第148回MMS(2017/05/04対談)「日本の技術を武器にしながらフランスで製造業を営む町工場」(株)ダイショウ 代表取締役 石塚裕さん
●ご挨拶と出演者紹介
三木:マイクロモノづくりストリーミング148回本日も始まりました。本日も司会は株式会社enmonoの三木でございます。よろしくお願い致します。本日はフランスからDyshow Industrieの石塚社長にGoogleハングアウトでご出演をいただいております。石塚社長今日はどうもありがとうございます。
石塚:よろしくお願いします。
三木:石塚さんはzenschool第5期生として卒業されて、
その後様々な推移を経て、今フランスのほうで日本の技術を武器にしながら製造業をされている方になります。色々お話をお伺いしたいと思います。
●株式会社ダイショウの紹介
三木:元々ダイショウという会社が茅ヶ崎のほうにありまして社長をされていたんですけれども、今はフランスにいらっしゃるということで、まず会社のご紹介を石塚社長よろしくお願いします。
石塚:“ボンジュール”フランスから「こんにちは」ということで、改めましてDyshow Industrieの石塚と申します。よろしくお願い致します。株式会社ダイショウは私の父が1967年、ほぼちょうど50年前に金属部品受託加工業として創業しました。私が1992年建築学科卒でこの頃ちょうどバブルの全盛期ですね。この時にゼネコンに入社して、うちの会社を継ぐ気はなかったんですがきっかけがあって2000年に入社しました。2010年に代表取締役に就任して、漢字の「大昌」という社名を株式会社に組織変更して「ダイショウ」というカタカナの社名に変更しました。その5年後にすぐフランスに渡仏して今の現在があると。
三木:意外と日本で社長をしたのは短いんですね。
石塚:そうですね。実質4年ちょっとぐらいです。ただ、事業継承の問題で正式に変わる前からもう会社のやり取りはやらせてもらっていました。
会社の事業内容は部品加工です。事業規模は従業員が10名以下の形で試作とか小ロットの部品加工。加工内容が旋盤、マシニング、ワイヤーカット、研磨、溶接、他の技術は仲間と技術を補完し合ってトータルで試作品小ロットの品物を納めるということをやっておりました。試作・研究開発関連が一番多くて、あとは治工具とか結構多くやらせてもらってました。
これは父の創業した頃の会社で、父が37の時に設立しました。設立した経緯は元々実家が網元で国府津(神奈川県)で兄弟で漁師をやってたんです。高度経済成長の波で1次産業が衰退した中で「少し厳しいね」という話で、「陸(おか)に上がる仕事をしよう」ということで鉄鋼の職人を目指したと。5年修行をしてその後独立して2年後に私が生まれました。独立した経緯というのは、結婚して独立したかったけどお金を持ってなくて、うちのお袋が看護婦をやっていて辞めたのでその退職金で中古の旋盤と中古のトラックを1台買って始めたっていうのがうちの会社の成り立ちです。
●ダイショウのフランス行きの経緯
三木:なぜフランスに行ったかという経緯を。
石塚:きっかけの1つ目は、我々茅ヶ崎でCMONOCという町工場のクラスターを組んでおりまして、
行政や地域に縛りのない独自の町工場だけのクラスターです。これは引っ越した先の工業団地の4社と同じ茅ヶ崎市内の別の団地の3社の7社で組んだクラスターです。その中の弊社含めて4社が2011年からフランス計画を始めました。1番最初は本当に純粋に「何か夢のあることをしよう!」と。スキーが好きな人が「ヨーロッパでスキーしたいね」とかバイク好きな人が「ル・マンに出たいね」とかそんなところから始まりました。
クラスターとしてさっきの4社でヨーロッパで何とか進出できないかということを試み始めたのが私がここにいるきっかけです。これ4社の社長です。みんな若いですね。
三木:4年前?何年前?
