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第127回MMS(2016/05/13対談) 「クラウドファンディングをきっかけに業務拡大し売上倍増のエンジニアリング企業」(有)ケイ・ピー・ディ 代表取締役 加藤木一明さん

●マイクロモノづくり経営革新講座 第2期生

enmono(三木) はい、ということで第127回マイクロモノづくりストリーミング、本日も始まりました。本日はケイ・ピー・ディの加藤木さんに来ていただきまして、クラウドファンディング・自社商品開発をきっかけに経営が大きく変わったというお話を伺えればと思います。よろしくお願いします。

加藤木 よろしくお願いします。

enmono いつものように司会は株式会社enmono三木でございます。あと声の出演で――。

enmono(宇都宮) はい、宇都宮です。

enmono 加藤木さんは今zenschoolと言っている講座の前身にあたる、マイクロモノづくり経営革新講座の第2期生でした。どういうきっかけで講座にいらっしゃったのかお聞かせいただけますか?

加藤木 ウチ(ケイ・ピー・ディ)は口コミ等がメインであんまり営業していなかったんですね。それで十何年かやれてきてたんですけど、リーマン以降まわりの状況が苦しくなって、異業種コラボや勉強会に参加して、付き合いを広げていった時の一人に江田さんという方が……。

enmono 有名人の。

加藤木 はい。面白い考え方があるよということで「マイクロモノづくり」というキーワードを聞いて、紹介セミナーに参加させていただいて、「面白いなぁ」というのがずっと頭の中にあってですね。それでもその時、江田さんと一緒に異業種交流会のグループに入ったので、そこでなにかあるんじゃないかなぁというのがあって(すぐに経営革新講座に参加ということにはならなかったのです)。現に色々あったんですけど、基本的に困ってる人が集まってるので、すぐ売上に繋がるということはなく。

enmono お互いに傷の舐め合いのような。

加藤木 そういう部分も飲み会であったりとか。その中でキーワードが頭に残っていたので、何回かお話を伺って、ちょっとやってみようかなと。「自社商品」というのも全然頭になかったキーワードなので、「なんだろうな?」と半信半疑で。「実践」というキーワードはすごく良かったので、第2期生として参加しました。

enmono(宇都宮) 半信半疑で受けるにはそこそこな金額がかかると思いますが。

加藤木 それだけ困っていたというのが実はありまして。

enmono(宇都宮) 何も手立てがなかった状態だったのでしょうか?

加藤木 その当時の自分では発想力がなかったですね。異業種交流会どうこうというよりも、自分自身のスキルが低すぎたというか想像力がなかったので、「この人とこういうことができる」というのも「できない」というイメージしか湧いてこなくて。自社商品という言葉すら頭の中になかったので、そういう視点を持っていなかったということですね。

enmono 技能は充分お持ちだったと思うので、自分で「ない」と思いこんでいただけですね。

加藤木 壁だったんですね。心のブレーキを踏みっぱなしで(笑)。


●基板で食べていく

enmono ご覧になっている皆さんは加藤木さんのお仕事がわからないと思いますので、自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか?

加藤木 まず自分自身の自己紹介なんですけども、元々は某自動車メーカーで組み立てをやったり、自動車販売をやったりしていました。そこから転職しようと思ったきっかけが円高とかで「給料が少ないなぁ」「このままだと厳しいなぁ」と若気の至りで転職して、元々は電気科だったので、電機メーカーがいいんじゃないかと入ったのがプリント基板設計会社でした。緑色の板(基板)の設計をするというのを社員として始めました。そこで8年くらい、一通り自分でできるようになったのですが、当時は分業で基板は基板だけという感じだったので、上流・下流の(前後の)工程も見えない状態で設計をしているということに自分的に成長の不安があって――それでまた転職なんですね(笑)。

enmono 結構転職されてるんですね。

加藤木 転々としていますね(笑)。で、開発会社に入って、FAXですとか電話機ですとか、携帯ではないんですけど。小さな60名くらいの会社なんですけど、電気設計・基板・ソフト・製造・マレーシアの工場で組立と、社内で一通りの流れができる会社があったので入りました。不安になるくらい羽振りがよかったんですけど、半年くらい勤めて、今の奥さんと結婚して、翌日に会社が倒産したという衝撃的な(笑)。

enmono すごいですね。それはどういう理由で倒産しちゃったんですか?

