全裸紳士
「人、物、金。この三者が集まる場所に碌なところはない。」私の唯一の友人である愚具琉健作がこう教えてくれた。曼谷が彼の地に該当する。確かに、破滅的な日常を曼谷で過ごしていたら少々病んでしまい、薬に頼るようになってしまった。居を移し生活環境を整え正気を取り戻す時期が来たと強く感じ、2024年初旬、曼谷都を離れる決意を固めた。 転居先の候補地は幾つかあった。ビザ取得のハードルが低いジョージア、泰のラヨーン県、沖縄のやんばる、東北のピッコロ地方、福島の会津地方などの生活を夢想した。
最近、旅行をしてないなぁ。旅行をすると俗語でセロトニン、一般的には旅汁と呼ばれる脳内麻薬が多量に分泌され、心身ともに毛持ち良いらしい。私の唯一の友人である印田熱斗君が、そう教えてくれた。 しばらくの間、旅に出る予定もないので、今年3月の旅を振り返り、旅気分を味わうとしよう。また、本文がこれからカオヤイ旅行に出向く諸君のお役に立てば何よりである。 ビザ更新のため、バンコク北部にある移民局に出向く必要があった。ビザ更新の後、さらに北上して旅行でもするかと企て、バンコクから車で
軽い思いつきで、この2月から自由文筆家になった。3ヶ月間ほどでこなした業は、漫画や旅行のWeb執筆、YouTube番組の原稿執筆、電子書籍の執筆などだ。 何れも替えがきかず私にしかできない仕事、というわけでは全くなく、こき使われ執筆野郎の一員になっただけである。まあ、面倒なことが多い業だが、何とかやれている。 ところで、自由文筆家になって困ったことが一つある。ここnoteで、何か書くかという意欲が湧かなくなってしまったのだ。文筆業の息抜きはnoteではないよなという感じだ
老害にならない所作として、伊太利亜伊達男こと高田純次氏は、昔話・自慢話・説教の3つはしないよう心掛けているらしい。素晴らしい心構えだ。見習いたい。さらに私は、プライバシーにずかずか踏み込む質問をしないということも心掛けたい。 さて、昔話をする。 バンコクの港区と言われているのはトンローである。確かに、洒落た店が多く外国人率が高い。そんなトンローでも昔は象が偶に歩いていた。夜中、車を運転している際に象にぶつかりそうになり驚いたものだ。暗い通りに巨大な物体がライトを付けずにゆっ
noteのプロフィール画像を変更しようと思い立ち、AIに画像作成の依頼をした。依頼内容はnoteのアカウント名に基づき「全裸紳士の画像」とだけお願いをした。AIは数秒間唸った後に、「それはできない」と言う。どうも公序良俗に反する依頼なので応えられないようだ。 依頼の仕方を丁寧かつ高度にしてみた。「全裸紳士という言葉から想起されるイメージをデザインして下さい。」AIは数秒間唸った後に「それはできない」とまたもや断言した。全裸紳士という言葉自体が公序良俗に反するのか。 それな
先般、泰国長期合法滞在の為に、巨大な建造物で構成される北曼谷の移民局へ詣でた。査証延長手続きである。昨今、電子通信網上での操作で日時指定面会が予約できるので、利便性は上がっている。もっとも、日本国旅券への一年有効査証印章の押印の為だけに、厚さ1寸程の物理的書類の束を提出するとはこれ如何に。要求が過大だ。地球環境保全に寄与していない。重複する書類が幾重にも重なっている気がする。又、私的情報が密な是らの書類が、事後、裏紙として再利用される危殆が此処には存する。電磁的方法を活用し物
プロローグ 「ゴルゴ13のオールナイトニッポン!」 パラッパッ、パッパラパッ、パッパラッ。 「はい、今週も始まりました、ゴルゴ13のオールナイトニッポン。先日、仕事でアフガニスタンに行ってきましてね〜。」 ラジオから軽快な曲、Herb Alpert の Bitter Sweet Samba が流れてきた。もう、深夜1時だ。ノートパソコンを閉じて寝るとするか。いや、待てよ。Uさんのタイ自転車旅ブログが更新されている。ふむ、面白い。いいなぁ。私もやってみるか、タイ自転車旅。
-トスカーナ想ひ出紀行の続き- ジェノヴァからニースに移った。プロヴァンス旅が始まる。陽光降り注ぐ春の地中海、美しい街並み。上質なワインを飲んでいるが如く、余りにも煌めきが多く悩みが忘却される街、ニース。ごちそうさま、ニース。美麗過ぎて、平民の私は落ち着かない。ニースから日帰りでモナコにも一応行ってみたが、ニースよりも落ち着かない。モナコは10分だけ滞在し、逃げるようにニースに戻った。 地中海沿いのキラキラ都市から、少し内陸に行く。超有名観光地アルルに来た。歴史と伝統、そ