石塚:これ4年前ですね。2011年から12年か。展示会に出展したりとか、地元の企業さんを回させてもらったりとかしてました。同じCMONOCの由紀精密さんが積極的にフランスに出展してたので、他の会社がバックアップしたりお手伝いをさせてもらってました。
きっかけの2つ目は、地元の中小企業を回らせてもらった時に一社から声をかけてくれた社長がいて、この写真の真ん中にいる彼がパートナーの社長で、そんなこと急に言われてもうち従業員もいるし負債もあるし、と思ったんですけど、「いいお話なので一度日本に持ち帰って考えてみます」なんて返事をした覚えがあって、でもこっち(フランス)でも通用するという裏付けが取れたと。今私がいるこの会社の中に事務所を置かせてもらってフランス法人登記して、今はそういう間柄のパートナーシップです。
三木:このフランス側の社長はどの辺を見てダイショウさんに来てもらいたいというオファーを出していただいたんでしょうか?
石塚:具体的に言うとうちのマシニングの4軸加工の技術に興味を持って。こちらマシニングもありますが旋盤が強くて主流で、それに付随する加工技術のマシニングの4軸加工で丸物の後加工とか仕上げ加工に興味を持ってもらったんです。
●渡仏の決断と家族について
石塚:それから3年ほど経ってしまったんですが、2014年の秋に渡仏しようということで決断をしました。これはパートナーがいて「これからフランスで仕事を取りたいね」といった時に、もちろん今日本で部品を売ってる会社さんとか同じ仲間がいるんですが、やっぱり現地に製作拠点があったほうが色んなメリットもあるし、ぜひフランスで現地生産をやりたいという中で、最初のきっかけはCMONOCだったんですが自分の中では想いもありましたし、こちらに来て実際に機械に触れるとかマルチに動けるなとは思ってて、フランスに来てからフランス語を勉強したり商習慣を学んだりということを覚悟してこちらに来ました。
三木:石塚さん渡仏した時って何歳でしたっけ?
石塚:46かな。
三木:46歳から学ぶフランス語とかその辺は不安じゃありませんでした?
石塚:やっぱり入んないですね。第二外国語でやってたわけでもないし、全くまっさらの状態から始めたので非常に厳しいなと思ってました。現場でのやり取りとか図面を見るとかは何となくはできるんです。だけど、日常生活とか手続き事とかそういう部分での苦労はいまだにありますね。
三木:それはそうですよね。ご家族はどんな感じなんですか?
石塚:家族は去年6月からこちらに来て、基本的にはうちのかみさんはダイショウ日本法人で経理とか総務の仕事もやってましたので、いつかこういう流れになるだろうという覚悟はできてたみたいです。子供はまだ小さいので、上が今7歳、下が4歳なので、分からない中でやってる感じですね。
三木:順応性が高い時期だから。
石塚:順応性は高いですね。めちゃくちゃ高いですね。
三木:地元に溶け込んでる感じですか?子供たちは。
石塚:私がいるところは一番近い都市のリヨンから車で1時間ぐらいの場所で田舎なんです。インターナショナルとかないので本当にローカルの学校に行ってるんです。英語も通じないし外国人もいないのでよく頑張ってると思います(笑)他人事みたいに言っちゃうんですけど(笑)
三木:フランス語がネイティブになる人たちですかね。子供たちは。
石塚:そうですね。選択肢がそれしかないのでそこでやっていくのみですね。
うちの数人規模の会社で渡ると日本とフランスと両方回していくのは結構難しくて、自分はもう完全にフランス1本でやろうということで、法人格はもちろん残ってますが資産は一切売却して、従業員に関しては先ほどのCMONOCのクラスターで由紀精密さん、クリードさんにそれぞれ転籍してもらって機械も一部移転して、お客さんもそれぞれ引き継いでもらう形でフランスに来たという経緯になります。
三木:CMONOCのネットワークがあったから移転できたということですよね。
石塚:そうですね。こちらに来て登記とか色んな壁があるんですけど、そういうことも手伝ってもらいながらアドバイスもらいながら色々進められたので、本当に助かりました。
三木:すばらしいです。
●フランスでの活動・生活について
石塚:フランスでの今の活動・生活ですが、2015年の7月から9月ぐらいで資産売却とか準備を始めて、実質11月からの単身渡仏になります。2016年は種まきですね。まだ生産活動ができてなくて、法人登記はもちろんその辺の準備とか滞在許可書を取得するとか手続き事を進めて、それから日仏4社の製造業のアライアンス「ACT」というものを作って、先ほどのCMONOCプラスこちらのフランスのパートナー企業1社が加わったアライアンスで、そのことの記者発表をやったりとか、もろもろの展示会、ホームページ制作とか色々やっておりました。実際8月頃からこのパートナーの会社の設備・機械を触って生産は少しずつ始めたところです。
三木:「ACT」を立ち上げたというのは結構すごいなと思って。普通に日本の連携だけでいけると思ったけど、さらにそこにフランスの会社も1社入ったんですよね。この「ACT」のメンバーは定期的にカンファレンスをやってるんですか?