加藤木 FAXだったと思うんですが、最終的には製品の不良在庫が溜まって、マレーシアの工場に山積みになって、予定していたお金を回収できないということでかなりのアレ(負債)があって。

enmono 社長は日本人ですか?

加藤木 そうですね。あんまり言うとアレですが、マレーシアの方へ逃亡しちゃったりとか、そういう噂ですけども(笑)。その時に夫婦揃ってハローワークへ行ってたら、これ夕刊フジなんですけども(画面に『結婚式の翌日に会社が倒産』の記事表示)記者さんに取材されて、「なんでここにいるんですか?」というところから。

enmono(宇都宮) メディアデビューなわけですね。

加藤木 メディアデビューですね。新聞はこれが最初で最後だろうなと思います。

enmono 夫婦でというのがすごいですよね。

加藤木 そうですね。妻の両親にはずっと言えずに。仕事しているフリをして。

enmono 奥さんもその会社に勤めていたのですか?

加藤木 別の会社だったのですが、結婚を機に辞めて、東京の家(加藤木家)へ嫁いでもらったので、二人とも失業中みたいな。

enmono 人生の転機ですね。

加藤木 色々その時に就職活動して、自分の風呂敷っていうんですかね。何ができるかというのを見て、ほかの業種というのも考えはしたんですけど、今まで基板設計のスキルを上げるために10年、基板設計が好きでやってきたのに、そこで全然違う方向というのは考えられなかったんですね。
今だから言えることかもしれませんが、倒産ということがあってありがたかったです。

enmono ありがたい、ですか。

加藤木 本当に幸せ者だと思います。今だから言えるのかもしれませんが――というかその時もヘラヘラしてたんですが――結局「基板だけ」という風に雑念がなくなったんです。「これがいい、あれがいい」「あっちは給料が多い、少ない」とか、そういうことを考えなくなって、「これで食べていく」と。

enmono(宇都宮) 基板の道で悟りを開いたんですね。

加藤木 そうですね。その倒産した開発会社で基板担当は私一人だったんです。同じ会社だった方たちが色んな会社に行ったので、60何人の方たちが基板について私に相談してくれるんですね。そこからスタートだったので。

enmono ああ、そういうことか……。

加藤木 やるなら応援するよという方が多くて。一時、基板工場に勤務したこともあったんですけど、やっぱり窓際族みたいな感じで仕事が来たらやってみたいな形で全然充実しなかったんですね。それなら勝負して創業しちゃえという感じで。

enmono 創業したのはいつぐらいですか?

加藤木 1999年です。

enmono(宇都宮) おいくつの時ですか?

加藤木 17年前なので、30ちょいですね。

enmono(宇都宮) まわりに言いました? 創業するということは。

加藤木 ちょうど山一証券とかがあった時で(山一証券は1997年に経営破綻)、「なんでこんな時に創業するの」みたいな。親兄弟親戚中猛反対で、「それだからやるんだよ」とワケのわからないことを言って(笑)。結果が早く出るだろう、傷も浅いだろうと無理矢理突破して。

enmono 創業するにあたってどういう設備を揃えられたんですか?

加藤木 基板設計って昔はワークステーションとか1台300万~400万するようなものが必要だったんですけど、ちょうどCADがパソコン版に移行していた時だったので、パソコン系のやつを購入して、CADはまず揃えてですね。

enmono ソフトも高いんじゃないですか?

加藤木 高いですね。あ、高いって言っちゃいけないですね。

enmono(宇都宮) PC版と言いつつ。

enmono 何百万もする――。

加藤木 何千万、というアレだったんですけど。

enmono(宇都宮) それは借金をされたんですか?

