだけだったからそれも気が楽なところで、それでちょっとずつ体が回復してきて仕事に復帰できたっていう経験があって。復帰ができたら私の身の回りで同い年ぐらいの女の子達が「私も電車で倒れたことがある」とか「私も実は自律神経やってる」とか「パニックやったことがある」とかいう子が結構多くて、みんなヨガやればいいのにな、じゃあ私が伝えればいいのかって30歳の時にヨガの先生を取ったっていう状況なんです。それで今しゃべる仕事とヨガの先生と両方をさせていただいてると。

三木:そういう流れだったんですね。僕も10年前にリストラをされた後から瞑想を始めて回復したという。それも半分パニックだったのか鬱だったのかあれですけど、そこの日本間で10年前に瞑想を始めました。なのでそういう世界はあるというか非常に分かります。

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児玉:本当ですか。なかなか自分に起こるはずがないと思ってるような出来事とか、自分の体とか思考が停止をするっていうことが本当に起こるんだっていうのって、実感しないと気づかないところではありますよね。だけど気づいたら気づいたでそこが人生の大きなリセットのタイミングになるというか、その後に開けてくる世界ってすごく奥深くて面白くて…

三木:そうそう。今世の中的にはコロナが広まって世界中で皆さんお家でひきこもりな感じだと思うんですけど、でもこれが次の爽やかな世界の幕開けの準備…

児玉:三木さん、その話していいですか?実はうちで大きい水槽で金魚を飼ってるんですよ。定期的に掃除をする時ってもう金魚の背丈の高さぐらいまで極限まで水を減らして、金魚がちょっと苦しいとかバタバタするんですけど、掃除をしてきれいな水を入れてあげると、金魚達がすごくきれいでいきいきと動くことができるんですね。その様子を見ながら、「あ、これ、私達と同じだな」って実感してて、金魚は水槽の中でしか生きてないから、あのガラスの板を隔てた外の世界がどれだけ広いものかって知らないんですけど、でも餌の時間になったら勝手に餌が降ってくるし、それを食べて本能の赴くままにその中にいたら生き延びることができるっていう。水槽の掃除も何が起こってるか分かんないけど、取りあえず目の前で今水が抜かれたら恐怖を感じて、きれいな水を入れられたらいきいきと泳ぐっていう、生きる姿勢そのままがそこに現れていて…

三木:現代人のような?

児玉:そうなんですよ。私達にも起こってるんじゃないかなって金魚を見ながら思ったんです。

三木:何か大きな組織に所属してるとそんな感じですよね。僕らみたいなフリーはそうではない。獲物を外に追っていかないと。

児玉:でも例えば地球規模を考えると地球も大きな出来事が起こった後に開けていったりだとか、空気がきれいに澄んでいったりだとかするから、結局同じことが詰め込まれたのがこのちっちゃい水槽なのかなって思って。

三木:人類はだいぶ水槽を汚してしまったので、きれいにクリーンアップしないと次の時代には行けないんですかね。

児玉:はい。そう思ってます。

三木:ヨガの話が出たじゃないですか。どれぐらい前からマインドフルネスを?

児玉:マインドフルネスに出会ったのは今から5~6年ぐらい前なんですけど、私がヨガを始めて色んなスタジオの先生のレッスンに出てた時に、たまたま「この先生のこのレッスンすごくいい」って思ったレッスンをしてくださってた先生自身がマインドフルネスを学ばれていて、それをその先生がヨガレッスンに落とし込んで伝えてくださっていたレッスンだったんですね。目をつむっていてもその先生の誘導を聞くだけで体が心地よく動かせて、それまでの私が出ていたヨガってポーズをきっちりかっちり取りなさいっていう…

三木:ハード系なんですね。

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児玉:そうなんですよ。「腕の角度はこれで!」とか「こう!こう!」とかいうヨガだったんです。息苦しいな、堅苦しいなって思ってたんですけど、その先生はちょっとイメージングもさせてくれる誘導をしてくださって、こういうポーズの時の…

三木:「鷹のような」とか、「きれいに咲きましょう」みたいな?

児玉:そうそうそう。ただ単に「伸ばした指先を見て」じゃなくて「指先の向こうのほうに水平線が広がっていて、そこに落ちて行く夕日を眺めて」みたいな言い方をしてくれたので気持ちがすごく良くて、エステを受け終わった後の心地よさみたいなものがそのヨガレッスンで感じられたんですね。それでその先生がマインドフルネスに関しての研究を深くされていかれるようになって本も出されたり、瞑想もそれこそ本格的に教えてくださるようになったので、私もそれで一緒に教えていただいて瞑想を深めていくことができたっていうのがきっかけです。

三木:それが5年ぐらい前?

児玉:5年ぐらい前ですね。

三木:定期的に毎日瞑想を?

児玉:そうですね。今のところ私は夜寝る前ですね。瞑想をする習慣を一応つけて、その日あったグルグル頭が回っちゃうような出来事も1回治めて呼吸も整えて、呼吸を整えてると段々眠くなってきちゃうのでそれで気持ち良く寝るっていうサイクルです。

三木:何分ぐらい?

児玉:満月とか新月辺りで気持ちがいい時は1時間ぐらいしたりしますけど、大体20分前後ぐらいですかね。

三木:僕も朝スダルシャンクリヤ呼吸法っていうのをアートオブリビングの先生が、去年の6月ぐらいに宍戸さんのところに来られて教わって、それから毎朝やってますけど、その後に瞑想をするとすごい深い瞑想に入れて。20分ぐらいの時もあるし、時間がある時は1時間ぐらい瞑想をして、だから結構朝時間がないんです。呼吸法が30分以上かかるので、1時間するとそれで1時間半かかるので。

児玉:そうですね。でもそこを整えて1日スタートするかしないかで全然その後の22時間半が変わってきますよね。

三木:その呼吸法のおかげで去年のZen2.0はすごい心理的に体的にも楽でした。ストレスがほとんどないです。すごいプレッシャーがかかってもあんまり気にならないっていうか。

児玉:そうですか。三木さん風邪も引かなくなったんでしたっけ?

三木:風邪も引かないですね。

児玉:いいですね。内側が整ったところからようやく外の世界とうまくつながり始めるっていう。いくら外側の世界だけで頑張ってたとしても、内側が整ってないと土台がグラグラしてしまって長続きもしなかったりしますしね。

三木:そうですね。

▶後編に続く

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