石塚:定期的なミーティングは週1回。
三木:週1回オンラインでやってるんですか?
石塚:そうですね。ちょうど今と同じぐらいの時間で。
三木:フランス語側の参加者はフランス語でしゃべってるんですか?
石塚:いや、この定期的なミーティングは日本だけですね。日本の3社プラス由紀精密さんがリヨンに支店を持ってるので、そこのメンバーとフランス2拠点でやっております。情報共有というかこちらからどんどん情報を発信していって、何をやってるかを理解してもらうと。こちらに来てから地元の新聞とか雑誌に取り上げてもらったりしました。2016年の3月にこういった形で登記されました。
展示会場で左下の写真を見ていただくと、日仏両方のメンバー、これが先ほどお話した「ACT」ですね。
「Alliance de Competences Technologiques」、“技術的な競争力を持ったアライアンス”ということで、資本提携はなくてあくまでアライアンスとして技術を補完し合いながら様々な日仏の加工や技術系の課題に日本のネットワークも使って対応していこうという趣旨のアライアンスです。
三木:今この仕事の流れとしてはフランスから日本へみたいな流れはあるんですか?
石塚:今私はこちらでは主に生産をやってますが、フランスのパートナーの会社の仕事をメインにやってて、こちらを基点にして見積もり依頼があった時にそれを日本に流して日本で見積もりをしてもらって、見積もりが通れば日本で作ってこちらで納めると。まだまだ色んな関税とか輸送費、時間・納期に関して、なかなかそこまで決まるものっていうのは限られてるので、今後はそこが一つの課題になってくるかなと。材料の規格とか違うので、欧州材じゃないとダメって限定されちゃうと、小さいものなら材料をこちらから送ることもできますが、その辺の課題はクリアしていく予定です。
これはパリで対仏投資庁という外務省の企画で、フランスの大使も来ててそこで「お前の会社は何かおもしろいことやってるからしゃべろ」と言われて話しました。これはフランス語のホームページを出してて、
校正の問題はこちらの人間に「ちょっと校正して」とお願いすればただでやってくれるので(笑)、下手なフランス語で書いたものを直してもらってるので内容は完璧です。
三木:いいですね。かっこいいですね。
石塚:パリからTGVで2時間ほどのところがフランスの都市リヨン、そこから1時間ほどのところがサンテティエンヌになります。
支店がリヨンにあって、そこにフランス語がしゃべれる日本人の女性が1人おりまして、私はサンテティエンヌのパートナーシップの会社の中に事務所を構えています。
三木:すごいきれいなところですね。
石塚:これはサンテティエンヌですね。地元の県庁所在地なんですが人口18万人なので本当小さいですね。全人口が8,000万人ぐらいで、人口密度でいうと日本の4分の1ぐらいでスカスカな感じです。非常にのんびりした感じですね。
元々炭鉱が発祥で栄えた町なんです。イギリスで初めて鉄道が開通した翌年に掘った石炭を運ぶために鉄道が開通したというところで、戦時中に石炭をたくさん掘ったりとか武器を作ることも盛んにやってて、町工場とか工業が盛んな場所ではあります。
これは地元の駅ですね。ちょっとこじゃれた感じで。これ教会ですね。
三木:きれいですね。本当にフランスって感じですね。
三木:家族は?