加藤木 そうですね。応援していただいたり、あとは安く買わせていただいたというのもあったんですけど。その時はお金がない中からさらに集めて。

enmono(宇都宮) それで実現できたというのはすごいですよね。

加藤木 いい人やチャンスに恵まれたと思います。元々基板設計をやっていた時に同じCADを使っていた人たちのネットワークもあったので、相談してみると色々ないい情報が集まったのと――。

加藤木 CADがあれば会社をたたんでも仕事はできる。仕事ができればお客さんに迷惑はかけない。会社がなくなっても面倒見ますということは言えるので。その時は(CADの)リースが通らなかったというのもありますけど、もう全部買い取りで。その後何度もバージョンアップとか新しいのに買い換えているんですけど、全部買い取りで。銀行から借りてやっていますね。

enmono(宇都宮) ソフトメーカーにとってはいいお客さんですよね。現金買い取りって普通大手だと先延ばしされますし。

加藤木 それが信頼に繋がるというか。こういう風にしてあって、なにかあっても「できない」ということはないという状況を達成したというのはあります。


●基板設計はアート

enmono 基板設計のどの辺が燃える感じなんですか?

加藤木 部品が載って、普通は回路図があるんですけど、それを一番最初に形にするお仕事だと思うんですね。電気関係の。基板設計って10人いたら10人とも違う絵になるんですよ。全然特徴が変わって、これは誰が引いたってわかっちゃうくらい。その独特な違いがあるので、お客さんが着くんですね。ファンが。

enmono この人が好きだみたいな。

加藤木 ええ。「この画家さんが好きだ」みたいな。

enmono(宇都宮) アートなんですね。

加藤木 アートなんです、本当に。

enmono 今、基板のことを知らない方が多く見ていらっしゃると思いますので、これを。我々の前に基板のパターンが印刷されたものがあります。

加藤木 これは基板アート手ぬぐいですね。今日は慌てていて基板(の実物)を持ってくるのを忘れてしまいまして……。

enmono 手ぬぐいにデザインとして起こしたという。これは当然加藤木さんのオリジナルパターンだと思いますが。

加藤木 これは新規で書いたオリジナルです。基板自体細かいので、皆さんはこういうところまでは見られないと思うんですけど、これが私たち基板設計者が見ている絵なんですね。

enmono(宇都宮) これを見てニヤニヤしているわけですね。

加藤木 ニヤニヤしてますね。

enmono (笑)。

加藤木 綺麗に一本通ったとか。最短距離で行けたとか。短い距離で太くて、びっちり詰まってというポイントがあるんですけど、これができあがった時の達成感というのはもう比べるものがないくらいですね。

enmono(宇都宮) 今だとCADで自動レイアウトしちゃうじゃないですか。それはまだまだな感じなんですか?

加藤木 最初に出てきたものはもう「なんだこりゃ」という感じだったんですけど、それを言っちゃうとちょっと(笑)。

enmono レベルは結構上がってきているんですか?

加藤木 最近上がってきていますね。これも図研のユーザー会に発表させていただいたんですけど、すべて自動っていうのはまだ無理なんですけど、こういう短い部分とか近い部分とかだけは機械にやらせるということが可能になってきているので、すごく一昔前とは違いますね。

加藤木 結構、基板設計者って「ダメだ」と思うと使わないんですけど、使わないとソフトもよくなっていかないので。私は「大丈夫だ」「どうやって使いこなすかだ」と思っています。元々一人二人でやっていたので、CADを最大限利用するということを常に考えています。

enmono(宇都宮) (ソフトメーカーに)要望を伝えたりはしているんですか?

加藤木 そうですね。通らなくても。

enmono (笑)。

加藤木 そのためにサポート保守とかも切らずにやっています。さんざん要望は出しましたね。

enmono メールなどで連絡するんですか?