とある晴れた日、絵葉書が舞い込んできた。差出人は旧友Uさんだ。イタリアはトスカーナ地方を旅しているとのことだ。うむ、いいなぁ、羨ましい。徐に高校のときの地図帳を広げ、イタリアおよび隣接国の地形を確認し、国土に対する荒地の割合を電卓で計算する。よし、いい感じだ。地図帳で大まかな旅のルートを思い描く。決まった。次の海外旅行先はイタリアのトスカーナ地方とフランスのプロヴァンス地方だ。 2005年3月中旬、成田発の捕鯨船アリタリア号は古い機体で、終始ゴーゴーガタガタ言いながらもミラ
2000年9月、アイルランドと南ウェールズを旅した。最初ダブリンに行き、それからドニゴールで数日過ごした。その後、列車・バス・貸自転車を利用してアイルランドの幾つかの街、村、荒地を巡った。ドニゴールの想ひ出につきまして、こちらをご覧下さい。 1週間ほどアイルランドに滞在した。アイルランド旅の最後はアイルランド南東の港町ロスレアに泊まり、翌日、ロスレア港からフェリーで海峡を渡って、ウェールズ南西の漁村フィッシュガードに辿り着いた。3時間半ほどの船旅であった。アイルランド旅を終
ロンドンの泉谷しげること故イアン=デューリーに「The Bus Driver's Prayer & Other Stories」という名盤がある。佳作が揃ったこのアルバムの中に「O'Donegal」という曲が入っている。イアンが幼いころに住んでいたアイルランドのドニゴールを望郷して書いた曲と言われており、曲調はアイルランド民謡風味だ。 ジュワッと沁みる、この曲。高校のときの地図帳でアイルランド島を調べるに、風光明媚な荒地が多くて面白そうだ。よし、ドニゴールでO'Donega
Day0 銀座ステージ 〜アコーホテルズの宣伝〜 泰時間22時に曼谷スワンナプーム国際空港を出発した日本航空夜便は、定刻通り日本時間6時に東京羽田空港に着いた。予約をしておいた銀座のアコーホテルに着いたのが朝8時頃であろうか。 不眠不休でホテルに着き、とにかく部屋に入れさせてくれ、仮眠をとらせてくれと泣きながら全裸で懇願。レセプショニストも泣きながら素早くかつ適切に、追加料金なしで空いてる部屋の案内をしてくれた。 仏蘭西の巴里を本拠とするアコーホテルズは泰にも展開してお
Day8 磐梯吾妻ステージ 東北旅が今日で終息する。会津若松のホテルを出発し、最後のチョメチョメライン、磐梯山ゴールドラインや福島吾妻裏磐梯線、そして荒地マニアの聖地である磐梯吾妻スカイラインを通り、旅汁を大量分泌して締めくくるとしよう。 朝から小雨模様で徐々に本格的な雨に変わっていった。昼食とデザートを桧原湖畔にあるリゾート内のレストランで済ませ、先を急ぐ。霧がかかって眺望が全くない中、磐梯吾妻スカイラインをクネクネ進む。 吾妻小富士近辺にさしかかり急に視界が広がった
Day7 会津ステージ この日、午前中は五色沼散策と猪苗代湖畔で過ごした。昼食は定番の喜多方ラーメンだ。五色沼、猪苗代湖、喜多方ラーメンと完璧な会津旅人を演じている。午後も完璧に演じていく。先ずは東北三大観光地の一つ、大内宿まで車を走らせよう。 大内宿はねぎそばというものが名物らしいが、それにしても大内ストリートには蕎麦屋がやたら多い。蕎麦の供給量に驚かされた。このストリートの民家の並びをカスタネットで例えると、「タンタン タタタン タンタンタン」のタの部分に蕎麦屋、ンの
Day6 裏磐梯ステージ 今日は青根を離れ、米沢に立ち寄り裏磐梯まで南下する。どういったルートで進むか。旅情を感じる道が良い。Googleマップで検討し、南蔵王七ヶ宿線、みちのくおとぎ街道、米沢猪苗代線、西吾妻スカイバレーを選んだ。 米沢にはお昼頃着いた。学生時代を過ごした街だ。ざっと30年ぶりであろうか。昔住んでいたアパートに行ってみよう。ふむ、Googleマップの写真と同じだなぁ。Googleマップで予習をしていたので懐かしさはなかった。Googleマップで予習(GM
Day5 青根ステージ しんとした山の空気を感じる。朝6時頃に自然と目が覚めた。泰時間だと朝4時だ。日本に着いて1週間が経ち時差の影響はもうない。朝から充実した時間を過ごせそうだ。まったりと朝食、朝風呂をすませて、それから出かけるとしよう。 今日のチョメチョメラインは、蔵王エコーラインと蔵王ハイラインの2本立て。これらをドライブして東北三大観光地の一つ、蔵王を目指す。蔵王、60年代ロックバンド風英語表記にすると「The O」となる。The Oならば痔王ではないか、という正