石塚:家族ですが、娘が5歳、息子は3歳で長女卒園後の去年の6月にフランスに来ました。フランス人の仲間が引っ越しを手伝ってくれて。
石塚:生活はすごく住みやすいし、イベントも多くて食べ物もおいしいので、そういった部分では恵まれてると思います。
三木:生活が楽しいことは重要ですね。
石塚: 今現在の活動としては、生産はやってますがまだまだ立ち上げなきゃいけないことがたくさんあって、あと生産ネットワークを構築して、日本の仕事及びフランスの仕事をネットワークを使って見積もりなり加工なりをどんどんやっていこうと進めてます。今は延長上という感じです。
三木:zenschoolの同窓生も石塚さんのこの新たな挑戦に非常に注目してると思います。特にずっと日本にいて日本の中だけで活動している会社にとっては石塚さんの取り組みを自分が踏み入れてないことだと思ってるので、先輩として色々後輩のほうにご教授いただければと。
石塚:ぜひそういう話をしたいですね。もっと情報発信をしなきゃいけないと思ってて、ブログも意識してやるようにしてますがなかなか書けてなくてごめんなさいっていう感じなんですけど。
宇都宮:発表会の時にちょっとフランスからコメントいただくとか。
三木:発表会の時にビデオメッセージでもいいのでいただければと思います。
石塚:ぜひぜひ。
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●今後に向けて
石塚:今後に向けてということで、これは全てリンクしてるんですけど、仲間ともっともっと連携してチャンネルを増やして営業や生産活動を進めていきたいです。
受託加工で我々の規模でこちらで生産しているとなると、おそらくフランスでも初めてですしヨーロッパでも初めてなんです。コチラへ進出を目指してる会社とか実際に取引がある会社さんなんかも町工場でありますが、生産ができるということは強みになるので、うちの会社を生産拠点の一部という形で営業してもらっても全然構わないですし、例えば不良が出ちゃったよとか何か事故があった時に引き取って直すということももちろんできるし、うまく連携できればいいなと思ってます。enmonoさんのマイクロモノづくりにつながると思うんですけど、
色んな工夫をして色んなプロダクトを持ってる会社が多いので、町工場プロダクトを販売したりするお手伝いをできたらなと思ってます。
基本的に日本製というものに対して非常にリスペクトしてくれてて、モノが良いとか興味を持って見てくれる土壌があるので日本製だから売れるということが一つ、中身が伴ってるモノに関しては趣旨が伝われば売れると思います。意外と我々が「えっ?こんなモノが!?」っていうのが売れたりするので、そこも色んな試行錯誤が必要だと思ってます。
三木:たぶんヨーロッパで販売をしたい町工場はたくさんいると思います。
石塚:そのお手伝いをしたいし自分も試してみたいです。話はちょこちょこ今来てるので、これから具体的になっていくと思います。具体的にはまだ販売はできてないですけれども。
三木:そうですね。ちょっと話のネタにはたぶん食らいついてくると思うので、一台あると「どうやってこれ動くの?」とか。言葉が通じなくても直感で分かるようなプロダクトなので、あれが一台あると営業のツールにもなると思います。
石塚:いいですね。おもしろいですね。営業代行という形で、自分が一人で活動しているもので、本当にコミットのところまでは難しい部分はあるんですが、欧州進出を目指すような我々の仲間でスタートアップの協力なんかができればと思って、「展示会に出たい」といった時のフォローアップをしたりとか
三木:展示会いいですね。
石塚:とにかく町工場の仲間とたくさんパートナー、仲間を作って販売チャンネルを増やして販売なりリーチを広げていきたいと思ってます。
●zenschool受講後のモノづくりについて
三木:石塚さんがzenschoolに来た時のことを思い出してたんですけど、アートとかそういう方向のプロダクトを考えられてて、言葉というものに結構こだわってそれを削り出すみたいな。
石塚:そうですね。モノを作ってるので、そこが結びつくとおもしろいなということは常に考えてて。zenschoolに行ったきっかけもあって、西村さんとお会いするようになってからモノづくりを結構やらせてもらって、そこでは何点か作ることができて。