加藤木 電話でサポートができるので。これ要望お願いしますという形で。10何年間で私、500回くらい。要望以外にも操作の質問などもありましたけど。

enmono(宇都宮) 改善提案とか、すごく。

enmono 価値がありますね。

enmono(宇都宮) 開発に寄与しているくらいの勢いですよ。


●変わっていく業態・業務内容

加藤木 では会社の紹介に。有限会社ケイ・ピー・ディという名前で、最初は個人事業で、2004年に法人化しました。法人にした理由は先々CADがあれば仕事ができるということでリースを通しやすくするのと銀行さんとの取引で資金繰りがやりやすくなるという点でした。場所は東京の葛飾区。

enmono ご自宅でやられているんですね。

加藤木 そうですね。自宅兼事務所でやっています。その理由も基板設計って納期勝負なので、電気設計者が定時で帰る頃に変更を出して夜中にバーッとやって、朝できあがったのを見せたいという……普通じゃないですね。

enmono 日中は何してるんですか?

加藤木 日中もやってますよ。そういう時は大体ずっとやっていて、結構徹夜何連チャンというのばっかりやってましたね。

enmono 今も?

加藤木 今はできるだけやらないように……もう身体がキツくなってくるので。2~3時間は寝るようにしています。

enmono 2~3時間(笑)。

enmono(宇都宮) それもちょっと……。

加藤木 でも、夢に出てきちゃうんで。夢でやってるとか、最初の頃はずっとそんなんでしたね。

enmono(宇都宮) 楽しい感じですか? 追いかけられてる感じですか?

加藤木 ワクワクする感じですかね。

enmono おお……。すごいですね。

加藤木 夢の中でできちゃったりして。「あ、こうすればいいんだ」って事務所にすぐ行って、「これできるんじゃないか」とか。

enmono(宇都宮) 楽しそう。

加藤木 楽しいですね。

enmono なるほど。では引き続き――。

加藤木 事業内容は、リーマン以前は元々の主体は口コミでお仕事をいただいていたので基板設計だけしか請けていなかったんです。もう来るのは全部請けてやっていたんですけども、リーマン以降になった時に世の中がちょっとずつ変わってきて、大手さんとかお客さんの方で基板設計の後の製造ですとか、そういうのをやらなくなってきたんですね。

enmono 企画ぐらいで。

加藤木 そうですね。全部をひっくるめてやってくれという話が多くなってきて、製造と部品実装、そういうものを請けるようになって、事業内容はそういった形で基板設計以外も増えてきて。

enmono それはいつ頃からですか?

加藤木 大体リーマン……2009年ぐらいからですので、お会いするちょっと前です。基板設計以外の仕事を増やしたのでリーマンの影響というのはウチはあんまり酷くなくて、妻と二人でゆっくり構えてやっていました。

enmono 奥さんも設計されるんですね。

加藤木 そうですね。その後、東日本大震災があって、大変な状態になって。

enmono 2011年……2期生だから多分……。

加藤木 震災の後ですね。

enmono 9月とか10月くらいでしたか。

加藤木 後半ですね。そういう震災があって、今モノづくりとかやっている中で、最終的に増えたのが開発請負。電気設計から開発して組み立てして出荷するというのと、それ以外にコンサルティング。基板設計のベンチャーさんですとか、そういった方々が基板をちょっとチェックしてくれと。

加藤木 こういう風にしたらもっと小さくなるし、能率もいいとか。ここが随分細いから電気の通り道を太くしてあげてくださいとか。ここにはアンテナがあるので、ほかのものがあったら干渉してしまいますよとか。そういうご相談をいただくようになって、ありがたいことです。そういうのもちょっとずつ増えてきています。

enmono コンサルティングをやるきっかけになったのは、このhealing leafという……(手ぬぐいに印刷されている)。

加藤木 そうですね。マイクロモノづくりですね。このhealing leafとかをやって、「こんなヤツがいるんだよ」と知ってもらえたので、色んな方から声をかけていただくということが増えました。開発もそうなんですけど、最初のうちは断ってたんですね。基板設計だけなんですって。

加藤木 でも断るのもアレですし、全部社内でできてしまえばいいなぁというので、電気設計者2人お願いできる方が増えたりとか、徐々に連携ができてきたので、そこで請負からコンサルティングまで、ありがたいことに事業が増えつつありますね。

enmono 実装する工場も同期生が。

加藤木 岡田さんですね。2期生の中でも岡田さんとはお仕事でもやり取りが続いていて、お仕事をいただいたりしているので。

enmono 素晴らしいです。

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●基板設計者はマルチプレーヤーであることが求められる

加藤木 CADは図研さんの一筋で全部やってます。

enmono 図研さんのは使いやすいですか?

加藤木 使い慣れて使いやすいのと、唯一日本語のCADメーカーなので。私たちの道具――道具というとアレですけど――侍でいうと刀に当たる、自分の身体の一部になっているツールなので、やっぱり使い慣れたものがいいです。

加藤木 その図研さんがなくなってしまうと――なくならないとは思うんですけど――メンターさんとか海外の半導体に強い会社さんのCADになって、ちょっと独特なんですね。やっぱり日本のメーカーさんがいいなと。

enmono(宇都宮) 今はメーカーさんたちが無料に近い海外製CADとかを入れてるじゃないですか。

加藤木 はい、ありますね。結構コンサルティングでいただくデータもフリーのものがほとんどで。それはそれで基板業界に入りやすくなるのでいいんですけど。

enmono(宇都宮) 限界がありますからね。そこそこはできても。

加藤木 若い方は大歓迎なんですけども、基板設計を知らない方がやるので、設計ができるといってもピンからキリまでになってしまっています。割と基板設計を軽く考えてしまっているところがあります。

enmono 舐めるなよと。

enmono(宇都宮) 最後、筐体に入らないとか、無理するとノイズが発生したりとか、熱持ったりとか。

加藤木 こういう時はこういう風にしなきゃいけないというのも、やっぱり経験で。なかなか基板設計は紙に描けないところがあって、ノウハウが実は結構あるんですよね。

enmono(宇都宮) パーツの実装のレイアウトも含まれるんですか?

加藤木 部品の配置から全部。

enmono(宇都宮) そこも基板設計に入っているんですね。

加藤木 基板設計ってこの黒いところの下(下流工程)、製造とか部品実装とか組み立てとか、それで出荷となるので、基板設計って形にする最初の段階で、設計で言うと最後の段階になるんです。ところが基板設計者ってどういうことをやっているかというと、電気屋さん、メカ屋さん、デザイナーさんといった方たちとやり取りをしています。

enmono(宇都宮) コーディネーター。

加藤木 そうですね。この基板設計という職種の人たちが減ってしまうといいものが作れなくなってしまう。品質で言うとノイズや熱設計という課題が今は出てきていまして、すごく高温になるんですね。部品の配置を出口の穴の開いている部分のそばに置くとか。あとは基板の総数を減らせば減らすほど基板は安くなる。そういうノウハウとか経験って、フリーの(無料またはそれに近い)CADをやられる方は持っていない。

加藤木 ただ、すごく優秀な方たちがやっているので数年後は追い抜かれちゃうんじゃないかなという危機感はありますけど。そうならないためにこういうことを考えてコーディネートをやりくりできるマルチプレーヤーのポジションに基板設計者がなっていかないと間に合わないなっていうのは感じてまして。

enmono 後工程の製造では基板の加工もあれば実装もある。

加藤木 基板設計を中国でやることもあるんですけど、グチャグチャになっちゃってダメだとウチに戻ってきちゃうんです。全然違うものになっちゃってるんで、やり直してくれみたいな感じで。(今はそういう状態ですけど)価格競争に入って、マルチプレーヤーを育てられる体制を目指さずにいると、すぐに中国とか、優秀なベンチャーに、たとえ今はフリーCADなどでやっているとしても追い越されちゃうと思うんですね。