またその延長線上で作ったモノを先日オープンしたミュージアム(Factory Art Museum Toyama)のほうにも展示させてもらったりとかそんなつながりが持てたので、
そのアイデアが今少しですけど生かされてるなと感じています。
三木:最初zenschoolにお誘いした時に確かアート的なモノに興味を持たれていたような気がしたんですけど、フランスとかと連携していくみたいな話もたぶんしてたので、それが現実になりつつあるという感じですかね。
石塚:今自分の置かれた立場でいうとちょっとまだそこに行き着くまでの余裕がないですが、これから先々軌道に乗った時にはそういうこともやりたいなと思ってます。
三木:たくさんのアーティストさんもパリとかにはいらっしゃるでしょうから。
石塚:そうですね。ここのユネスコのデザイン都市という認定を受けてて、アートフェスをたくさんやってるんですよね。
三木:この町でアートフェスをやってるんですね。
石塚:はい。今年そのデザイン発表の年で、世界各国からデザイナーが来るイベントを1ヵ月間、そんな活動を盛んにやってるので、工業が元々盛んで発展した土地なんですけど、やっぱり工業も少しずつ下がっている部分もあって、今町としてはデザインに力を入れてるんです。
三木:ちょうどいいですね。
石塚:日本人のアーティストなんかも結構来てましたね。
三木:なるほど。今ちょうど富山にFactory Art Museumができて、梶川さんっていう石塚さんの後輩が作った…
石塚:さっきお話した西村さんとのコラボの品物を置かせて出してもらいました。
三木:そうですよね。もうちょっと余裕ができたらフランスのアーティストとコラボしたようなモノを作って、またそれを富山で展示したりとかそういう交流ができるといいんじゃないかなと勝手に思ってます。
石塚:メイドインジャパンってフランスで結構ウケるんですよね。そうなったらメイドインフランスを日本人が作ったモノを逆輸入してもいいかなとか
三木:いいですね。そういうコラボレーションがどんどん生まれていくといいかなと思います。
●日本とフランスの製造業の違い
三木:そちらのほうでお仕事されていて、日本で得られた技術をそちらで展開していくにあたって、「これ日本で経験しといて良かったな」みたいなことがありましたら教えていただけますでしょうか?
石塚:自分の会社で試作とか単品をやってたので、とにかく色んなモノを手掛けたので、それは経験値としてすごい残ってて良かったなと思ってて、こちらに来ても一通りできるのでそこは良かったと思いますね。
三木:図面とかは日仏違わないんですか?
石塚:図面、日本って三角法なんですけど、フランス一角法なんですよ。
宇都宮:そうなんだ。
石塚:配置が逆なんですよね。なので、ミスする原因だったりとか非常に見づらい。今3次元データがほとんどなので、それを見れば別に加工上問題はないんですが、パッと図面を見た時に勘違いをよくしますね。
三木:一応紙の図面と3D両方あるんですよね?
石塚:そうですね。
宇都宮:見積もりとかはどんな感じなんですか?
石塚:今展示会ですとか現地のお客さんの営業活動なんかで入ってくる見積もりもいくつかあるんですが、先ほどお話した通りなかなか頭数が少なくて、色んな課題をクリアしていかなきゃいけない。ただ、日本のネットワークを使えば作れるモノってたくさんあるので、本当はそういうところにもどんどん話を持って行って膨らませたいなと思ってます。いくつかそういう試みもやってはいるんですけれども、まだまだ課題が多くて取捨選択をしながら見積もりをやってるので、もっともっと実績を作ってやっていきたいです。とにかく数をこなさないと。まだまだ受注に至って利益を上げるところまでいってないと思ってるので、そこをどんどんやっていきたいと思います。
宇都宮:日本の製造業とフランスの製造業って違いというか特徴ってあるんですか?
石塚:大量生産ではなくて、そういったものはアジア、北欧、東ヨーロッパ、北アフリカとかに流れてるんです。そこで安い労働力で大量生産をする。もちろん中国とかもそうなんですけど、本当に日本に似てる感じで今残った会社っていうのは淘汰の波を経験して残ってる会社なんです。それなりに残ってる理由があるんですが、やはり日本と同じで後継者の問題だったり色んな悩みはあります。日本とちょっと違うのは比較的数が減ってきてるので、お客さんから守られてる感じがすごいしますね。
宇都宮:逆に潰しちゃまずいみたいな雰囲気なんですか?