加藤木 モノづくりとしては、具現化をする大事なポジションなので、なんとか最後の砦として残していこうと。

enmono ここは残さないといけないと。

加藤木 そうです。潤滑剤じゃないですけど、昔S社さんの中に入った時、メカ屋さんと電気屋さんの仲が悪くて、私経由でやり取りするようなこともあって、

enmono プロデューサーみたいな感じですよね。

加藤木 そういうこともしていかないといけないなと。できるポジションですしね。


●セミナーで得たもの

enmono 後半は基板設計に夢中だった加藤木さんがその後どうなったのか、というお話を引き続きお願いできればと思います。

加藤木 リーマンショック、東日本大震災、タイの洪水などがあって、すごく大変な状態になって、月の売上がゼロになったりとか自分自身も給料を削ったりとか、十何年やっていて最低売上になってしまって。タイの洪水の時は月で9割減になったりとか、年間ですといい時に比べて8割~7割減っているような状態だったの で、色々動きつつやったのが異業種交流会とかネットで調べた経営セミナーに……。

enmono 我々の経営セミナーですか。

加藤木 enmonoさんとは別のちょっと堅い感じの。経営計画書を作って、ここがダメだよと言われたり。

enmono(宇都宮) 必要ですけどね、そういうのも。

加藤木 そうですね。色々聞いていてコレ大事だなってすごく思うんですけど。

enmono(宇都宮) そればかりだとツラくなるのでバランスは必要だなと思います。

加藤木 仰るとおりで、大事なのはわかるんですけど、実際それができないからこういうセミナーへ行くので。セミナーへ行くと理念がないのはダメだとか、その時は大事だ大事だと思って帰るんですけど、でもできないなぁと思って。

加藤木 理念どうやって作ればいいんだっていうところまでは踏みこんでないんですよね。

enmono すぐに売上を上げなきゃいけないのに、理念どうのこうのと言われてどう思いました?

加藤木 そこに時間割けないっていうことですよね。呪文を考えてもおなかいっぱいになりませんからね。

enmono そんな経営セミナー等に行っていた加藤木さんが、我々のセミナーへ来て最初はどう思われたんでしょうか?

加藤木 こっちの(それまで行っていた)セミナーは実践じゃないなと。教科書の話を聞いているだけで、「ん~、いい話だな」と思って。本田宗一郎さんとかの話を聞いて、「うん、やってみよう」と思うんですけど、実際頭の中で感心するだけでした。

加藤木 enmonoさんのセミナーは身体を動かして、苦しんで(笑)。

enmono(宇都宮) 苦しみましたか?(笑)

加藤木 いや、苦しみましたね。なかなか出てこないじゃないですか。もうカチカチ頭で。

enmono その時は10回やってたんですよね。今は4回になってますけど。相当時間かけてやってましたよね。

加藤木 その当時は座禅もなくて。

enmono ひたすら禅問答で。

加藤木 お話を聞いて、次までにこれをやってきなさいという感じで、搾り出せなくて「うーん……」って。あの時に思ったのは、出ないんですけどやっぱり手を動かし てモノを作ってみるとはっきりする。実際にモノなので、いいか悪いかはっきり出るので、ダメなサンプルはいっぱい出たんですけど、「じゃあどうしようか」 という話になるので、全然進んでないようで、ほかの人に比べると進んでるんじゃないかなと。

enmono 進んでましたよね。ほかの人もなかなか作れなかったですから。

加藤木 実際にenmonoさんのセミナーを受けてない人から見ると、さらに進んでいたんじゃないかと思います。

enmono 普通の人はセミナー受けて「あー、おしまい」みたいな。

加藤木 飲んで、乾杯して、おいしかったねで終わっちゃうんですけど。

enmono(宇都宮) 基本僕らノンアルですからね。

加藤木 本当に搾りだした感があるので、その経験が今活きてますね。


●知ってもらうための活動・製品も

加藤木 それで搾りだしたのが、マイクロモノづくりとして結実したhealing leafで。クラウドファンディングを通して資金を集めたペンダントというか――。

enmono 基板のアクセサリーですね。

加藤木 こんな栞にしてもらったり。基板というのは美しいというのを皆さんに伝えたくてこういう商品になりました。

enmono(宇都宮) 最初は光るヤツを作って、デザフェスに出たら反応が違った。

最初、加藤木さん自身は(現在の形に)注目していなかったんじゃないですか?

加藤木 そうですね。どっちかというとLED光らせる方がメインだったので。デザフェスに作っていったちっちゃいキーホルダーだったりペンダントが意外にも好評で全部捌けてしまったみたいな結果があって。

enmono(宇都宮) お客さんの目線と加藤木さんの目線が最初違っていたのが合ってきたということですね。

加藤木 あれはすごくいい勉強になりました。

enmono(宇都宮) ああいう展示販売みたいなことは初めてだったんですか?

加藤木 基板自体はお客様のためのものなので、それを展示会に出すというのは御法度で、「あいつあんなの出してるぞ」となってしまいます。お客様の許可がいただければできるんですけど。

enmono(宇都宮) 普通は許可出さないですからね。守秘義務ですから。

加藤木 そういうことも聞かないですからね。「見せていいですか? 展示会出していいですか?」なんて。そういう感じだったので展示会自体がもう経験なくて。

enmono(宇都宮) あのデザフェスが初めて。

加藤木 緊張しましたね。


●自分の体験を通してじゃないと企業理念は出てこない

enmono その後クラウドファンディングを体験することになるのですが、実際にやられてみてどうでしたか?

加藤木 よかったですね。楽しかったです。

enmono あまりツラさはなく?

加藤木 いや、ツラかったですよ(笑)。

enmono (笑)。

加藤木 ツラかったけど、今思うと楽しかったという。あと、あの経験があったので、お尻を決めてなにをやらなければいけないか。できないことをできるって言うのではなく、できることはなにか。できないことはしょうがないと割り切って、「じゃあ、なにをやるか」と考えるようになったので、できないことはどっかに頼も うと割り切れるようになりましたね。

加藤木 あの経験は今にも活きていますね。

加藤木 今は自社でブースを借りて展示会をするようにもなりました。クラウドファンディングで展示できるモノ自体もできるようになりました。

enmono 企業理念もクラウドファンディングを通して生みだされたということなんですが。

加藤木 最終的に終わった後に振り返って、「自分がやったことってなんだろうな」「どういうことで喜ばれてるかな」と考えてみたら、「プリント基板の可能性を拡げて未来に繋げる」ことをやっているんだと。経営セミナーではできなかった理念が、クラウドファンディングの中でやっていることを振り返って自然と出てきま した。

enmono 自分の体験を通してじゃないと企業理念は出てこない。

enmono(宇都宮) 今は未来に繋がらない仕事はやらない?

加藤木 丁寧にお断りしていますね。

enmono 素晴らしい、理念通りのアクション。未来に繋げるということで、こういうものも生みだされてこれ(手ぬぐい)も基板の可能性を拡げる一つのアクションということで。あとこちらも(加藤木さんが着ている服)。

加藤木 Tシャツもそうですね。私たちのいつも設計しているCADの画面に近い形で、皆さんに基板を知っていただくことも未来に繋がると思っていますので。小さい基板で見えないところを拡大して見せるっていう。

enmono こういうことが基板の未来を繋ぐお仕事ということですね。(知ってもらうことが目的ならば)別に本物の基板を作らなくてもいい。

enmono(宇都宮) 子どもたちに知ってもらわないと未来に繋がらないですからね。

加藤木 やっぱり見ていないと興味も持たないですし、見ていただいて面白いねと思ってくれる若い方たちが増えてくれれば。実際よくメディアとかで出ている基板があって、こんなんじゃないはずなんです。なんか違うねというのを気づいてもらえると。

enmono こっちが本物ですよね。

enmono この企業理念もクラウドファンディングをやったことで出てきて、先程お話しされてましたけど、お仕事の幅も広がったということで、当初お二人でやっていたお仕事が今は……。

加藤木 私含めて5人でやっています。

enmono 売上も……。

加藤木 売上もそうですね、人が増えるんで当然。

enmono 一番低い時と比べるとどのくらいになったんでしょうか? 何パーセントくらい……。

加藤木 ……4……400パーセントくらいですかね。そんなこと言っていいのかわからないんですけど。

enmono 約4倍に上がられたということで。

加藤木 悪い時から比べるとそうですね。非常にいい結果で。

enmono そういう結果はなにがもたらしたものだと思っていますか?