石塚:そうですね。かといって単価がものすごいかって言ったらそうではなくて、今フランスは大統領選挙なんかもあってちょっと景気が下向いてて、終わったらまた上向くとは思うんですがここ1年2年悪い時期でもあって、値段も決して良くなくてそこは非常に日本とは似てるかなと。
宇都宮:日本って中小企業政策とか支援があるんですが、フランスも結構そういう中小企業政策とか国の支援とかってあったりするんですか?
石塚:ちょっと自分はまだ突っ込んで詳しくは見てないんですけど、普通に補助金なんかはあったりします。日本とかは元請けさんと下請けさんっていう上下の縦の関係みたいな並びなんですけど、お客さんと下請けっていう言葉が正しいかどうかは別として、パートナーとしてモノを作って納めるという並列な関係なので、値段の部分で非常にいいかなと思います。
宇都宮:パートナー関係って中小企業側も結構提案力とかが必要になってきたりするんですか?
石塚:日本でいうと本当に上下なのでお客さんの言うことは絶対みたいなところがあるんですが、こっちは横で並列なのでこちらの事情が結構汲み取られたりということはあります。許容範囲が広いところはあるので仕事はやりやすいとは思います。何かあっても、日本だと頭下げて「すぐ直します」って言うんですけど、「それはこういう事情だからこうなんだ」とかありますので。
宇都宮:バカンスもちゃんと取れる感じなんですよね?残業したりとか土日出たりとかはなくて。
石塚:納期感覚は本当そうですね。こちらは従業員の生活が中心なので従業員の生産ペースでモノができてる感じです。
宇都宮:石塚さんの労働時間もフランスっぽくなってきましたか?
石塚:私は経営者、マネージャーなので普通に土日もやってます。夜中までやってますし。
宇都宮:マネージャーは違うんですか?
石塚:マネージャーは仕事してますね。土日なんかも出てきてやったりしてる人もいます。
宇都宮:結構分かれるってことですね。おもしろい。今度ぜひフランスに行きたいと思いますので。
石塚:ぜひ。enmonoさんの世界征服を援助して力を貸したいと思いますのでぜひ一緒に。
宇都宮:ありがとうございます。
●石塚様の考える「日本/世界の○○の未来」に対する想い
三木:一番最後に皆さんにしている質問がございまして、石塚さんの考える「日本あるいは世界の○○の未来」で、○○はご自身で入れていただきたいんですが、大上段からお願いできませんでしょうか。
石塚:日本にいた時からそうなんですけど、町工場というキーワードで、今やってることを次の世代にバトンタッチをしていかなきゃいけないです。今までは下請けとしてやってきたのがここへ来て社会構造も少しずつ変わりつつあって、我々がこうやって色んな形でみんな工夫して経営をやられてます。あとは事業所の数が減ってしまうと全体的にはマイナスに働いてしまうので、何とか残っていけるように血縁以外でも色んな形で町工場、中小企業が回っていくような活動を自分はしていきたいなと思っています。そういう中の一環でヨーロッパに来てやってることが少しでも刺激になればいいなと思ってます。
三木:すごい刺激になってると思いますよ。色んな町工場に。
石塚:町工場だって地域に根ざしてるから町工場で、町工場外に出る必要はないと言われれば無いので。こっちの地域には根ざしている活動にはつながってると思ってるんですけど、新しい言葉作ろうかなと思って。町工場じゃなくて“外工場”っていう。
三木:いいですね。“外工場”。
石塚:“外工場”でいいのかなと。そういうことやってる連中もいて色んな人が色んなことをやっていって業界全体が活性化すると思います。
三木:ありがとうございます。フランスから本日は石塚さんにご出演いただきました。どうもありがとうございました。
石塚:ありがとうございました。
対談動画
石塚裕さん
:⇒https://www.facebook.com/yutaka.ishizuka.7