加藤木 昔と比べて考えが柔らかくなったという気がしますね。まだまだ固いんですけども。行動して、クラウドファンディングなり色んなことを実践して、学んで経験になって、それでまた新しくチャレンジする。

加藤木 売上が結構上がっていても安心はしていなくて。でも、そういうことをやっていれば大丈夫かなと。基板を絡めたモノづくりを続けたいなと思います。


●日本の基板産業の未来

enmono まだまだお話を伺いたいのですが、そろそろお時間の関係で最後の質問です。皆さんに伺っているのですが、日本の○○の未来、多分今回は基板産業の未来ですね。これについて加藤木さんが考えていることがあれば、熱い想いを語っていただきたいなと思います。

加藤木 今の問題としてはやっぱり若い人がいないんですね。日本の基板設計で「この基板ができる人」というと大体40代後半とか50代とか、下手すると60代とか。

enmono(宇都宮) 学校とかでは教えないんですか?

加藤木 学校はないんですよね。プリント基板配線技師とかの技能講座はあるんですけど、実際の学校というのはないです。

enmono(宇都宮) アートワークをやるような人がいないということですか。

加藤木 はい。

enmono 加藤木さんはどこで勉強されたんですか?

加藤木 もうほんとに一般的な電気の勉強ですね。高校までなので。普通に高校でオームの法則とかやったくらいで、基板の設計というのはないんですね。

enmono(宇都宮) 会社に入って、その中で。

加藤木 そうです。怖い上司に後ろから蹴っ飛ばされながら、「教わるんじゃねぇ、盗むんだ」みたいな。

enmono(宇都宮) 職人ですね。

加藤木 ほんとそうですね。できあがるものは人それぞれ違うので、職人なんですよ。

加藤木 昔は「電源の基板をやらせたらこの人がピカイチだ」「デジカメやらせたらあの人だ。業界では有名だよ」という人がいたんです。スタープレイヤーと言われる方たちがいて。今は40代50代の人たちが多いので、(スター)がいないんですよね。また、基板にそこまで求められなくなってきた。困ってないのかもしれないですね。

enmono ソフトウェアの方で対応してしまうとか。

加藤木 実際は大事なんです。ノイズにしてもなんにしても、基板をキチッとやらなきゃいけないというのがあって。そういう中で若い人がいないというのはすごく危機を感じてまして、業界としてそこをなんとかしないといけないなと自分自身は考えています。そのためにもこういったことをして(基板製作そのもの以外の周知活動もして)、増やしていかなければならない。

enmono 基板設計業界の底上げをやっていきたい。

enmono(宇都宮) 弟子は募集していないんですか?

加藤木 弟子はまだですね。募集はしてないんですけども。

enmono そういうことを心配している感じですか? それともこんな未来になったらいいなと?

加藤木 心配はしてるんですけど、課題だと思っているだけで。そこは若い人を入れられるような体力をもっとつけて入れていきたいのと、やっぱり小さなものでもなんでもいいので、モノを作っていくということを繰り返していれば、基板っていうのはキーなので絶対出てくると思うんですね。
加藤木 基板設計会社の二代目三代目という人は今はいないんですよ。数社しかないです。そういう会社をウチは応援しつつ――。

enmono 技術を伝承していく。

加藤木 はい。モノさえ作っていれば未来はあると思うんです。繋げなければいけないので。
加藤木 未来に対してあまりいいことは言えないですけど、解決すべき課題があるので、常に緊張感があっていいんじゃないですかね。「大変だ大変だ」って言い続けるつもりはないんですけど、未来はあると思います。基板設計に関して日本には優秀な人が多いので。

enmono 若い人を鍛えていけば。

加藤木 モノを作ることが、セットで基板設計にもなります。今はそれくらいしか言えないかもしれないですね。

enmono わかりました。今日はお忙しい中ありがとうございました。ぜひこの手ぬぐいのように新しい基板の世界を作っていっていただければと思います。どうもありがとうございました。

加藤木 ありがとうございました。


対談動画


▼加藤木一明さん

=>https://www.facebook.com/kazuaki.katougi


プリント基板アート「Healing Leaf」▼WEBSITE


有限会社ケイ・ピー・ディ▼WEBSITE


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